新たに誕生した旧い建築!「港区立伝統文化交流館」ってなんだ!?
先日、弊社代表が打合せの帰りに見つけたという1枚の写真を送ってきました。
「……え?都内にいると思ってたのに……京都?」
映っていたのは、京都の町家を思わせる立派な日本家屋。
どうやら、この建物、港区芝浦にある「港区立伝統文化交流館」らしいです。
開館日は……2020年4月????
実は超貴重な建築物だった「港区立伝統文化交流館」
気になったので、「港区立伝統文化交流館」の公式サイトを覗いてみました。
何々……。
>当施設の建物は港区の指定有形文化財である「旧協働会館」を活用しています。
>「旧協働会館」は、昭和11年に芝浦花柳界の見番として建設された、都内に現存する最古級の木造見番建造物です。
え!?めちゃくちゃ貴重な建物だってことじゃないですか!!
しかも、もともと「見番」だったなんて!
見番というのは、花街でお客さんを楽しませる女性・芸者さんに関係する業者を、取りまとめる事務所のことです。芸者さんの所属する「置屋」、芸者さんが派遣される「料亭」、芸者さんと遊ぶための場所を貸す「待合」を取りまとめることで、芸者のスムーズな派遣を実現し、遊興費の清算トラブルを未然に防いでいました。
江戸時代から同様の事業所は存在していたため、当時の滑稽本にも頻繁に登場しており、古典や時代劇が好きな人にはおなじみのお店だったりします。
そんな、見番が、まさか港区にあったなんて!!
明治維新後に発展した芝浦エリア
調べてみると江戸時代、現在の芝浦一帯は干潟だったようです。辺りにはのどかな漁村しかなく、花街などができる素地はまるでありませんでした。ところが、明治5(1872)年、新橋~横浜間に鉄道が開通したことで状況が一変しました。
上の画像は、開通したての鉄道路線を描いた錦絵です。右側、町が連なっているあたりが、現在の芝浦~増上寺です。
鉄道の駅ができたことで、鄙びた漁村は、都心から気軽に行ける風光明媚な観光地となったのです。温泉旅館や料亭が立ち並び、海水浴、花火や潮干狩りを楽しむ人が押し寄せました。人が集まるところに花街が出来上がるのは自然な成り行きでしょう。
「港区立伝統文化交流館」の前身となる見番は、この花街のとりまとめのため昭和11(1936)年に建てられたそうです。
戦後は、花街の衰退と入れ替わるように港湾労働者の宿泊所「協働会館」として使用されていましたが、平成12年3月に老朽化のため閉鎖。しかし、地域から保存・活用を求める声が多く、2022年4月に「港区立伝統文化交流館」として生まれ変わったそうです。
驚いたことに、内装ををモダンに作り替えるようなことはなく、基本的には当時の作りを活かしたまま使用されているようです。地域の歴史を展示したコーナーや、喫茶室なども用意されているみたいなので、次はきちんと許可をとってもっと細かく取材をさせてもらおうと思います!
【港区立伝統文化交流館】
住所:東京都港区芝浦一丁目11-15
時間:10:00~21:00
館日:年末年始(12月29日~1月3日)、臨時休館日(設備の保守点検等)
入館料:無料
アクセス:JR山手線・京浜東北線田町駅「北口」より徒歩8分、都営地下鉄三田駅「A7出口」より徒歩9分
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