【港区立郷土歴史館】白金台で花開いた日本の公衆衛生意識
20世紀初頭の世界では公衆衛生が注目されていた
先日、こちらの記事で港区立郷土歴史館という立派過ぎる区立博物館の存在を知った私は、記事のアップと同時に、取材を依頼していました。小さな編集プロダクションの媒体に協力してもらえるだろうかと若干の不安もありましたが、ありがたいことにご快諾をいただき、2023年10月某日、港区立郷土歴史館の広報担当である大矢さんのご案内のもと、現地を訪れてのお話を伺う機会を得ました。
大矢さん「当館は、ロックフェラー財団の支援の元、昭和13(1938)年に建てられた国立公衆衛生院の建物を保存しながら活用しています」
こちらの施設が、アメリカの石油王ロックフェラー財団の支援で建てられたという情報は、前回ネットで調べた際にも出てきました。それにしても、どうしてアメリカの石油王ロックフェラー財団が、日本の国立公衆衛生院を建てようとしたのかが分かりません。
ということで、編集部で調べてみました。19世紀になると、ヨーロッパ社会では公衆衛生という考え方が一般化していきましたが、多くの国では20世紀になってもまだまだでした。アメリカでも農村部などでは浸透しておらず、寄生虫や伝染病が猛威を振るい多くの人が苦しんでいたそうです。
そこで、ロックフェラー財団は慈善事業の一環で世界各国に公衆衛生の指導を行う慈善活動を行っていました。大正12(1923)年9月1日の関東大震災の発生を受け、日本にも改めて、公衆衛生の必要性が認知されていました。満州事変などの日米関係が悪化を始めていた時期でしたが、日本政府はロックフェラー財団の総額百万ドルを超える援助プログラムに参加。この支援で国立公衆衛生院を建てたのだそうです。
大矢さん「ロックフェラーの援助を受けて建てられた公衆衛生の研究施設は、世界中に存在しているそうです。イタリアにも当館と同時期に建てられた建物が現存していると聞いています」
国立公衆衛生院は、厚生省所管の日本の公衆衛生に寄与する研究を行う機関として運営されてきました。ですが2002年、国立公衆衛生院は改組され国立保健医療科学院に統合されます。研究機関は、埼玉県和光市へ移転しました。取り残されたこの建物を、港区が取得したのが2009年のことです。
大矢さん「歴史的に貴重な建物を保存しながら改修し、郷土歴史館を中心とした複合施設として2018年にオープンしました」
改めて建物についておさらい
港区立郷土歴史館こと、旧国立公衆衛生院の建物の特徴をおさらいしておきます。この巨大な建物を設計したのは、建築学者で建築家の内田祥三(よしかず)。東京帝国大学建築学科で構造計算法と鉄骨および鉄筋コンクリートの講義を担当し、多大な実績を残しました。関東大震災後の東京帝国大学構内の復旧も指導しており、有名な東大安田講堂などを設計しています。
特徴は内田ゴシックと呼ばれるデザインです。
内田ゴシックでまず目につくはスクラッチタイルで覆った壁面。それまでの国内洋風建築は、煉瓦造りでしたが、内田は煉瓦に見えるスクラッチタイルを用いることでデザイン性と、工期短縮の両立を実現しました。
大矢さん「スクラッチタイルの壁面は、関東大震災後から昭和初期にかけて大流行したそうです」
犬小屋と呼ばれるポーチ(入口)の設計も特徴的です。いわゆるヨーロッパのゴシック寺院のような鋭い尖塔を思わせる頭頂部と、その下一杯を使って作られたアーチ構造が犬小屋のように見えることから名づけられています。この特徴は東京大学の本郷キャンパスに数多く残っています。
大矢さん「当館の南エントランスでも見ることができますよ」
いざ、かつてこの建物で学んでいた人たちの痕跡を探す旅へ
今回は有料の展示室部分以外の建物の見どころを案内してもらいました。この建物は、地下1階、地上6階、搭屋4階、延床約15,000㎡と、とにかく巨大です。現在は、耐震補強などを施したうえで、地上6F部分のみ一般の方は入場可能となっております。
せっかく案内していただいたので、今回の記事は、普通に見学しているだけでは気づくことのない、この建物ならではの見どころポイントを紹介させていただきます。
6Fの見どころその①……女子寮の床
建物の6Fは主に保健師の資格を取得しに来た女性のための寮として使用され、約40室の居室が配されていたそうです。この建物は、入ってきて最初に目に入る天然大理石敷の吹き抜けホールで知られていますが、この6Fは底冷えしないよう、温かみのある木製のフローリングブロックが敷かれております。当時の生活感が感じられるポイントです。なお、昭和50(1975)年に近くに別途女子寮が作られたため、この6Fの女子寮は廃止され、その後、研究室やコンピュータ室として使用していたそうです。
6Fの見どころその②……富士山の眺望!?
