港区の坂・「日吉坂」
様々なスポットに囲まれた日吉坂
日吉坂は、白金2丁目と白金台1丁目の間にある坂です。
地下鉄南北線・三田線の白金台駅から、目黒通りを桜田通り方面に向かう際の坂がそう呼ばれています。
上記の通り目黒通りの一部なので、4車線の広々とした通りです。大変賑やかな往来になっています。
周辺には東京大学医科学研究所や八芳園などがあり、坂上をさらに目黒方向に進むと東京都庭園美術館と国立科学博物館附属自然教育園もあるなど、白金エリアの重要なポジションにある坂です。
名称の由来は、能役者・日吉喜兵衛が付近に住んだためと伝わっています。
北里柴三郎の怒りと医科学研究所
周囲には寺院も多く、車の行き来を除けば落ち着いた雰囲気がある日吉坂。
しかし、大正時代にはこの近くで日本の医療に関わる大騒動が起こっていました。
その舞台は、日吉坂上にある現在の東京医科学研究所です。
1906年、芝にあった伝染病研究所がこの白金台に移転してきます。
伝染病研究所は、1892年に北里柴三郎が福沢諭吉らの支援で設立したものです。
しかし、国立化していた伝染病研究所は、1914年に内務省から文部省に移管されます。この移管は所長であった北里に無断で決定され、文部省と繋がりをもつ東京帝国大学(現在の東京大学)による事実上の乗っ取りだったとされています。
当然北里は移管に反対し、所長を辞任。その後北里は独自に「北里研究所」を設立、さらに慶応義塾大学医学科設立に携わり、志賀潔や野口英世といった日本の医学史にとって欠かすことのできない人材たちの育成に携わっていきます。
その後、日本国内の衛生状態が改善したこともあり、伝染病研究所は1967年に医科学研究所に組織改編され、現在ではがん・感染症や難病などに対する最先端の医療を研究する場となっています。
医科学研究所の敷地内には、近代医科学記念館が開設されており、当時の難病との闘いを示す貴重な資料から、最新のゲノム医療に関するものまで様々な展示を見ることができます。