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【虎ノ門 丁子屋】和服は究極のSDGs!? 虎ノ門の老舗呉服店の新たなる取り組みに迫る

2024年7月11日

突然ですが、皆さんは呉服店へ入ったことありますか? 自分のサイズにあった、お着物を拵えたことは?

こと、都会で暮らす現代人にとって、日本伝統の服である和服に袖を通す機会というのは希少になってしまっております。

そんな現代日本で、最もあくせくと働くサラリーマンが集っていると思われる虎ノ門。その象徴である虎ノ門ヒルズの片隅に、老舗呉服店が営業されていることはご存じでしょうか?

今回は、東京屈指の老舗呉服店である「丁子屋」の歴史について、6代目女将・小林 絵里さんにお話を伺ってまいりました。

お話を伺った、6代目女将の小林  絵里さん

近江商人の心意気を代々受け継ぎ226年

呉服店である丁子屋の前身となる店が創業したのは寛政10(1798)年のこと。創業の地は、近江(現在の滋賀県)だったそうです。近江といえば、「近江商人」呼ばれる商才に溢れた商売人を、江戸時代から立て続けに輩出した地です。現在に残る大企業のなかにも近江商人から成った企業は多く、特に「三方よし(さんぽうよし)」という近江商人の経営哲学は、現在も商売をする方々の心構えとして定着しています。三方よしとは、売り手、買い手、社会の全てが満足する商いを行うべきという考え方です。

創業して二年目の寛政12(1800)年、跡継ぎとなる小林吟右衛門が誕生します。吟右衛門は、近江商人の心である三方よしの哲学に則り、15歳の頃から父に付き添い呉服の行商を開始しました。やがて、天保2(1832)年、江戸堀留町(現座の日本橋)に進出し、呉服・太物の専門店である丁子屋を開業しました。扱っていたのは木綿生地が多く、絹などを扱う高級店というよりは、庶民の方も買い物のしやすい大衆店だったそうです。

明治時代、日本橋にあった丁子屋の小林家の分家として横浜でシルク商をしていた小林光太郎が、手にした財をもとに丁子屋の二号店を開くことになります。候補地として挙がったのが、新宿虎ノ門。この時、虎ノ門を選択し、明治35(1902)年に虎ノ門に丁子屋が誕生しました。愛宕山下通り沿いの丁子屋として親しまれていたそうです。

それから現在まで、再開発などに巻き込まれながらも、丁子屋さんは営業を続けていらっしゃいます。本家の小林家のほうは呉服店はやめられたそうですが、京都でホテル産業に従事し現在も続いていらっしゃると小林さんは教えてくださいました。

ちなみに、丁子屋の屋号の”丁子”とは、ハーブやスパイスとして知られるクローブのことです。紀元前からアジア全域で貴重な香料や薬草として大切にされており、和柄として定番の「宝尽くし」にも描かれているそう。

右側に描かれている不思議な形の木の実が丁子。クローブの木の実を象っており丁子屋のロゴもこれを用いている

「丁子は縁起のよいものでしたので、かつては様々な商店で屋号に用いられていたそうですよ」

気楽な嫁入りのはずが一転、女社長として数多の職人を預かる立場へ

小林さんは、もともと大手企業の人事部で働いていたキャリアウーマンだったそうです。ですが、現在の旦那さんと出会いご結婚。仕事を退職されます。とはいえ、自分がこのような伝統ある呉服店を継ぐことなど、全く考えていなかったと仰います。

畳の間は、お客様と目線を合わせてお話をしたいという先代女将のこだわりで用意された

「先代にあたる5代目の大女将は、夫の叔母にあたります。先代にはお子さまがいらっしゃらなかったので、夫に6代目をと期待していたのかもしれませんが、夫は斜陽産業である呉服店などに興味もなく、いまも普通にサラリーマンをしています」

