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鎖国の時代にも外交があった!? 朝鮮通信使から見る江戸時代の外交【行ってきました!港区文化財セミナー】

2026年4月3日

さまざまな切り口から江戸時代を深掘りし、知られざる歴史の一面と出会える、港区文化財セミナー(港区江戸文化共創協議会/運営:株式会社阪急交通社)。興味深い歴史的ストーリーを教えてくれるのは、一般社団法人 日本遺産普及協会 代表幹事の黒田尚嗣さんです。

第2回セミナーのテーマは「外交」。鎖国の江戸時代は、約260年もの間本当に閉ざされていたのか? 当時の外交に大きく関係する「朝鮮通信使」とはどのような存在だったのか? 江戸幕府の外交の理念や国内にもたらした影響についてひも解きます。

▼第1回の様子はこちらの記事で紹介しています
増上寺「三解脱門」は心の入口? 江戸の平和「パクス・トクガワーナ」を紐解く港区文化財セミナー【行ってきました!】

外交はなぜ必要? 「文化財」と「外交」の共通点とは

黒田先生曰く、「外交の目的は、直接相手と会い、対話や表情などから一次情報を入手すること」。さまざまなメディアの情報は、二次情報、三次情報です。統治するべき人は、一次情報を入手して正しく判断しないと、間違いにつながってしまう、というわけです。

「では、なぜ文化財について学ぶ必要があるのか? 人類が残した文化財は『一次情報』として扱われる重要な存在だからです。先達が残した日本文化を知ることで、日本を、そして日本人を知ることができます」

よく、「何事も自分で見て、聞いて、確かめるのが大切」とも言われますが、まさにこれが「外交の本質」であり、「文化財について知る」こと。

導入の段階で、新たな視点に気づかされた瞬間でした。

「鎖国=孤立」は誤解? 江戸時代の外交と朝鮮通信使

「江戸時代=鎖国時代」とセットで認識している人も多いかもしれませんが、実は完全に海外の門戸を閉ざしていたわけではありません。代表的なところでは、西洋との窓口になっていた長崎。しかし実は4つの海外との窓口があり、それぞれ区分がありました。

『阿蘭陀入船図』,大畠豊次右衛門. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1307087 (参照 2026-03-24)

【商業関係にあった通商国】
・清(中国) ←→ 長崎
・オランダ ←→ 長崎

【正式な外交関係があった通信国】
・朝鮮 ←→ 対馬藩
・琉球 ←→ 薩摩藩

大事なのが、お互いの信頼など友好を意味する、「信(よしみ)」という文字が入っている「通信国」。朝鮮と琉球は、商業における関係ではなく、江戸幕府と外交関係を結んでいる、ということです。

その通り、江戸幕府は12回にわたり、何百人という朝鮮通信使を日本に招請しています。
「朝鮮の使節が将軍に挨拶に行く」というスタイルは、江戸の人々に「将軍は異国にも恐れられている」と、将軍の立場を向上させ、自国の統制を強める効果もありました。

「徳川十五代記略」「朝鮮之使家宣公ニ拝謁之図」(東京都立中央図書館)

港区の高輪大木戸は豪華な外交パレードのスタート位置?

江戸市中への出入口のひとつであった、「高輪大木戸」。当時の旅人たちは、江戸に足を踏み入れる直前、品川宿で正装に着替え、高輪大木戸で最終的な保安検査を受けていました。

もちろん、江戸幕府と外交関係にあった朝鮮通信使も同様。彼らも、正装で江戸城への道を進むことになります。

歌川広重 著 ほか『東海道 : 広重画五拾三次現状写真対照』,東光園,1918. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1873421 (参照 2026-03-24)

高輪大木戸が設けられていたのは、現在の泉岳寺駅の近く。現在は石垣のみが残されていますが、江戸時代は空港の保安検査や入国検査のような役割を果たす、重要な場所だったんです。

石垣と石碑が残る現在の高輪大木戸跡

見たこともないような鮮やかな衣装をまとった朝鮮通信使たちは、高輪大木戸を抜け、いよいよ江戸城に向かいます。

何百人という通信使たちのパレード、江戸の人たちはさぞ驚いたことでしょうね。

朝鮮人來聘大行列畧圖(東京都立中央図書館)

