【赤坂氷川神社】氏神神社、氏子ってなに? 神社と地域の関係を教えてもらおう
1000年近く、赤坂一帯から厚い信仰をうける「赤坂氷川神社」。
2回にわたり、赤坂氷川神社の禰宜・惠川義孝さんに「東京三大縁結び神社」と言われるようになった所以、そして、江戸型山車や宮神輿をはじめ、江戸時代の華やかな祭り風景を現代に蘇らせる「赤坂氷川祭」について詳しく教えていただきましたが、最後となる第3回目は、「そもそも神社と地域ってどんな関りがあるの?」「氏神神社、氏子とは?」という、神社のキホンから、地域と神社のつながりについて教えてもらいましょう!
赤坂氷川神社 禰宜・惠川義孝さん
早稲田大学卒業。大手総合小売店に就職後、40歳手前で兄の急逝に伴い退職。國學院大學に通い神職資格を取得後、奉職、神前結婚式や祭礼の拡大に力を注ぐ。地域の方々と一体となり、悲願であった宮神輿の復活や江戸型山車の修復に取り組み、文化財登録や地域各所に展示場が完成するほどまでに成長させた。赤坂のさらなる活性化を目指す「茜共創プロジェクト」、「赤坂地区活性化協議会」理事として、歴史・伝統の振興や、地域の各種行事にも参画。
第1回、第2回の記事はこちらから
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【赤坂氷川祭】江戸の祭を蘇らせる! 優美で壮麗な山車と豪壮な宮神輿の競演
一族を守る神様=氏神? 神社を守るために氏子地域が設定された?
時代が代わるにつれ、都心では家族3世代が同じ家に住む、サ●エさんのような家庭が減少してきた昨今。その土地の神様が“氏神”、そこに住む人が“氏子”と言われていますが、引っ越しをしても、「まずは土地の神様である氏神さまにご挨拶を……」なんてこともめっきり減少しました。
というか、そもそも、神社と氏子ってどういう関係なのでしょうか?
「いまでこそ、“各神社の氏子エリアはここ”と決められていますが、氏子の云われはいろいろあるんです。“もともとは氏族が信仰する神様=氏神”と“産まれ育った場所の神様を信仰する神様=産土神”が合わさり、現在呼ばれている“氏神”になった、という説があります。
たとえば、歴史の授業でも出てくる、藤原氏とか中臣氏とか。その地に根を下ろす一族が信仰する神様=土地の神様=氏神、という概念です。ほかの人がその地に移ってきた場合も、この氏神を信仰してね、ということもあるでしょう」
確かに、歴史を考えてみると“一族を守り、引き継ぐ”ことは重要課題。現代のように引っ越しが頻繁に行われるわけでもなく、有力な一族が信仰している神様を地域みんなで信仰する、という考えになるのも理解できます。
「その一方、神社というのは日本全国にあり、どこの神社も大切につむいでいかなければならない。でも、大きな神社がひとつあって、みんながそこに集まってしまったら、小さな神社を守ることができなくなってしまう。そのため、一つひとつの神社を守るために、氏神神社にお参りしましょう、ということが大切だと思います」
時代の移り変わりとともに、その地で暮らす人や考えが変わるのは仕方ないことかもしれません。「“氏子地域って、神社が勝手に決めてるものでしょ?”と考える方もいらっしゃいます。神社の勝手な話、と感じる部分もありますよね。でも、神社は氏子地域の中心であり、心の支え的な存在でありたい」と、惠川さんは言います。
“実線”から“破線”に変化? 氏子地域の境界
ついこの間オープンした「麻布台ヒルズ」が話題のように、港区内はどんどん区画が代わり、再開発が進んでいます。もし氏子地域をまたいでひとつの建物ができた場合って、どうなるんでしょうか?
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「昔は氏子地域の中心が神社でしたが、氏子地域にまたがるように大きな商業施設やタワーマンションなどが建った場合、“そのビルの神様はどっちになるの?”という現象が起きています。それに、 “氏神さまって何? 好きな神社に行けば良いのでは?”という考えもあります。
昔は氏子地域として実線で区切られていたものが、今は破線になっている、という印象ですね。どう対応していくか。これは、神社界全体としての課題のひとつでもあると思います」
時代や考え方が変わることで、新たな課題も見えてくるんですね。
「今後は、ますます氏神(神社)と氏子の関係は希薄なものになってしまうかもしれませんね。ただ、ありがたいことに、赤坂一帯については当社が氏神であるという考えも多く、氏子との関係は良好です」
赤坂近辺もさまざまな開発がありましたが、あまり関係ないのでしょうか?
