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歴史ミステリー②開業ホヤホヤ!「高輪ゲートウェイ駅」に眠る遺構「高輪築堤」

2023年11月2日

「高輪ゲートウェイ駅」とは

2020年に開業した、JR山手線・京浜東北線の駅「高輪ゲートウェイ駅」。山手線内の駅としては約50年ぶりの開業となる同駅は、折り紙をモチーフにした屋根や和の雰囲気を感じさせる構内、AIやロボットなど最新技術を生かしたサービスで大いに話題になりました。

高輪ゲートウェイ駅付近は、古来より街道(東海道)が通じ、江戸の玄関口として賑わいをみせた土地。国際交流拠点を目指す新街において、新駅が、過去と未来、日本と世界、そして多くの人々をつなぐ結節点として街全体の発展に寄与するよう、この名が選定されたそうです。

駅付近では、JR東日本によって、品川地区を開発する「TAKANAWA GATEWAY CITY」プロジェクトが進行中。複合棟や文化創造棟など、さまざまな施設が並ぶ巨大な「まち」を形成する予定です。

賑わいの名残を遺す「高輪大木戸跡」

「高輪ゲートウェイ駅」の由来にもなったのが、往時の繁栄をしのぶ貴重な痕跡の1つ「高輪大木戸跡」。

江戸時代、旅人や送迎客でにぎわう街の治安を維持するため、1710年(宝永7年)、主要街道の1つ「東海道」の両側に、石垣を築くことになりました。その設置された石垣の跡が「高輪大木戸跡」です。

明治初年に西側は撤去されてしまいましたが、国道15号線(第一京浜国道)沿いにある、東側は現在でも残されています。

史跡に指定された「高輪築堤」

1872年(明治5年)に日本初の鉄道が開業した際、新橋―横浜間の約2.7kmは、海上に「堤」を築いてレールを敷き、その上を蒸気機関車が通っていました。

その海上鉄道敷の遺構が鉄道構造物が、「高輪築堤」です。港区教育委員会などの調査を経て、2021年(令和3年)には、「旧新橋停車場跡及び高輪築堤跡」と国の指定史跡に指定されました。

「旧新橋停車場」とは?詳細は下記をチェック!

歴史ミステリー①「新橋」「汐留」駅名の謎~日本鉄道の起点・旧新橋停車場を探る!~

海上を蒸気機関車が走ったワケは……? 最新研究で再び謎のベールに

そもそも、明治政府は、なぜ海の上にレールを敷かなければならなかったのでしょうか。これまでは、鉄道敷設に尽力した井上勝や大隈重信が遺した記録などから、「兵部省が測量に反対した」という説が信ぴょう性があると考えられてきました。

しかし、高輪築堤の発見以降、この説に異を唱える研究者も出てきていました。高輪築堤の建設が決まった時期は、兵部省が難色を示すよりも前のこと。何かほかの事情があったのではないか、と考える研究家たちの間で、諸説が議論されています。

謎のベールに包まれたまま、一部区域は現在でも調査が進められている高輪築堤。果たして、真相が明らかになる日はくるのでしょうか?

旧い物と新しき物。両社の共存は、時に難しい場合もあります。しかし、高輪は今この時も、重要な遺構を遺しつつ、複合都市へ生まれ変わろうと開発が進められています。

旧き時代のロマンと、斬新な未来都市をつなぐステーション――そんな「高輪ゲートウェイ駅」の進化から、当分目が離せそうにありません。

関連記事:歴史ミステリー③はこちら↓

歴史ミステリー③新橋駅に実在!「幻のホーム」の謎と現在を探る

【高橋ゲートウェイ駅】
路線名:JR山手線、京浜東北線
住所:東京都港区港南2丁目1

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