6Fを巡っていると不自然な行き止まりの空間がありますが、実はここ、寮生たちのための浴室があった空間。白金台駅付近は海抜30m程の高台で、できた当初は周辺に高層マンションなんてありませんでした。
大矢さん「建物の周囲に生い茂っている木もまだ、小さな若木でしたので、6Fの窓からは富士山が綺麗に見えていたのではないかと思われます」
この日は良い天気だったのであわよくばと撮影に挑戦してみたのですが、そううまくはいきませんでした。お風呂に入りながら富士山を眺められたなんて、うらやましい寮生活ですね。
4F~5Fの見どころ……驚くほど質素な吹き抜け構造
この建物には2F~3F、4F~5Fと、建物内に異なる2か所の吹き抜けが設けられています。パンフレットに掲載されている大理石の豪奢な吹き抜けホールは、来客が最初に入ってくる2F~3Fです。来客を迎えるためのホールですので、豪華に作られたそうですが、4F~5Fのホールは、研究員や学生が行き来する場ですので派手にする必要がないということでしょう。とてもシンプルに作られており、比較してみると設計思想がはっきりと表れています。
4Fの見どころ①……講義室にひっそりと隠れていた古材
4Fにはかつての講義室が、来館者の休憩室として開放されていました。こうやって黒板がかけられていると、実際にこの建物に研究者や学生が集っていたんだなと実感します。
大矢さん「この建物を一般公開するにあたり、建築当初と現在では避難経路の確保方法やバリアフリー基準が異なるため、そのまま利用することができず色々と手を加えたそうです。ちなみに、先ほど少し気にされていた部屋の隅に置かれているテーブル、何だと思いますか?」
どうやら、格子状の木組みが透けて見えるガラステーブルに、私が違和感を感じていたのを見られていたようです。
大矢さん「実は、建物の改装を行った時に出た、通気口部分の廃材を利用して作られています」
言われて見れば、通気口そのままで面白いです。
ちなみに、休憩室の隣の旧講義室は、ギャラリーとして活用されています。取材をした当日は、開催中だった特別展「ある図案家の仕事 -宮中の染織デザイン-」に関連し、港区に長年居住していた図案化の中山冝一(1884-1970)の図案を使ったぬり絵の彩色作品が展示されていました。
4Fの見どころ②……エレベーターの使い方を啓蒙する注意書き
4Fの廊下を歩いていると壁面に不自然なボタンと注意書きが貼られていました。実はこの壁部分に、建物ができた当初はエレベーターが設置されていたのだそうです。
日本で国産エレベーター一号が作られたのは大正4(1915)年のこと。その後、大正12(1923)年に起きた関東大震災発生の建て替え需要も重なり、国産エレベーターメーカーが急増しました。旧国立公衆衛生院が完成した昭和13(1938年)年は、まさにエレベーターが全国へ普及している真っ最中であり、この注意書きからは、当時のエレベーターに対する一般人の知識量がうかがえます。
此ノ釦(ボタン)ヲ押セバ乗籠ガ来マス。
乗籠ガ止マツテカラ扉ヲ開ケテ
御乗リ下サイ。
運轉(うんてん)中は釦ヲ押シテモ無駄デス。
ここにあったエレベーターは、乗籠が止まってから、人力で扉を開ける必要が有ったのですね。
それにしても
“運轉(うんてん)中は釦ヲ押シテモ無駄デス。”
の一言がよい味を出しています。
大矢さん「このプレートの文言は、グッズ化を画策しております(笑)」
4Fの見どころ③……あの人気ドラマのロケで使われた旧講堂
4Fの廊下を歩いた先には、全340席の講堂が、当時の姿そのままに保存されています。いまでも現役で使えそうな雰囲気ですが、実際には、席間や通路の幅が現在の基準に合わないため講義やイベントで使用することはできないそうです。
大矢さん「講堂と名付けられているように、式典や偉い方々を前にした職員たちの研究発表会で使われることが多かったそうです。当時を知る方に話をきくと、この部屋に対しては、緊張しながら自分の発表を待っていた記憶しかなく、いい思い出はないとおっしゃるそうです」
雰囲気のある講堂の講壇左右を飾るレリーフは、設計者の内田祥三の建築に度々作品を提供している彫刻家の新海竹蔵のもの。
旧講堂は最近では、テレビドラマやCMの撮影に使われているとのこと。
因みに、正面入り口も1954年公開の『ゴジラ』のロケでも使用されており、何かと映像作品に縁のある建物なのだそうです。
3Fの見どころ①……やけに低い書庫の入り口
ちょうど、旧講堂の真下にあたる位置に現在は図書室としても公開されている書庫があります。注目すべきは、その書庫の入り口の低さ。わざわざ「頭上注意」の看板が設置されるほど入り口が低くなっています。実はこれ、設計当時に設置された防火シャッターのせいだそう。設計した内田は関東大震災によって、所属していた東京大学の図書館を焼失した経験を持っていました。そのため公衆衛生院を建築するにあたり、何よりも、蔵書を守るということを重視したとのことです。
3Fの見どころ②……旧院長室に設置された公衆衛生院ならではの設備
3Fに残る旧院長室は、旧国立公衆衛生院のなかで、もっとも豪華な部屋となっています。木目調で統一された内装は、見ているだけで心を落ち着けてくれます。よく見ると、床の木製タイルも、わざわざ切り出して三角形の模様を描くように装飾されており、シックなのに、手間がかかったつくりになっていることがわかります。
大矢さん「天板は、ベニヤ板で作られています。現在ではベニヤ板というと安価な木材の代表格となっていますが、昭和13年当時は、最新の技術を用いた大変高価な建材だったそうです」
面白いのは、この部屋の入口右手奥に、わざわざ洗面台が設置されているところです。
大矢さん「公衆衛生の基礎は手洗いうがいからということかもしれませんね。隣の次長室にも、洗面台が設置されていますよ」
2Fの見どころ①……触ってOKの土器や骨格標本!
