
江戸時代の「交通」の本質とは?参勤交代の本質は情報収集?交通から江戸を読み解く【行ってきました!港区文化財セミナー】
普段、私たちが何気なく歩いている、歩き慣れた道。そんな「道」は江戸時代、幕府が全国を治めるための巨大な国家経営そのものだったことをご存じでしょうか?
港区江戸文化共創協議会の主催で、全5回にわたり開催されている「港区文化財セミナー」、第4回となる今回のテーマは「交通」。講師を務めるのは、一般社団法人日本遺産普及協会代表監事であり、旅行作家・平成芭蕉としても活躍する黒田尚嗣さんです。
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交通とは「物・文化・人が親しく交わり、理解を深める」手段
「交通というと、一般的に自動車や電車で移動することを思い浮かべる人が多いですよね。でも、単なる移動ではないのが江戸時代の交通です」という黒田先生の言葉を切り口に、参勤交代の真の目的から、港区が「陸と海の要衝」として発展した理由まで、知られざる歴史背景が浮かび上がります。

「東海道五十三次」「十九」「赤坂」「御油へ十六丁」(東京都立図書館蔵)
「ところで皆さん、江戸時代の『街道』と『道』の違いは分かりますか?」
黒田先生から出された歴史交通クイズ。
確かに、改めて違いを問われると少し考えこんでしまいます。参加者の方々と一緒に頭の上に「?」を浮かべていると、黒田先生が答えを教えてくれました。
街道……華やかな街と街を結ぶ公的に整備されている道路
道 ……けもの道も含めた、街道以外の道路
だそうです。
「『交』の前に『親』をつければ『親交』、『通』のあとに『信』をつければ『通信』になりますね。つまり交通とは、ただ人が移動することではなく、『親しく交わり、誠(情報)を交わすための手段』なのです」

「温故東の花 第四篇 舊諸侯参勤御入府之圖」(東京都立図書館蔵)
江戸時代の交通において、最も重要だったのは、「情報」と「物」の移動。そして、その情報ネットワークを支える仕組みのひとつとして、「参勤交代」がありました。
でも参勤交代は、「大名の財力を削ぐために幕府が設けた制度」と教わった記憶がありますが、黒田先生は「参勤交代の本質は全国統治のための情報収集ルート」でもあったと言います。
「街道は、人為的に人と人が生活している場所を結ぶために生まれた、と考えてください。現在の交通手段は、陸・海(水)・空とありますが、江戸時代に空はないので、陸と水ですね。陸と水で、圧倒的に重要だったのは水です」

立祥『品川』. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1309406 (参照 2026-08-18)
実は、海(水)が重要なのは、現在も変わらず。「今も中東の海峡が封鎖されたことで、さまざまな影響を受けていますでしょ」と、分かりやすく時事ネタと絡めて説明してくれました。
「この前提を踏まえたうえで、徳川幕府の交通政策をお話したいと思います」と、徳川幕府の最も重要な政策のひとつである、参勤交代について教えてくれました。
五街道は江戸時代の「超高速情報通信網」! 宿場は休むだけの場所じゃなかった?
「各藩の財政を含め、大名を疲弊させる制度と思っている方も多いかもしれませんが、参勤交代の本質は、全国統治するための情報を入手するためです。
参勤交代で重要なのは、街道。『五街道(東海道・中山道・甲州街道・日光街道・奥州街道)』を整備し、街道にある宿場も、さまざまな情報を伝えるために活用されていたんですね」

歌川広重 著 ほか『東海道 : 広重画五拾三次現状写真対照』,東光園,1918. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1873421 (参照 2026-08-18)
黒田先生によれば、訪れる旅人から多彩な情報を聞いていた宿場の女性たちも、情報収集のひとつの場所として重要だったそう。そして、宿場ごとに設けられていた「問屋場(といやば/人や馬を配備したり、公用飛脚を統括していた)」も、迅速な情報伝達に欠かせなかったシステム。

「東海道 四十五 庄野、問屋場、人馬継立 五十三次之内」(東京都立図書館蔵)
幕府によって整備された五街道や宿場町は、言わば江戸時代の「超高速情報通信網」だったのです。
ちなみに、現在も旅館やホテルでは「1泊2食付き」がスタンダード。実はこれは、宿場町にあった庶民宿「旅籠」の文化からつながっているそうですよ。
江戸の玄関口「高輪大木戸」と最後の宿場「品川宿」は、物流と情報の要
江戸の玄関口のひとつとして、現在も史跡が残る「高輪大木戸」。宝永7(1710)年に設置されました。東海道を旅する人たちは、ここで草鞋の紐を締め直し、いよいよ江戸市中へと足を踏み入れた、「江戸の境界」と言える場所です。

広重『東海道名所之内 高輪大木戸』. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1309476 (参照 2026-08-18)
「東海道を歩いて江戸に入る前、最後にあたる宿場が、皆さんご存じの『品川宿』です。広重の浮世絵を見ると分かりますが、品川宿は目の前が海ですね。江戸湾の海運拠点でもあった場所です」

