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練塀に刻まれた「江戸瓦」のドラマとは?瓦をキーワードに土塀を見る|練塀勉強会vol.10

2026年9月25日

現代の日本において、「屋根瓦」は慣れ親しんだ存在です。10回を迎える「練塀勉強会」のテーマは、「瓦」。
土塀の一種である練塀と瓦にはどんな関係があるのでしょうか?

練塀だけでなく、さまざまな歴史を知ることができる「練塀勉強会」ですが、今回も興味深いお話をたくさん聞くことができました!

今回も会場は増上寺 慈雲閣です

仏教と共に伝来し、江戸後期には庶民も利用!瓦が辿った意外な歴史

瓦について教えてくれるのは、練塀勉強会vol.7で水道技術について教えてくれた、東京都水道歴史館 学芸員の金子智さん。

▼練塀勉強会vol.7についてはこちらの記事で紹介しています
江戸時代の水道技術に感動! 城郭の土塀から見える時代背景とは?【行ってきました!】練塀勉強会vol.7

「現在は東京都水道歴史館に勤めております関係で、水道のことも結構やっているのですが、元々は屋根瓦の研究がメインでございまして(笑)。遺跡から出てくる瓦について研究するのがライフワークでした」と語る、金子さん。

現在は当たり前のように見かける屋根瓦ですが、実は日本に伝わった当初は非常に貴重な存在だったとのこと。

「日本の屋根瓦は飛鳥時代、聖徳太子の時代に朝鮮半島から仏教と一緒に伝わってきます。『日本書紀』には法興寺(飛鳥寺)の造営にあたって4人の『瓦博士(職人)』が日本に来たと伝えられています。つまり、瓦は基本的にお寺のものだったんですね。平城京などの官邸施設や役所を除けば、一般の民家には使われていませんでした」

出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)

仏教と共に日本に伝わってきたということで、実はお寺とも縁が深い瓦。
古代には全国の国分寺などで盛んに使われた瓦ですが、中世(鎌倉・室町時代)になると木造屋根へシフトし、一時期は瓦自体が減少してしまいます。

この状況を一変させたのが、安土桃山時代の「城郭建築」。

「織田信長が築いた安土城以降、街を支配する象徴として、また鉄砲などの火災を防止する目的でお城に瓦が使われるようになりました。豊臣秀吉の時代にも全国津々浦々のお城が瓦葺きになり、そこで多くの職人が育成されていったのです」

さまざまな歴史の転換点に関わっている信長ですが、まさか「瓦」の話でも名前が出てくるとは!

ただし、江戸時代になり世の中が平和になると、お城が新たに作られることもなくなり、職人たちもあぶれてしまいます。そこで、職人たちは城下町の武士や町人の屋敷を瓦葺きにしていったそう。

「ご存じの通り、徳川家康が来る前の江戸は、基本的に田舎でした。浅草の浅草寺はごく一部の建物に瓦が使われていたようですが、おそらくほとんどの建物が萱葺き屋根だったと思います。
家康の街づくりにより、江戸城が瓦葺きになり、次に近隣の大名屋敷が瓦葺きになり、幕末になると、町人の家を含め、全部瓦葺きのように、時代によって変化していきました」

北斎『浅草観音雷神門』,西村屋. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1308033 (参照 2026-09-15)

時代劇などを見ていても、屋根に注目したことはありませんでしたが、こんな時代考証もあるんですね。次から気にしてしまいそうなお話です。

「特に江戸中期、瓦屋根は火事の防止になるということで、着目されるんですね。徳川吉宗の『享保の改革(1716〜1736年)』の際も、火事の延焼を防ぐために『建物を建て直す時は屋根を瓦葺きにしなさい』とお触れが出されました。幕府から補助金が出たこともあり、これをきっかけに都市部へ一気に瓦が広まっていったのです」

