
徳川家ゆかりのパワースポット「増上寺」とは?
「ユネスコ世界記憶遺産」登録の文化財も紹介!
東京タワーや六本木ヒルズ、高級住宅街などのイメージがある港区ですが、都心の喧騒を忘れさせるスポットも実は点在しています。
今回は東京タワーのふもと、芝公園にある増上寺について紹介していきます!
近年では、安倍晋三元首相の葬儀が営まれたことでも話題になりましたね。
正式名称は「三縁山広度院増上寺」で、浄土宗の大本山(総本山に次ぐ寺で所属の寺院をまとめ上げる寺院のこと)に位置づけられる格式の高い名刹として信仰を集めています。増上寺を開いた「法然上人(しょうにん/僧の敬称)」の教えを広めるとともに、浄土宗の僧侶の育成も行われているそうです。
ほかにも増上寺には重要文化財の門や、徳川将軍家のお墓などもあり、勝運や厄除けにご利益があるパワースポットとしての顔も知られています!
600年以上の歴史を持つ、名刹「増上寺」の歴史や魅力を探っていきましょう。
浄土宗 布教の拠点として開山
増上寺の前身は「真言宗光明寺」であったといわれ、9世紀に真言宗の開祖である空海(くうかい/774~835)の弟子・宗叡(しゅうえい/809~884)により創設されました。その後、明徳4年(1393)に浄土宗の僧侶である酉誉聖聡(ゆうよしょうそう)が真言宗から浄土宗に改宗し、寺号を「増上寺」に改めたそうです。
浄土宗を開いた法然(ほうねん/1133~1212)の教えを継承した8人の僧侶は「鎮西八祖(ちんぜいはっそ)」と呼ばれ、その第八祖とされていたのが酉誉聖聡でした。
元々の寺院の場所は、現在の千代田区平河町から麹町にかけての土地に所在していて、室町時代前期には「貝塚」と呼ばれていました。
増上寺は戦国時代まで関東における浄土宗の重要な拠点として存在していましたが、江戸時代に入ると徳川一家の菩提寺としての顔も持ち合わせることとなります。
徳川家康と住職・存応(ぞんのう)が結んだ師檀関係
天正18年(1590)、徳川家康公(1542~1616)が関東の地を治めるようになってまもなくのことです。
当時、家康が増上寺の住職だった源誉存応(げんよぞんのう/1544~1620)を尊崇していたことから、増上寺は徳川家の菩提寺に選ばれました。菩提寺というのは先祖代々のお墓がある寺院のことで、徳川将軍家の葬儀や法要など仏事全般を行っていました。
増上寺の境内には6人の徳川家将軍のほか、女性では将軍正室と側室が5人ずつ、将軍の子女を含めると38人のお墓があります。将軍一家との深いつながりがうかがえますね。
慶長3年(1598)には江戸城の堀やまちの整備に伴って現在の芝に移転し、のちに幕府によって三門、本堂、経蔵、方丈などの伽藍(がらん/僧侶が集まり修行をする場所。寺院の主要建造物群)が整えられ、大きく発展していきます。

