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【秋色庵大坂家】約300年の歴史から生み出された和菓子の数々

2024年3月8日

三田春日神社  (画像提供)浜松町・芝・大門マーチング委員会

各エリアで再開発が行われるなど、新陳代謝も活発な東京都心部ですが、一方で創業100年以上の老舗も多数あります。この企画は、そんな老舗にお話を伺い、老舗の歴史に結びついているかつての街の姿を掘り起こすコーナーになります。

第2回は、元禄年間(1688~1703年)に創業し、現在港区三田で和菓子店を営む、秋色最中で有名な秋色庵大坂家の十八代目倉本 勝敏さんにお話を伺いました。

何度も店舗を失いながら三田に至った理由

昭和50年頃の店舗

慶應生でにぎわう三田の街。東京タワーを望む、国道1号線の交差点に大坂家さんは店を構えています。
祖父より前の代のことはあまり聞かされていない、とした上で、まず倉本さんはお店が現在の形になった経緯を話してくれました。

「関東大震災で店がなくなったとき、祖父(十六代目)が『自由が丘もいいかな』と迷いながらも、この場所に落ち着きました」

大坂で創業し、何らかの理由で江戸の日本橋小網町に移り、もらい火で金杉橋(浜松町付近にある、現在の国道15号線と都心環状線の交点)に来たのが三田にたどり着いた経緯だそうです。
しかし、大正12(1923)年に関東大震災に罹災し、お店が消失。先述の通り先々代が自由が丘と迷った挙句、三田の将来性を見込んで、現在の場所にお店を構えました。
当時まだ自由が丘には有名な和菓子店の「亀谷万年堂」が存在しておらず、土地開発が始まったばかり。先見の明もさることながら、移転していたら歴史が変わっていたかもしれません。

ちなみに関東大震災に遭う前には、屋号の大坂屋の文字を『屋』から『家』に変更。

「祖父は麻布の『和泉家』で修業していたことから、それにちなんで屋号も『大坂屋』から『大坂家』に変えたんです」

麻布の「和泉家」というのは、当時存在した高級洋菓子店です(現在は閉店)。
数々の転機があったものの、祖業である和菓子店であり続けました。

人気商品「秋色最中」のひみつ

秋色庵大坂家の名物といえば、「秋色最中」。バリエーションも豊富

三色最中のはしりとも言われ、円形の古典的な最中に栗・小倉・黒糖の餡が包まれています。現在は大小2種類のサイズが存在し、お土産にもぴったり。

「秋色最中は、大正5年ごろからほぼレシピが変わっていません」

細かい材料の違いはあれど、お店で毎朝作られているこの秋色最中はずっと受け継がれているものです。

「昔、最中というのはどちらかというとグレードの低い和菓子で、他のお菓子の余った餡を入れて作っていました。しかし祖父が三色最中を作り上げ、当店の名物になったんです」

「秋色(しゅうしき)」というのは、大坂家の先祖にあたる「お秋」という女性の俳号に由来するものですが、そういった逸話も取り入れたことが、大ヒットの秘訣になったのかもしれません。

「同じく、『季節の練りきり』も十六代から始めたものです」

時節の要素を盛り込んだ練りきりで、取材した頃には梅をモチーフにした商品などが並んでいました。
商品はかなりの頻度で変わるようなので、何度もお店に通う楽しさがある和菓子です。

三田の思い出とお店の将来について

今回お話をうかがった十八代目倉本勝敏さん

「お店の手伝いを始めたのは中学生の頃でした。その頃は本当に店が忙しくて」

御年82歳、70年近くお店のお仕事をされているという倉本さん。印象に残っているのは、配達の仕事だそうです。

「身内だからって、夜中に配達に行ったこともあります。大森のホテルまで電車で配達に行ったり、宮内庁(皇居)にも配達に行ったこともあります」

「祖父母は非常に顔が広かった」とおっしゃられていて、企業やお寺など様々な相手から配達の依頼があったそうです。

「若いころはカメラマンになりたかったんですよ(笑)。でも当然、子どもの頃から周囲に店を継ぐものだと言われ続けて」

店の手伝いをずっと続けていて、なんとなく店を継ぐことは意識していたようです。

「でも、実際に社長になったのは60~70代の頃。父(十七代目)は100歳まで生きましたからね」

そんな倉本さんに、三田の街の移り変わりをお話ししていただきました。

「戦後すぐは材料がなくて、新橋のヤミ市なんかで材料の砂糖を買わなくちゃいけませんでした。身体じゅうに商品を巻き付けた行商のような人も来て、帰っていくときには来たときよりも痩せて見えたものです」

三田も空襲で甚大な被害を受け、周囲を含めて焼け野原からのスタートとなりました。

「仲通り商店街なんて以前はなくて、戦後になって慶応生の遊び場として発展していったんですよ。東京タワーができたあたりは好景気もあって店は朝から晩まで大忙しでした」

復興に伴って三田も賑わいを取り戻し、お店も大変繫盛したとのことでした。

三田の街を見つめる現在の店舗

そんな秋色庵大坂家の、今後について伺ってみました。

「事業継承先としては、娘になります。娘婿が菓子作りをしています。嬉しいことですよ。正式に言ったことはありませんが、まあなんとなく察しているんじゃないでしょうか(笑)。とはいえ、孫の代はどうなるかわかりません」

「この記事を見た方は、店が忙しくならない程度に、ほどほどに来てください」と、年齢を感じさせないような茶目っ気を見せて笑う倉本さんは、老舗・大坂家がまだまだ健在であることを体現しているようでした。

秋色最中以外にも様々な新商品を開発するなど、300年以上続く老舗の伝統を守りながら、さらなる進化を遂げている秋色庵大坂家。今後も楽しみです。

【秋色庵大坂家】
住所:東京都港区三田3-1-9
時間:月~土曜9:00~18:00
定休日:毎月第一月曜日・日曜・祝日
アクセス:JR田町駅「三田口」より徒歩7分、都営地下鉄三田駅「A3出口」より徒歩5分

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