と笑っていらっしゃいました。

「もっとも、先代は、“着付け教室だけでも手伝ってみない?”とちょこちょこと声をかけて下さっていたので、何かしら思惑はあったのかもしれませんね」

全く和服に興味のなかった小林さんでしたが、先代のお店を大切に想う姿を見つめ、自分が少しでも力になれるならとやがてお店を手伝うようになっていきました。

「最初は、着物の生地の長さを測る竹尺の使い方すら先輩に怒られましたよ。職人さんって昔気質の人が多いから使い方を間違っていると竹尺で指先をピシっと叩かれてね」

ですが、諦めることなく少しずつ和服の知識を身に着けていくことで、小林さんのなかで持ち前の凝り性な部分が頭をもたげてきます。その努力が実を結び2016年には丁子屋の6代目女将を継ぐこととなりました。

「とはいえ、先ほども申し上げましたが呉服店というのは斜陽産業。なので、ただ継いだだけでは、終わりを待つことしかできません。こうして畳に座っているだけでは潰れてしまうので、集客をしていかないと」

小林さん曰く、東京都内の呉服店はこの30年間でおよそ10分の1にまで減少してしまっているそうです。これだけ普段着物を着ることがなくなってしまった現代では、和服需要もないでしょうから、悲しいですが納得できる数字だと感じてしまいます。そのような時代に、女将を継いだ小林さん。異業種で働いていたという、良い意味で呉服店の伝統にとらわれない発想で、次々と新しい取り組みを始められました。

小林さんが丁子屋を残すためにまず目を付けたのが、着付けの教室の客層です。

「虎ノ門ヒルズの開発により、このあたりは都内有数のオフィス街へと変わりました。そこで、普段和装を楽しまれている方だけでなく、近隣のOLさんたちに向けて、着付け教室の門戸を開くようにしたんです。若年層は、和服を着てみたいけれど着物を持っていない方や、どんな物が和服に必要なのかわからないという方がほとんどです。そういった方々の需要を掘り起こし、まず着物に触れてもらうきっかけをつくりたいと思いました。おかげさまで現在、生徒さんは20代から70代まで。幅広い年代に渡っています

特別な道具を使わずに着付けの基礎を教えてもらえる着付け教室。問い合わせすれば無料で見学でできる

さらに、小林さんは近年の呉服店では必須のサービスとなっている「着物レンタル」についても、オリジナルの手を加えます。

着物って、畳んでも片づけにくく、洋服よりも場所をとるんです。だから、箪笥の奥底に眠ったままになりがち。銀座などの昔馴染みのお客様の所へ伺うと、おうちの中には、ほとんど着られることのない素敵なお着物が眠っていらっしゃいます。そして、丁子屋には、レンタルで構わないので着物を来てみたいという方が来られる。この2つを繋いでしまおうと考えました」

小林さんは、馴染みのお客様や新たなお客様になってくださいそうな方のお宅へ伺い、箪笥の奥に眠っているけれど売りたくはない大切な着物を、お預かりして保管するというサービスを始めました。お預かりした着物は、丁子屋でレンタル着物としてお客様に貸し出すことも可能です。レンタルで貸し出された場合は、持ち主のお客様にレンタル料が入ります。こうすることで、着物を捨てたくはないけれど着る機会も保管する場所もないお客様、着物を着たいけれど持っていない若者、レンタル着物の種類を充実させたい丁子屋と関係者すべてがメリットを享受できるようになりました。

「ご自分で新しく和服をあつらえるお客様となると、50代以上がやはり中心となります。ですが、それだと若い方はますます着物から離れていってしまいます。レンタルですとお気軽に着物に触れていただくことができますからね。当店としても新たにレンタル着物を買い足さなくて済むというメリットがあります。これからの呉服店のライバルは、GAP様やユニクロ様のような、気軽に服を買える店だと思うんです。だからとにかく今は、若い方々にも着物を着てもらう機会を増やすべきと考えています」

呉服屋さんだから着物を売るという当たり前の思考から脱却し、着物を欲しい、着たいという需要から生み出そうとされている小林さんの取り組みにはただただ脱帽です。しかし、全く呉服店に縁がなかった人生を送ってきたとは思えない発想の数々や、店をこれからも残していこうという経営者としての責任感はどこから生まれてくるんでしょうか。

