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【赤坂氷川祭】江戸の祭を蘇らせる! 優美で壮麗な山車と豪壮な宮神輿の競演

2024年5月7日

六本木通り/赤坂通りの大通りを一本入った場所にあり、都心にありながらも豊かな自然をたたえる「赤坂氷川神社」。赤坂の地を1000年以上見守り続けている、由緒ある神社です。

第1回では、赤坂氷川神社が「東京三大縁結び神社」と言われたきっかけや経緯、他の神社にはない独自の見どころなどを、禰宜の惠川義孝さんにその歴史や教えていただきました。
今回は、都内でも貴重な江戸氷川山車をメインに据えた「赤坂氷川祭」について。お祭りの見どころ、江戸氷川山車を復活させた経緯、江戸時代から続くお祭りの変遷について深掘りします。

赤坂氷川神社 禰宜・惠川義孝さん
早稲田大学卒業。大手総合小売店に就職後、40歳手前で兄の急逝に伴い退職。國學院大學に通い神職資格を取得後、奉職、神前結婚式や祭礼の拡大に力を注ぐ。地域の方々と一体となり、悲願であった宮神輿の復活や江戸型山車の修復に取り組み、文化財登録や地域各所に展示場が完成するほどまでに成長させた。赤坂のさらなる活性化を目指す「茜共創プロジェクト」、「赤坂地区活性化協議会」理事として、歴史・伝統の振興や、地域の各種行事にも参画。

第1回目の記事はこちらから
【縁結び・厄除】江戸時代の姿を残す赤坂氷川神社を徹底解説!

都心の大通りを高さ8メートルの山車が巡行!「赤坂氷川祭」

赤坂氷川神社で欠かせないのが、毎年9月中旬に開催される「赤坂氷川祭」です。

赤坂氷川神社境内の山車展示場(画像提供:赤坂氷川神社)

赤坂氷川祭は、江戸時代から現在まで続いている祭礼。赤坂を中心とした一帯を、お神輿のほか都内では珍しい、大きな山車(だし)が巡行します。“お祭り=お神輿”と思ってしまいがちですが、この山車こそが、赤坂氷川祭の大きな見所。

「お祭り=お神輿と思い浮かべる方が多いですが、実は本当の江戸のお祭りと言ったら山車なんです。歴史を考えると、日本の文化って、京から各地に伝わってきている。いまでも京都に残る祇園祭のように、江戸時代のお祭りも山車祭が主役だったんですよ。
赤坂氷川祭も江戸で3本の指に入るお祭り、と言われることもありました。赤坂氷川神社を遷座したのは八代将軍吉宗公ですから、忖度もあったのかなと思います(笑)。それに、日本人って、昔から“三大〇〇”ってつけるのが好きですしね。
ですが、僕は江戸時代は“二大祭”だったと思っているんです。ひとつは日枝神社さんの山王祭。もうひとつは、神田明神さんの神田祭。どちらも千代田区ですが、このふたつのお社が、それこそ40本、50本の山車を江戸城に入場させるのが、本来の幕府公認のお祭りだったんです」と、惠川さん。

諸国祭礼番付。「東之方」には山王御祭、神田御祭に加え、赤坂氷川御祭の文字も(画像提供:赤坂氷川神社)

当時はお神輿というより、お祭りのいちばんの見せ場は、祇園祭のような豪華な山車だったようです。そうなると次に湧いてくるギモンは、祇園の山車と江戸の山車に違いはあるのか?

「江戸時代、山車のてっぺんには、さまざまな人形を据え置いていました。京都と江戸型山車の違いとしては、江戸型山車だけは、からくりで上の人形があがったり下がったりすることですね。山車の高さは8~9メートルなのですが、将軍に見ていただくためには、江戸城に入る必要があるんです。ただ、そのままの高さだと江戸城の門をくぐれない。なので、江戸型山車の特徴として、綱を引っ張ることで高さを変えられる、からくりが取り入れられています」

工夫や技巧を凝らした江戸型山車が江戸城に集合する様は、壮観だったはず。徳川八代将軍・徳川吉宗により遷座された赤坂氷川神社の山車も、江戸城で将軍にお披露目したのでしょうか?