「氏子地域は、その中でさらに町会に分けられており、当社は24町会。ただ、町会数は変わっていますが、氏子地域そのものは変わっていません。時代により、氏子地域内の区画が変わっている、というイメージです。
実は、飛び地の氏子地域として虎ノ門があるのですが、江戸時代、氏子地域内に住んでいた一族が幕府の命で引越され、新しい場所でも氏神として当社を信仰いただいている、ということですね」
たとえば、六本木ミッドタウンが新しくできたとき、近隣町会と一括で対応するのが難しくなったため、新しく「東京ミッドタウン町会」が発足したとのこと。現在のマンションはセキュリティの関係上、“地域”として対応するのが難しいのが現実だそうです。
赤坂氷川神社と氏子の関係がどれだけ良好かは、第1回・第2回の記事からも、お互い協力しあう様子がとても伝わってきます。
時代と共に氏神/氏子の考え方は変わってきていますが、惠川さんが「地域あっての神社であり、神社あっての地域」と言うのも納得です。
「私もよくお話させていただくんですが、日本の宗教観って面白いですよね。神社とお寺の“神仏習合(神道と仏教が融合した現象)”があったり。いまも、結婚式は神社でお葬式はお寺で、とか“風習”として残っている。
神社は神道ですが、実は、神社も仏教と思われている方も多くいらっしゃるんですよ(笑)。神道というのは、戒律や経典がなく、教祖もいないので、いい意味で宗教であって宗教でない。それに、神道の原点は自然崇拝ですし、あらゆるものに神様が宿る“八百万の神様”ですからね」
確かに。トイレにも神様、いますもんね。
氏子さんって何をするの?
その土地の神様・氏神を信仰するのが氏子です。では、氏子さんは氏神を信仰するだけなのでしょうか? 神社とどう関わることがあるのか、教えてもらいましょう。
「当社の氏子崇敬会『ともえ会』や『氏子青年部』には、お祭りなどの神事はもちろん協力してもらいますが、たとえば初詣や節分など祭祀の警備などにも協力いただいています。一般的には、神社が主催する神事や行事で、人手が必要な時に協力いただく感じです。地域の方々のご協力が多くて、本当にありがたいですね」
ほかにも、年末のお餅つきも氏子さんが協力しているとか。
「当社のお餅つきも毎年人気で、すぐに定員になってしまうんですよ。赤坂って老舗の和菓子店がいくつもあるじゃないですか。お餅もお汁粉に使うあんこも、それぞれ近くの有名和菓子店さんのものなんです」
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幕末の英雄・勝海舟も氏子地域在住だった!
赤坂氷川神社の歴史を紐解くと、日本の超有名人も氏子地域に住んでいました。それが、江戸城無血開城を成し遂げた、勝海舟。赤坂氷川神社には、現在も勝海舟の書がいくつも残されています。
そのなかのひとつが、「氷川神社」の書。どんないきさつで書かれたものなのでしょうか?
「実際のところ、どういった理由で書かれたかは分からないんですよ。ただ、神社に直接奉納されたものではなく、町会宛に書いたものが神社に寄贈された、といういきさつは分かっています。
海舟さんのお宅が現在の赤坂6丁目近辺と当社にすぐ近く、お参りや剣舞の稽古などにいらしていたそうです。海舟さんの玄孫さんとは現在も交流があるのですが、刺客に狙われ、当社に身を隠したこともある、という話も聞いたことがありますね」
勝海舟が赤坂に住んでいたのは明治に入ってからですが、実は、赤坂内で3回も引っ越しをしていたそう。現在も、赤坂氷川神社から徒歩5分程度のところに住居跡の碑があります。
ところで、なんで町会に神社の名前の掛け軸があるのでしょうか?