「これは、この業界に入ってから意識するようになったことなのですが、丁子屋のような小売りの呉服店は、着物をつくる工程での末端でしかないんです。養蚕農家さんがいらっしゃって、織物職人や染色職人さんがいらっしゃって、問屋さんがいらっしゃって。そのなかで呉服店は、一着の着物をつくるうえでプロデューサーのような役割を担っています。”こういう着物が欲しい”というお客様の声を汲み取り、各職人さん方へ指示を出していく。ところが、職人さんの事業所になればなるほど、少数精鋭の場合が多く、着物が着られなくなってきた現代においては、呉服店よりも先に絶えていってしまうのです。丁子屋の女将を継いだ身としては、弊社の社員さんだけでなく、それらの職人さんたちの生活も守れるように頑張らなければなと思っております」

お嫁に来ただけなのに、大変重たいものを背負うことになった小林さん。ですが、その声からは辛さよりも、未来へ向けた前向きな響きが聞き取れました。

和×●●!新しい組み合わせで生み出される新ビジネス

ちなみに小林さん。丁子屋の事業を発展させて、全く新しい事業も手掛けていらっしゃいます。

「私は、香川出身なのですが……」

と、小林さんはその事業についても教えてくださいました。小林さんが新事業を展開しているのは香川県。高松市に「和サロンプロジェクト」という会社を立ち上げていらっしゃいます。こちらの会社は、着物を起点として日本の歴史や文化を紹介する活動を行っているのだそうです。

「香川県に東かがわ市という自治体があります。ここは、世に言う消滅可能性自治体です。和サロンプロジェクトでは現在、この東かがわ市と協力。東かがわ市内に事業を産むという活動を行っています。具体的には“和のテイストを活かしたゲストハウスの運営”です」

地方出身で上京してこられた方はわかると思いますが、東京都心と地方の一番の違いは、土地代と人件費です。地方に産業を興すにはこのメリットを活かすのが一番。そこで小林さんは、香川県内にお預かりした着物を預ける倉庫を立て、着物の保管費の削減を思いつきました。同時に、この香川で保管している着物を、さらに香川県内でレンタルしようと考えたのです。

実は、着物の売上は冬に伸びて6月位から夏の間ぴたりと止まるのです。一方で、金刀比羅宮直島のアート作品群、四国のお遍路さんなど見どころが多くある香川県には、夏の期間中外国人を含む多くの観光客が訪れます。そこで、これら観光客の方々に、お着物を着てもらったり、和の文化体験を楽しんでもらえるゲストハウスをつくれば、地元の活性化にもつながるのではと思いつきました。現在、着々と実現に向けて準備中です」

また、スターマーク株式会社が進める、全国47都道府県のクラフトジンの開発展開を行うという企画、「県ジンプロジェクト」にも協力。香川県の名産であるオリーブをボタニカルに採用した「香川県ジン」の開発や宣伝にもご協力をされていらっしゃいます。一口飲ませていただきましたが、オリーブオイルを口に含んだようなベタツキは全くなく、ただ、オリーブの香りだけが鼻を抜けていくとても飲みやすいジンでした。

香川県ジン。試飲はストレートで一口いただいたが、香りがよいのでロックもおいしそうと感じた

「実は、これだけの香りなのに、このジンのボタニカルにはオリーブの実は一切使っていないんです。使用したのは、オリーブを育てる際に剪定で大量に廃棄される葉っぱだけなんですよ

地元農家の方が、処分に困っている剪定後の葉っぱを再利用するなんて、とてもエコな商品なんですね。

和服はとてもSDGs。だからこそ次世代へつないでいきたい想い

エコと言えばということでと、小林さんは

「ところで反物として、売られている布。日本の着物は、この反物一枚ですべて作ることができるのをご存じですか?」

と逆に質問をぶつけてこられました。

店内で売られている反物。呉服店では気に入った柄の反物から体形に合わせた一着を作ることが可能

小林さんによると、着物は反物のなかに、一着分のパーツがすべて含まれているのだそうです。しかも決められた裁断の仕方をすることで、端切れなどがまるで出ないようにつくれるのだとか。

