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港区歴史探索・地名のヒミツ 「竹芝」

2023年10月10日

「竹芝」という地名はどこから?

海に面した竹芝ふ頭公園(東京都港区)

竹芝と云う地名は、かつては存在していたものの、現在は残ってはいません。

「竹芝町」は、昭和2年(1927年)、明治期以来の埋立地に誕生した町です。港区が誕生したとき、ほかの「芝浦町」と同様に「芝」の字が付きましたが、昭和40年(1965)の表示変更により、現在の「海岸」とひとくくりになりました。

では、その「竹芝町」は、どこから出てきたのでしょう?

あの「更級日記」にまで遡る!?

一説によると、「竹芝町」の名前は、竹芝寺にまつわる「竹芝伝説」に由来している可能性があります。

竹芝寺は、現在の三田の聖坂辺りにあったとされる寺院。その竹芝寺にまつわるエピソードとして語り継がれているのが、『更級日記』の一節、「竹芝伝説」です。

『更級日記』は、平安時代の貴族の女性・菅原孝標女が記した回想録。

1020(寛仁4年)、上総国司の任を終えた父・菅原孝標とともに帰京中だった作者が、武蔵国を通った折、地元の男性からとあるエピソードを耳にする……という体で詳細が述べられます。

ざっくばらんに伝説をはしょると、武蔵国出身の衛士が京に召し上げられたのですが(今でいうとかなりの出世)、衛士は故郷を懐かしんでばかりいました。衛士は京の姫君と親しくなるのですが、「そんなにいいところなら自分も見てみたい」と姫もノリノリになり、ともに郷里の武蔵国へ逃げ帰ります。

姫がいなくなった京では「姫が誘拐された!?」と大騒ぎ。じきに追っ手に見つかりますが、武蔵国が気に入った姫は、都へ帰ることを拒否。結局、衛士の男性もお咎めなしとなり、武蔵国の支配を任され、姫とともに幸福に暮らしたそうです。そして姫の亡き後、住んでいた家が「竹芝寺」となった……という伝説です。

身分の差を力技で乗り越え、駆け落ち同然だった2人。このエピソードに感化された菅原孝標女が記録に残し、それが現代の地名に残ったのだとしたら、なんともロマンチックですね。

【竹芝駅】
路線名:ゆりかもめ
住所:東京都港区海岸1-13-10

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