広重「東海道五拾三次之内 品川 日之出」
そして、「現在の芝一丁目あたりは、陸の東海道と海の江戸湾が交わる、重要な場所だったと言えます」と黒田先生。
幕府も重要拠点と考えたこのエリア。格式の高いものを作らなきゃいけない、ということから、新橋には大きな橋がかけられました(この橋が、現在の新橋の地名の由来です)。
加えて幕府の威光を示す「増上寺」や、庶民の支えとなる関東のお伊勢さま「芝大神宮」などもあり、地方から旅をしてきた人々が江戸城に行く前に心を整える場所でもありました。

一英斎芳艶『東海道之内 江戸芝新ン橋』,上州屋,文久3. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1309473 (参照 2026-08-18)
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【芝大神宮】チケットや宝くじ当選の強運をいただこう! 大盤振る舞いのご利益と江戸の粋
ちなみに、港区観光協会がある「札の辻」も、江戸にやってきた大名行列が通った場所のひとつ。幕府の法令などを掲示する高札場が設けられていたことから、「札の辻」という地名になったそうですよ。

一松斎芳宗『東海道 本芝札ノ辻』,上州屋. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1309477 (参照 2026-08-18)
将軍の食卓を支えた「御菜八ヶ浦」とは?港区にもあった特別漁業エリア
「御菜(おさい)」とは、将軍家が召し上がる食事のこと。江戸時代は、将軍家に鮮魚を納める代わりに、江戸内湾での漁業に特権を持っていた8つの浦がありました。これを「御菜八ヶ浦(おさいやつかうら)」と呼び、8つの浦のうち、港区には「金杉浦」「本芝浦」がありました。

一魁斎芳年『東海道 金杉橋芝浦』. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1309594 (参照 2026-08-18)
「御菜は、将軍の食卓を支えるために、とても大事な役割を持った漁業エリアです。収穫した魚は、川を利用して日本橋に運んでいましたね」と、黒田先生。
将軍の食卓を支える漁場があったり、幕末にはペリー来航を受けて台場が築かれたり、やっぱり「港」区の名前の通り、江戸時代から海と縁が深い場所なんだなぁ、と改めて実感します。
芝の「雑魚場(ざこば)跡」などの史跡は、当時の魚河岸の熱気を今に伝える貴重なスポットですよ。

雑魚場跡
徳川の平和を支えた「水運」と「外堀」、そして「道」
黒田先生は、江戸の都市づくりや交通を考えるうえで重要な人物として、築城の名手・藤堂高虎と、街道交通や鉱山経営などに関わった大久保長安の名前を挙げます。
「藤堂高虎は言わずもがな、ですが、甲州街道の整備をはじめ、佐渡や石見の銀山などを管轄していたのが大久保長安です。鉱山経営や金銀の輸送ルートとも深く関わっていたのも、彼(大久保)」
黒田先生によれば、甲州街道の整備には大久保長安の政策も関係していたそうです。そして、築城の名手・藤堂高虎は、江戸城のお堀を単なる防衛施設としてではなく、「船で物資を城内へダイレクトに運ぶための水路」としても設計されていたとのこと。

お花見の名所、千鳥ヶ淵も物資搬送として重要な役割を果たしていました
さらに幕府は、当時東京湾に流れ込んでいた利根川の流れを太平洋(銚子側)へと変える「利根川東遷(とうせん)」という土木事業を行います。これにより、江戸湾への土砂堆積や洪水リスクを抑え、新田開発や舟運による東北・関東間の輸送体系を整えることができた、というわけです。
陸の五街道と、巧みに整備された水運網。この2つの交通軸も、江戸が人口100万人を超える世界有数の大都市へと成長するうえで、大きな役割を果たしたのです。
「戦国時代までの道は、『軍勢が進軍するための道』でした。しかし江戸時代に街道を行き交ったのは、『人、物、そして文化』。交通が整備されたことで、260年にわたる平和な時代へと生まれ変わったんですね」

広重『東都名所』芝増上寺山内図,喜鶴堂. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1303516 (参照 2026-08-18)
戦国時代を経て、天下泰平の世の中を築き上げた江戸幕府。そのシステムの一つに、私たちが何気なく歩いている「道」が関わっていたんだな、と思うと、江戸の風景を少し身近に感じられそうです。
さまざまな角度から江戸の風景を知ることができる港区文化財セミナーも、いよいよ次回が最終回。最終回のテーマは「事件」です。江戸時代、港区、事件と言えば……そう、「忠臣蔵」!

松之廊下刃傷の場を描いた錦絵(歌川国貞「忠雄義臣録」)
▼泉岳寺についてはこちらの記事で紹介しています
【泉岳寺とは?】赤穂義士墓地だけじゃない! 忠臣蔵と学問所の歴史を徹底解説
セミナーの申し込みは2026年11月5日(木)9:30~開始され、定員は100名。しかも参加は無料です。気になる人は、忘れずに港区江戸文化共創協議会の公式ウェブサイトから応募しましょう!
【港区文化財セミナー】
企画:港区江戸文化共創協議会