「吉宗公の時代には、当社の山車を江戸城に入場させる、という書物も残っています。ちなみに、根津神社(文京区)さんは五代将軍綱吉公の所縁のお社なんで、綱吉公の時代には根津さんの山車が江戸城に入っていますね。
ただ、吉宗公の時代は享保の大飢饉(1732年)などで財政難だったため、当社の山車を将軍にご覧いただくことは叶わなかったんです」

山車は地域のプライド! 江戸っ子が山車にかける情熱はハンパなかった!

何本もの山車が巡業していたことがわかる、山車額絵(画像提供:赤坂氷川神社)

江戸時代のお祭りは山車がメインだった、という話の流れで、惠川さんが当時の面白い話も教えてくれました。

「山車やお神輿というのは、だいたい町会で作るものなんですが、山車って非常にお金がかかるんです。お神輿より全然高いものも多い。でも当時、山車を作るのは町会のプライドでもあったわけです。お金のない町会は山車を出せないですから。
これは赤坂地域の話ではなく、歴史の専門家の方に聞いた話なのですが、山車を作る資金を工面するために、奥さんや娘さんを質に入れたり、お金を出し渋っている豪商の家に盗みに入ってまで町会の山車を作った、なんてこともあったらしいです。今では考えられないですよね」

おっしゃる通り、今では到底考えられませんが、江戸っ子がお祭りにどれだけ心血注いでいたかが分かるエピソード。

「自分の町会のプライドということで、山車の上に鎮座するのも、神事にまつわる人形が本来なのですが、“うちの町会すごいだろ!”と、目立つために歌舞伎俳優や、三国志の関羽を人形にすることもあったんです」

江戸っ子って、やっぱり気風の良い見栄っぱり! 惠川さんも「ほんとにすごかったらしいですよ」とおっしゃっていました。

「ただ、明治になって状況も変わってきます。山車は高額である、前世代の風習が受け継がれないというのに加え、電線の発達などが相まって、お祭りはお神輿が主流になってきます。山車もほとんど使われなくなり、都心のお祭りで披露されいていた山車も、埼玉県川越や静岡県掛川、千葉県の佐原、東京でも八王子など、現在でも山車祭が盛んな地域に流れたり、空襲や震災で全滅してしまった。
当社のお祭りも、昭和後期まではお神輿が主流でした」

なるほど、現在のお神輿が主流のお祭りになった経緯には、こういった歴史の流れがあったんですね。

「神事的な視点だと、普段神社に留まられている神様に、山車やお神輿という乗り物にお移りいただいて、祓い清める、街の生活をご覧いただく、というのが本来です。でも、江戸時代からは大衆娯楽のひとつとして、“神事”と言うより“イベント”としての色合いも少なくないかな、という感じですね」

赤坂に奇跡的に残った山車の一部から、赤坂地域に江戸の粋な祭りを復活させろ!

惠川さんが教えてくれたように、23区の山車は別の地域に流れたり、空襲や震災でほぼ全滅してしまっています。では、いま赤坂氷川祭で見られる山車は、いったい何なのでしょうか?

「実は、この地域は山車の一部が残っていた。町会が倉庫を整理していた時に、山車の上に鎮座している人形や部材の一部が出てきたそうなんです。本当は捨ててしまおうと思ってたんですって。ところが“あるの!?”という話になり、地域全体で山車を復活させよう、という流れになったんです」

ということは、山車を所有する町会で復活させていくことになるでしょうか?

「山車を復活させるのには、それこそ何千万円という資金が必要になります。当然、町会だけで作り直すなんて無理なので、2006年に、『NPO 法人赤坂氷川山車保存会』を立ち上げました。そうすれば、地域の貴重な財産を守るために、行政からの助成も受けられるし、寄付にもつなげやすいですから。
ただ、そこからはもう勉強ですよね。どの職人さんに頼めばいいか、山車をどうやって引っ張ったらいいか、人形にはどんな装束を着せればいいか……。専門家の方々に助言をいただきながらでした」

復活した赤坂氷川山車、時期によって展示する山車も入れ替わりますが、現在は赤坂氷川神社に2本(日本武尊/翁)、国際医療福祉大学に1本(神武天皇)が常設展示されています。色鮮やかで華やかな山車は、「町会のプライド」も納得の豪華さ!
赤坂氷川神社の境内では、中門を出て手水舎のすぐ目の前に山車展示場があります。参拝に合わせて、忘れずに見学しましょう。

 

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「ほんとに大変で」とおっしゃいながらも、うれしそうに話してくれた惠川さん。その後の調査の末、赤坂地区には9体の人形が残っていると判明し、現在も引き続き、それぞれの専用車を作っている最中とのこと。ということは、ゆくゆくは9つの山車がそろうということ……?