朝鮮通信使は幕府のプロパガンダでもあった? ユネスコ「世界の記憶」にも登録

江戸の人々も、豪華な朝鮮通信使をとても好意的に迎えたそう。

「さまざまな見世物を披露したり、通信使たちと市井の人たちとの交流もありました」というエピソードにほっこりしている間もなく、黒田先生は抜け目ない幕府の視点も教えてくれます。

朝鮮人來聘大行列畧圖(東京都立中央図書館)

「この行列も、幕府の権力を見せつけることに一役買っていますよね。幕府は対外的にも非常に力を持っている、逆らえない、と思わせる最大のパフォーマンス。プロパガンダのひとつになったとも言われています」

豊臣秀吉による朝鮮出兵で一度は国交が途絶えながらも、平和的な関係を再構築し、維持させることに大きく貢献した朝鮮通信使。その外交記録や旅程、文化的な記録は、平成29(2017)年にユネスコ「世界の記憶」に登録されています。

参考:NPO法人朝鮮通信使縁地連連絡協議会「善隣友好の道

▼世界の記憶に登録された増上寺の三大蔵については、こちらの記事で紹介しています
増上寺の「三大蔵」がユネスコ「世界の記憶」に登録! 徳川家の菩提寺に眠る、歴史的資料群

江戸市中では、増上寺~日本橋~江戸城を行進!

高輪大木戸を超え、江戸城に向かう途中に必ず通過する場所が、徳川家の菩提寺でもあり港区を象徴する場所のひとつ、増上寺です。

増上寺 三解脱門

「増上寺の周辺は道幅も広く、幕府からしたら自国の権威を見せつけるのに最適な場所。三解脱門の前を朝鮮通信使が行進する姿は、多くの浮世絵に残されています」

増上寺周辺は、さまざまな塔頭のほか、武家屋敷もあり、幕府の役人や武士、市井の人々が熱心にパレードを見守っていたとのことです。

朝鮮人來朝行列圖(東京都立中央図書館)

朝鮮通信使も感動! 江戸に至るまでの「おもてなしルート」

そんな朝鮮通信使ですが、大阪までは船で、以降は「朝鮮人街道」と呼ばれる陸路などで江戸に向かいました。

実はこの朝鮮人街道は、将軍のために整備された格式高い街道。

「徳川家康が関ヶ原の戦いで勝利した後、上洛した道と言われています。琵琶湖の横を通り、風光明媚かつ縁起のいい特別な街道ということで、通信使たちにも喜ばれるわけです」

各藩も、江戸に向かう朝鮮通信使たちをお接待をして迎えていたそう。セミナーでも、「各地に博物館などの形で残っていますよ」と、実際の写真とあわせて紹介してくれました。

ちなみに、通信使がとても楽しみにしていた場所もあったとか。たとえば、現在の広島県福山市にある「福禅寺対潮楼」です。

福禅寺対潮楼からの景色

「瀬戸内海の素晴らしい景色を一望できる福禅寺は、朝鮮通信使の一行も楽しみにしていた場所。手違いで福善寺に宿を取れないかもしれないと知って、『福善寺に泊まれないなら船を降りない!』なんて言ったとも言われています(笑)」

そして、「『サザエさん』のオープニングにも出てきたことがありますよ」という小ネタも。日本各地の観光名所を巡る国民的アニメにも登場する名勝と知り、みなさんも納得の表情でした!

また、現在の広島県呉市にある下蒲刈は、特に通信使たちが喜んだ場所。

「さまざまな場所でお世話になったけど、食事はもう最高だったと。『安芸蒲刈御馳走一番』と書き記しているんです。接待したのは、浅野藩ですね」

どれも、日本独自の「おもてなし文化」を感じさせるストーリー。「おもてなし」は、脈々と日本人に受け継がれている本能なのかも? と感じた瞬間でした。

朝鮮との国交回復のために国書偽造!? 対馬藩の決断が後の大事件に発展

友好的に思える朝鮮との国交ですが、豊臣秀吉による朝鮮出兵後は関係も悪化しています。では、どのように関係を再構築したのでしょうか?