「神輿や山車などは町会のもの、というお話をしましたが(第2回)、お祭りの際、それぞれの町会に“神酒所(みきしょ/お神輿や山車が休憩する場所)”を作るとき、氏神神社の名前を書いた掛け軸を飾るんです。達筆の方が書くこともあれば、町会長が書いたり、町会の有名人に書いてもらう、ということもあったそうです」
また、赤坂氷川神社は、勝海舟だけでだけでなく、“幕末三舟”が「氷川神社」と書いた掛け軸がそろっています。幕末三舟とは、江戸城無血開城を成し遂げた勝海舟、徳川家最後の将軍・慶喜の護衛を務めた高橋泥舟、書の達人でも知られ、維新後は明治天皇に仕えた山岡鉄舟の3人。
「海舟さんの書はたくさんあるんですが、幕末三舟の掛け軸がそろうのは珍しいみたいです。海舟さん、気前がよかったのでお金がなかったそうで、いろんな書を書いてお金に換えていた、というお話を聞きました(笑)」
お祭りをきっかけに“地域の横のつながり”を強化したい
「港区って、タワーマンションが増えたこともあって、人口は増加してるんですよ。でも、大きなマンションは隣に誰が住んでいるのか知らないことも多い。引っ越されてきても、地域とのつながりを持ったり、地域側からアプローチするのは難しいです。
コロナ禍を経て、町会の力が削がれてしまった部分もあるし、いまはみなさんに協力いただいている赤坂氷川祭も、どこまで続けられるかは分からないのが現実です。やっぱり、“残していく”というのは、難しい」
人口が増えているのにお祭りを残すのが難しい、というのは、なんだかとてももったいない気がします。
「本当にもったいないんです。“無縁社会”と言われいますが、実は、お祭りを大きくしたい、いろんな方に来てほしい、というのも、そこなんです。
本来は、各町会が機能することで、行政や警察、消防から“地域パトロールを行うので協力してください”という要請があれば、町会が受け皿になる。でも、町会が縮小してしまうと、それに応えるのも難しく、地域のつながりもますます希薄になってしまいます。
だけど、地元のお祭りなら、初めて参加してくださった方も楽しめるし、それが出会いの場になって、横のつながりを助成できるんじゃないかな、と思うんです。もちろん一部の側面にはなりますが、そこを目指して、お祭りの規模を大きくしたい、という狙いもあるんですよね」
江戸時代のお祭りを蘇らせようと、山車や宮神輿などを復活させ、赤坂一帯で盛り上げている、赤坂氷川祭。惠川さんのお話を聞くと、いま伝統を中興させるメリットは大きい気がします。
最後に、氏神神社として、氏子さんとのやり取りの中で印象的だった出来事を教えてもらいました。
「難しいのですが、やっぱり思い浮かぶのは、2019(令和元)年11月の『国民祭典 第1部・奉祝まつり』で、東京中の主要お神輿が皇居に集まった時ですね。当社も山車と宮神輿も持って行ったのですが、その主体となったのが、氏子町会と崇敬会の皆さまでした。当社の山車が目立つこともあり、報道でも大きく取り上げていただいて。
準備は本当に大変でしたが、それだけ達成感もあったし、参加した人には、心に残る記念になったと感謝いただいたのがいちばんかもしれないです。港区での出来事ではないのですが(笑)」
赤坂氷川神社を創建した八代将軍吉宗公の時代、将軍に山車を披露することは叶いませんでしたが(第2回)、この時がはじめて、氷川山車が皇居でお披露目できた、と言うことでしょうか?
「そうですね。江戸時代に叶えられなかったことを再現できたタイミングです」
この時の準備の様子が、港区役所の公式YouTubeに動画として残っています。普段赤坂地域から出ない大きな宮神輿と氷川山車を皇居まで移動させ、式典に参加し、元の展示場に帰るまで、地域のみなさんがどれだけ細心の注意を払っていたのか、ご確認ください。
古くからの伝統を蘇らせ、一方で現在の生活にも調和しながら、赤坂一帯の信仰を受ける赤坂氷川神社。
お話を聞けば聞くほど、地域とのつながりを大切にするからこそ、江戸時代から現代まで変わらない姿を残すことできるのだな、と感じられる時間でした!
<第1回>【縁結び・厄除】江戸時代の姿を残す赤坂氷川神社を徹底解説!
<第2回>【赤坂氷川祭】江戸の祭を蘇らせる! 優美で壮麗な山車と豪壮な宮神輿の競演
【赤坂氷川神社】
住所:東京都港区赤坂6-10-12
時間:開門/6:00、閉門/17:30
社務所受付/9:00~17:00
定休日:なし
アクセス:東京メトロ千代田線「赤坂駅」、南北線「六本木一丁目駅」、日比谷線・大江戸線「六本木駅」、銀座線「溜池山王駅」よりそれぞれ徒歩8分