「そうなんです。2030年を目標にしています。2030年が、吉宗公がこの場所に赤坂氷川神社の御社殿を建てられてから、ちょうど300年後なんですよ。当時は、宮神輿のほかに山車が最低でも13本巡行していて、地域最大のお祭りだったらしいんです。13本の山車は無理ですが、宮神輿と山車を9本、が目標。
ただねぇ、難しいんですよ……」

難しいとは?

「お神輿は、飛び入りでも担げるんです。ただ、山車の車輪周りは知識と経験が必要。9本の山車が完成したとして、本数が増えたら、その分人数も必要になるのでね」

都心に江戸の祭りを!赤坂を巡業する山車(画像提供:赤坂氷川神社)

山車って、真っすぐ引っ張れば良いのかな、なんて安直に考えていましたが、なかなかそう簡単ではないそう。

「赤坂はその名の通り、坂も多いですからね。なので、ちょっと油断すると大変。平地でみなさまに引いていただく、というのはありますが、安全確認に関しては、細かくしっかり行う必要がありますね」

確かに、赤坂氷川神社があるのは、「赤坂全体を見渡せる高台」(第1回)。実際に歩いてみると、その高低差に驚く人も多いのではないでしょうか。

復活したのは山車だけじゃない! 都内屈指の宮神輿との競演も必見

そして、復活したのは赤坂氷川山車だけではありません。空襲で焼けてしまった赤坂氷川神社の宮神輿も、2016年に新しく作りなおしたとのこと。

「江戸時代の宮神輿は、とても大きく、牛でお神輿を引いていたんです。それを一回り小さくして、人が担げる最大のサイズで作りました。都内でも10本の指に入る大きさだと思います。
いまはみなさんも慣れて担げますが、最初は“なんでこんな大きな宮神輿を作ったんだ”って言われてしまったくらいの大きさです(笑)」

大きな宮神輿は牛がひいていた(画像提供:赤坂氷川神社)

現代に蘇った高さ8メートルの山車に加えて、都内でも屈指のサイズの宮神輿まで揃いぶみの赤坂氷川祭。惠川さんが話してくれたように、立派な宮神輿も一見の価値アリです。

赤坂氷川祭は、前夜祭となる「宵宮巡行」、その翌日に「子ども神輿」、そして最後に「神幸祭」で締められます。神幸祭は、赤坂通りが通行止めになり、山車や宮神輿が一列で巡行する、赤坂氷川祭でも最大の見せ場!
巡行ルートは毎年違うそうですが、惠川さんも「やっぱり通行止めができる赤坂通りでご覧いただくのが、壮観でおすすめですね」とのこと。
威勢よく神輿を担ぐ「エッサ、ホイサ」の声と、優美で豪華な山車の共演は必見です。

都内でも屈指の大きさを誇る、現在の宮神輿(画像提供:赤坂氷川神社)

ちなみに赤坂氷川祭は、山車の引手やお神輿の担ぎ手も一般から募集している日もあります(お話をうかがうほど、人手が必要! というのが分かりますよね)。
赤坂氷川祭の日程、山車の引手・神輿担ぎ手の一般募集については、赤坂氷川神社の公式ウェブサイトに掲載される赤坂氷川祭のページから行えます。夏が近づいてきたらチェックしてみましょう。

昔の熱気をそのままに、現代に蘇る赤坂氷川祭を、粋な江戸っ子気分で体感できる、またとないチャンスです!

<第1回>【縁結び・厄除】江戸時代の姿を残す赤坂氷川神社を徹底解説!
<第3回>【赤坂氷川神社】氏神神社、氏子ってなに? 神社と地域の関係を教えてもらおう

NPO法人赤坂氷川山車保存会

赤坂氷川神社
住所:東京都港区赤坂6-10-12
時間:開門/6:00、閉門/17:30
社務所受付/9:00~17:00
定休日:なし
アクセス:東京メトロ千代田線「赤坂駅」、南北線「六本木一丁目駅」、日比谷線・大江戸線「六本木駅」、銀座線「溜池山王駅」よりそれぞれ徒歩8分

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