きっかけは、日本の実情を探るために派遣された朝鮮の僧・惟政(いせい/松雲大師とも呼ばれる)が、慶長10(1605)年に伏見城で徳川家康と会見したことからはじまります。家康との会見後、対朝鮮の窓口であった対馬藩に提示された条件は2つ。

・先の戦争で朝鮮国王の陵墓を荒らした犯人を差し出すこと
・朝鮮より先に徳川家康から国書を提出すること

そこで時の対馬藩主・宗義智(そう・よしなり)は、とても大胆な対応を見せます。

なんと、朝鮮出兵に全く関係のない罪人を陵墓荒らしの犯人に仕立て上げ、家康の国書を偽造することで、出された条件をクリア。朝鮮との国交回復につなげるのです。

しかし、当時の老中・柳川調興(やながわ・しげおき)は藩主である宗を裏切り、幕府に国書改ざんを報告。これが、後に「柳川一件」と呼ばれる事件につながるという訳です。

朝鮮との国交を成功させた立役者・雨森芳洲の教えから現代の外交を考える

朝鮮外交で活躍したのが、朝鮮側の日本語辞書「倭語類解」の編さんにも協力した、雨森芳洲(あめのもり・ほうしゅう)。朝鮮通信使に随行もしており、朝鮮通信使による道中日記「海游録」にも、その活躍が残されています。

「雨森芳洲の姿勢や外交思想は、この先のユニバーサルマナーになるのではないか」と、黒田先生は言います。

理由は、雨森による外交心得書『交隣提醒』で提唱されている「誠信の交わり(誠信交隣)」。

「互いに欺かず、争わず、真実(誠)をもって交わる」という理念です。

セミナーの冒頭で「外交の基本は直接会って、相手の表情を読み取ること」と黒田先生が言っていましたが、リアルで会い、対話を重ねることで、その表情やしぐさから信用に値する相手なのかも判断することができます。

コロナ禍を経てオンライン会議やセミナーも増えましたが、便利な反面、絶対的に補完できない部分もある、ということですよね。

「平和」にこだわったが故の徳川幕府の終焉

嘉永6(1853)年、徳川幕府に今までにない衝撃が訪れます。黒船来航です。

亜墨利加人栗浜上陸之図(東京都立中央図書館)

260年という平和を保った徳川幕府は突然現れた黒船来航の衝撃に大きく混乱。奇しくも長すぎた平穏な日々を原因に、意思決定力や軍事力の低下も相まって、動乱の幕末に向かいます。

この頃、江戸幕府は品川台場に砲台を設けますが、これは戦うためではなく、抑止力を見せつけることで諸外国と話し合うため。つまり、徳川の平和に対するこだわりに変わりはなかった、ということです。

現在の台場公園に残る砲台跡

朝鮮通信使の足跡を辿るまち歩きツアーも! 第3回セミナーのテーマは「文化」

港区文化財セミナーは、座学だけではなく、実際のまち歩きもセットになっているのが最大のポイント!

今回のセミナー翌日に開催された第2回目のまち歩きでは、朝鮮通信使が宿泊した港区高輪の東禅寺や高輪大木戸跡、品川台場など、江戸幕府の外交にまつわる場所をぐるっと散策。歴史的背景を知ってから訪れる歴史跡は、理解度もぐっと深まるはずです。

各所で歴史的背景や誰かに話したくなるトリビアを教えてくれるのは、多くのまち歩き講師を務め「地理バッ地理®」でおなじみの澤内隆先生。

▼芝・増上寺を巡る防災さんぽも、澤内先生が解説してくれました
【行ってきました!】芝公園・増上寺など港区の名所と防災スポットをめぐる「みなとく 防災・観光×イラストさんぽ」

港区の文化財を独自の切り口で知ることができる港区文化財セミナー、次回の開催は2026年5月9日(土)、テーマは「文化」です。申し込みは、港区江戸文化共創協議会の公式ウェブサイトで2026年4月13日(月)から開始予定。

江戸っ子の粋で通な美意識は、令和のいま目にしても、「おしゃれ!」と感動してしまうこともしばしば。第3回セミナー、いまから楽しみです!

港区文化財セミナー
企画:港区江戸文化共創協議会

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