東京タワー展望台から望む増上寺
浄土宗の事務を統括!僧侶の養成所としての役割も
増上寺はほかにも一般の寺院と異なる役割を持っていました・・・
1つ目は、僧侶の養成センターとしての役割です。浄土宗ではその地で学び、修行をすることで僧侶の資格が得られる18の寺院が関東各地にありました。その、「十八檀林(じゅうはちだんりん)」のなかでトップの座を持っていた増上寺には、常時3,000人もの修行僧がいたそうです。
2つ目は、幕府からの連絡を各寺院に伝達する「総録所(そうろくじょ)」としての役割です。幕府にはお寺や神社を監督する「寺社奉行(じしゃぶぎょう)」という部署があり、寺社奉行からの命令を、全国の浄土宗の寺院に向けて発信する重要な業務が増上寺で行われていました。
「勝運UP」「子どもの無事成長」などパワースポットが点在
増上寺とゆかりのある徳川家康が出陣の際に持ち出し、必勝祈願をしたとされる「秘伝黒本尊」は勝運の仏様として知られ、江戸時代以降「勝運」「厄除け」「諸願成就」のご利益があるとして信仰を集めました。
そんな「黒本尊」という名前は、長年人々があげたお線香の煙で黒くなったことから家康公が名付けたといわれています。黒本尊の阿弥陀如来像は、増上寺の「安国殿」というお堂に安置されていて、黒色で染め上げられたお守りや御朱印が名物になっています。
境内北側には赤いニット帽や、よだれかけが印象的なお地蔵さまが並ぶフォトジェニックなスポットも!
こちらの子育地蔵尊はなんと約1,300体もあり、たくさんの風車とともに楽しむことができます。子どもの「無事成長」「身体健全」「水子供養」を目的に建立されました。
毎年4月の第3日曜日には「千躰子育地蔵尊大法要」が行われ、たくさんの人でにぎわいます。

ずらりと並ぶ千躰子育地蔵尊は、安国殿の北側にあります。
廃仏毀釈や戦争から守り抜かれた増上寺の宝物
増上寺には、江戸初期の面影を残す唯一の建造物「三解脱門(三門)」※2025年8月末まで保存修理のため工事中や、寛永9年(1632)三代将軍・徳川家光公(1623~1651)によって境内南側に造営された建築群「台徳院殿霊廟(たいとくいんでんれいびょう)」の模型がみられる「増上寺宝物展示室」など、みどころが点在!
さらに、境内には仏教開祖・釈迦(生没年は諸説あり)の教えをわかりやすくまとめた「仏教聖典」のシリーズ集『三大蔵(さんだいぞう)』が所蔵されています。中国の南宋時代など12~13世紀にかけて制作された1万2,000点に及ぶ木版の経典をまとめたもので、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく/明治維新で起こった仏教を排斥する運動)や火災による大殿の焼失、戦禍も乗り越え、ほぼ完全な状態で残されています。
この経典が今年、2025年4月17日にユネスコ「世界の記憶」に登録されることが決まりました!
ユネスコの「世界の記憶」は世界的に重要な記録物を人類の財産として保存、活用することなどを目的とした制度です。仏教学の世界的な基盤形成に貢献した点、文化財としての希少性などから歴史学・言語学などの分野で重要な役割を果たした点が評価され、登録に至ったそうです。
「台徳院殿霊廟模型」をはじめ、増上寺が所有する貴重な資料や文化財がみられる「増上寺宝物展示室」は、本殿の地下1階にあります。増上寺にお越しの際にはぜひチェックしてみてください!
※『三大蔵』は一般公開されていません

増上寺の旧総門で地名の由来になっている「増上寺 大門」。地下鉄浅草線・大門駅から東京タワーに向かって歩いた、徒歩5分のところにあります。
ゆかりの人物やエピソードを知ると、史跡散策の楽しみ方もぐっと変わりますよね。
増上寺についてはこちらの記事でも触れています!「いざまち」過去記事では、増上寺周辺に点在する神社仏閣に関してもたくさん取り上げていますよ。
東京タワーや虎ノ門ヒルズなど港区周辺を観光する際には、名刹 増上寺まで足をのばしてみるのはいかが?
【浄土宗 大本山 増上寺】
住所:東京都港区芝公園4-7-35
時間:9:00~17:00
アクセス:JR線・東京モノレール 浜松町駅から徒歩10分、都営地下鉄三田線 御成門駅から徒歩3分、芝公園から徒歩3分、都営地下鉄浅草線・大江戸線 大門駅から徒歩5分、都営地下鉄大江戸線 赤羽橋駅から徒歩7分、東京メトロ日比谷線 神谷町駅から徒歩10分
増上寺宝物展示室
休館日:毎週火曜(火曜が祝日の場合は開館)
入館料:大人700円、中高生300円、小学生以下無料 ※徳川将軍家墓所拝観共通券1,000円