コミュニケーションルームの中は「さわれる展示室」となっており、巨大なクジラの骨格標本や、土器を実際に触ることができます。学芸員さんがいる時間帯でしたら、実物を触りながら解説してもらうこともできるそうです。
2Fの見どころ②……大理石張りの通路に残る意外な痕跡
正面入り口を抜け、中央ホールへ向かう途中に、右折する通路があります。
普通に見学しているとスルーしてしまいそうになる細い通路なのですが……。
大矢さん「この通路の床と、壁面をよく見てください。実はここも天然大理石でおおわれています。しかも、元々ここは男子トイレだったそうです」
外から来た来客が最初に訪れるトイレなので豪華にしたということでしょうか。天然大理石でおおわれたトイレ。なんて贅沢な空間でしょう。大矢さんが指さした先を見ると、確かに、男性用小便器を設置していたであろう痕跡がくっきりと残っていました。
1Fの見どころ……カフェの壁面は京都の近代美術工芸品だった
1Fには八芳園プロデュースのカフェや学校歴史資料展示室が設けられています。
カフェは、歴史館利用者だけでなく、近所のお母さん方や、テレワークをする方などでにぎわっているそうです。このカフェと学校歴史資料展示室に用いられている柱に貼られているタイルが、とても貴重なもの。
このタイルは、大正6(1917)年に、京都の南区・東九条に設立された泰山製陶所で作られた”泰山タイル”という建築装飾。洋風建築の需要が伸びた明治期から昭和期にかけて、大量生産品とは異なる表情を見せるタイルとして生み出され、美術工芸品として近代の名建築の壁面を覆うことになりました。
このタイルは特に関西圏に多く残っているそうですが、それらはもっと色鮮やかです。一般的に、泰山タイルというと派手な色が特徴として挙げられるのですが、とてもシックな風合いで珍しいです。
前庭の見どころ……ただの池と思いきや実験施設の跡地
建物正面に水をたたえる人口の池。ゴシック風の建物との対比が美しい装飾か……と思われていますが実際はまるで違うそうです。
大矢さん「この池は、浄水実験を行うために設けられた施設の一部だそうです」
説明を受けるまで、完全にスルーしていました。
大矢さん「ちなみにですが、池の脇に置いてあるオブジェ、変な形ですよね。実はこれも、研究所内の実験により生じたガスや空気を外へ逃がすための煙突の先端だと聞いています。いまも屋根の上には、同じものがまだ数個のこっているんですよ」
美しさにひかれて立ち寄るだけで見どころ満載の建物であることは間違いないのですが、今回大矢さんの案内を受けて感じたのは
ちゃんとした案内を受けることによって、その魅力が何倍にも跳ね上がるスポットだということです。
「旧公衆衛生院 建物ガイドツアー」の名称で、定期的に職員の案内によるガイドツアーが開催されているそうですので、港区立郷土歴史館の公式HPをチェックしておくのが絶対におすすめです!!
【港区立郷土歴史館】
住所:東京都港区白金台4丁目6−2
時間:9:00~17:00、土曜8:00~20:00
※有料展示室の受付は閉館の30分前まで
休館日:毎月第3木曜(祝日等の場合は前日の水曜)、年末年始(12月29日~1月3日)
観覧料:建物見学無料、常設展観覧料 大人 300円、小・中・高校生 100円
アクセス:東京メトロ/都営地下鉄白金台駅「2番出口」より徒歩1分