江戸のイノベーション「桟瓦」と東西の瓦の違い

江戸時代前半までの瓦は「本瓦(ほんがわら)」と呼ばれ、丸瓦と平瓦の2種類を組み合わせて使う重厚なものでした。

「本瓦は非常に重いので、建物をガッチリ作っておかないと地震などで潰れてしまいます。ちなみに、今回のセミナーが開催されている増上寺の慈雲閣の瓦は、本瓦ですね」

慈雲閣の瓦は丸瓦と平瓦を組み合わせた本瓦葺き

「本瓦は建物が丈夫でないといけない。そこで江戸時代に発明されたのが『桟瓦(さんかわら)』です。丸と平を合体させて引っ掛けを作ったことで、重量が半分~2/3程度になり、ちょっとした建物にも瓦が葺けるようになりました」

さらに、「江戸で使われた瓦の多くは、隅田川沿岸(浅草聖天の付近や本所周辺)で地元の粘土を使って焼かれたものです」と、江戸で使われていた瓦の「産地」について面白い事実を教えてくれます。

出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)

「ただ、実は江戸で使われていた瓦は、地元のものだけではないんですね。関西や東海地方からも運ばれていました。特に大坂の瓦は江戸時代を通じて高級品として知られており、大坂の御用瓦師が買い集めて江戸へ送っていました」

薄くて硬く、質の高い大坂の瓦は、江戸城をはじめ、増上寺や寛永寺など、幕府に縁のある特別な施設へ優先的に納められていたそう。

増上寺「黒門」の瓦も大坂の瓦。瓦の産地は模様で見分けることができるそう

「普通の大名屋敷には地元の江戸産瓦がたくさん使われています。増上寺などに大坂の瓦が多いのは、幕府の意向で特別に立派な瓦を調達して使っていた証拠なんですね」

練塀は「古瓦のリサイクル」でできたタイムカプセル!

練塀とは、土と瓦を層状に重ねて作った強固な壁のことで、土塀の一種。増上寺の目の前にある廣度院の練塀は登録有形文化財にも登録されています。

増上寺に向かう右手にあるのが、江戸時代からの練塀が残る廣度院です。

▼廣度院の練塀についてはこちらの記事で紹介しています
登録有形文化財にも登録! 江戸後期の姿を現在に残す、廣度院の「練塀」とは

「練塀の屋根や内部を見てみると、実にさまざまな種類の瓦が使われています。練塀を作る際、昔どこかの屋根で使われていた古い瓦を再利用(リサイクル)して組み込んでいるんですね」と、金子さん。

「練塀の中に埋め込まれている瓦を細かく分析して時代を判定すれば、そこに入っている一番新しい瓦の年代が、この塀を作った(あるいは改修した)時期だと分かります。一つの塀を見るだけでも、数々の建物の歴史や修理の痕跡が混在して残っているのが面白いところです」

この瓦、江戸時代の物だと思うとロマンがありますよね。

瓦の歴史から、瓦が持つ時代考証など、さまざまな角度でお話をしてくれた金子さん。最後には、参加者からの質問も飛び交いました。

「瓦を見ることで、その建物がいつ頃修理されて、どこ産の瓦が使われているかが見えてきます。それだけでも街歩きの楽しさが増すのではないでしょうか」

と、笑顔で締めくくってくれました。これからは、街を歩いていても「瓦」に注目してしまいそうです。

寺院が多い港区で、宗教的に厳格過ぎない日本独自の食文化について知る

「いきなりですがクイズです。東京都にはいくつ寺院があるでしょうか?」

金子さんによる瓦のお話が終わり、休憩後、次は港区観光大使である澤内隆先生のお話。お話がはじまってすぐ、東京のお寺クイズが出題されました。

正解は東京都全体で約2,800カ寺。そして驚くべきことに、その約1割にあたる280もの寺院が、ここ港区に集中しています。

「なぜ港区にこれほどお寺が多いのか。そのヒントとなるキーワードが『参勤交代』です」と澤内先生。かつて大名屋敷が集まる港区は、江戸の都市計画や参勤交代に伴い、多くの寺院が建立・移転してきた歴史があるのです。