「体型によっては、布が少し余る部分がでます。それでも着物では裁断をすることなく見えない裏地へ織り込むことで、サイズ調整をしているんです。だから、着古した着物を再び解いて縫い合わせれば、また元の1枚の反物に戻せるんですね」

着物はこの構造のおかげで、布が汚れたり傷んだ場合でも、一度反物に戻してきれいに洗浄し、のりを貼りなおしたり、幅の調整を行えばきれいに戻すことができるのだそう。この工程を“洗い張り”といい、専門の職人さんが行うと新品同様に再生できます。最終的に布が反物へ戻せないくらいぼろぼろになったとしても、今度は布団カバーやはたきなどに再利用され、最後まで使い続けられていたそうです。そういえば、昔、祖母の家の布団カバーはやたらきれいな柄が使われていました。もしかしたらそういうことだったのかなと、思いをはせてしまいました。

「さらに、和服は生地自体の質の高さも特徴です。大島紬のようなとても高級な着物ってあるじゃないですか。あんな高い着物、なかなか着れないと思われる人もいると思いますが、きちんと手入れをしていけば、親子三代、100年は軽く着続けることができると思います

テレビなどで一着100万円もする着物を見ると驚いてしまいますが、100年着られるとなると、1年あたり1万円。服飾代と考えると、物凄く安く感じます。丁子屋さんでは、着物をお預かりして洗い張りする工程も引き受けていらっしゃるそうです。もしかしたら着物というのは、相続税の関係で手放すことの多い土地などよりも、はるかにしっかりと受け継げる財産なのかもしれません。

受け継ぐと言えば、丁子屋さんの今後についてはどうお考えなのでしょうか。

「次世代にバトンを渡せるということは、老舗と評価される店にとってとてもありがたいことです。嫁として入ってきて丁子屋の女将になった私が次世代に継承できるものは何か。それは着物を着る文化だったり、モノづくりをされている職人さんの精神、そして商いの心得しかないかなと思います。丁子屋の初代は、大きな商いに失敗してもお怒りになることはなかったそうですが、ご飯粒を一粒茶碗に残すようなことがあったら大層怒るような方だったと先代より聞かされています。それは、恐らく丁子屋の商売の心得なんですね。仕事が決まるというのは、相手もいることですから最終的に時の運なところもあります。ですが、米粒を一粒一粒大切に食べられるかどうかは、細かなところですが自分の問題です。こうした細かな部分が必ず商いに繋がるという考え方だったのかなと」

現在小林さんは、18歳の成人式や、60歳の還暦の祝いなどのように“40歳のセレモニーとして着物をあつらえる”という企画を考えていらっしゃるそうです。

目指しているのおは、文化の創造です。ただ受け継ぎ守るだけでは、着物という大切な和の心や、職人さん方の技術が途絶えてしまいます。呉服店として着物文化を守るためにも、新しい文化の創造が必要なのです。県ジンプロジェクトは、丁子屋でお着物をあつらえてくださったお客様からお声がけをしていただいたことで参加させていただいたご縁でした。丁子屋という場所とお客様を守ることで、私たちと精神を同じくする全国の仲間と繋がっていき、新しい何かを作っていくことができればいいとそう思います」

いわゆる、私たちがイメージする呉服屋さんとは一線を画す事業をされていた丁子屋さん。ですが、そのチャレンジには、文化を伝え、受け継いでいきたいからこそ行うという、芯が通っていました。

和服に興味があるけれども、よくわからないという皆さん。まずは、丁子屋さんで浴衣レンタルをしてまち巡りなどから、デビューしてみてはいかがでしょうか?

【丁子屋】
住所:東京都港区虎ノ門1-17-1 虎ノ門ヒルズビジネスタワー 1F
時間: 10:30~19:00、 土曜日 10:30~18:00 日曜日・祝日休み(月曜日は要予約)
定休日:日曜日、祝日
アクセス:地下鉄日比谷線虎ノ門ヒルズ駅直結

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