そして話題は、港区の歴史的シンボルである増上寺と「瓦」に。

「東京で一番多く瓦があるのはやはり増上寺です。境内や練塀には膨大な瓦が使われています。そんな瓦ですが、実は食文化ともつながっているんですよ」

と、スクリーンのスライドに映し出されたのは、山口県の名物料理「瓦そば」。
熱した本物の瓦の上に茶そばや具材を乗せたこの料理を引き合いに出し、かつて建築資材であった瓦が生活や食の道具としても活用されてきたユニークな歴史を紹介してくれました。

今回、澤内先生が教えてくれるのは、「日本の食文化」について。先生は「日本の食習慣は宗教的に厳格すぎないのが特徴です」といいます。

「日本の歴史上、肉食禁止令などもありましたね。精進料理などです。でも実際には、『薬』と称してこっそり肉を食べる文化もありました。完全に遮断するのではなく、精神的な修練としつつも柔軟に取り入れてきたのが日本の食の面白さです」

精進料理は、仏教の戒律に基づき、野菜や穀物、豆などで作る伝統的な菜食料理

そんな日本の食文化、根底にあるのは、私たちの主食である米作りです。

「日本の食文化の根底には、米作りとモンスーンアジアの気候が育んだ発酵文化があります」

味噌や醤油、酒といった発酵食品は、豊かな自然と微生物の働きが生み出した恵み。神棚や仏壇にお米を供えるように、日本の食は常に自然への感謝や神仏への祈りと背中合わせで発展してきました。

たくさんのスライドを使い、動画のようにテンポ良く食文化について話してくれた澤内先生。

「歴史や地理を知ると、普段食べているご飯も一味変わって見えてきます。帰ったら、AIなども活用しながら日本の食や地元の歴史について自主学習してみてくださいね」

韓国庭園の「瓦塀」が語る、日韓の知られざる歴史と技術の交差点

勉強会の最後を締めくくってくれるのは、建築や遺跡の瓦文化を追う、京都美術工芸大学教授の井上年和先生です。

「大学の授業で日本の伝統建築を教えているんですが、ふと『瓦って屋根だけじゃなく、建物の土台(基壇)や塀にも使われているよね』と気づいたんです。そこから朝鮮半島の瓦の歴史を調べ始めたのが、今回の調査のきっかけでした」

井上先生は、毎回さまざまな土塀や練塀を紹介してくれますが、今回はとうとう海を渡り、韓国の土塀について! なんと、調査のため、釜山から入ってソウルまで3泊4日の現地フィールドワークを敢行されたそう。

「韓国へ行くと、もう瓦と塀のオンパレード(笑)」と会場の笑いを誘います。

「ソウルなどの都市部はもちろん、地方の河回(ハフェ)村でも、石や瓦を混ぜ込んだ独特の美しい塀がたくさん見られました。丸瓦と平瓦を組み合わせて模様を描くなど、壁自体がおしゃれなデザイン要素になっているんです」

神奈川県立三ツ池公園 コリア庭園で見られるトダム

実は、韓国に行かずとも、日本国内でその美しい韓国式庭園や瓦塀を楽しめる場所があるとのこと。代表的な場所は、平成12年の日韓首脳会談を記念して作られた「熱海梅園(静岡県)」や、「三ツ池公園 コリア庭園(神奈川県横浜市)」、「鶴見緑地公園(大阪府)」などです。

日本の土塀や練塀とはまったく違う韓国の土塀は、井上先生が言うように、デザイン性に富んだものが多くあります。今回も、同じ「土塀」や「練塀」でも、こんなに違うんだな、という新たな気付きを教えてもらいました!

次回の練塀勉強会は、2026年12月13日(日)に開催予定です。テーマは、「奈良の練塀」。参加申し込みは、一般社団法人 練塀文化普及協会の公式ウェブサイトからできるので、チェックしてみましょう。

【練塀勉強会】
vol.11予定:2026年12月13日(日)15:00~17:00
申し込みは一般社団法人 練塀文化普及協会公式ウェブサイト(https://neribei.jp/)でご確認ください

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