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海は近いけど……なぜ“港”区? 「港区」の名称の由来を探ろう

2024年1月19日

「港」とは、海が陸地に入り組んだり、人工的な防波堤を築くことで、船舶が停泊できる場所のことです。
港区のことをいろいろ調べていて、確かに港区にも海に隣接したエリアはありますが、「港」を全面的に押し出すには少し弱いのでは……? それなのになんで「港区」という名称なんだろう? という、基本中の基本の疑問が浮かんできました。

というわけで、今回は「港区はなぜ港区という名称になったのか」を追求してみたいと思います。

まず「港区」という地名をWikipediaで調べてみると、日本に「港区」は3カ所存在するよう。

・東京都港区
・愛知県名古屋市港区
・大阪府大阪市港区

名古屋市港区には「名古屋港」が、大阪の港区には「天保山ハーバービレッジ」があります(天保山ハーバービレッジは正確には港ではないですが、近辺にクルーズ船が寄港するターミナルあり)。

確かに東京都港区にも「芝浦埠頭」や「竹芝客船ターミナル」があります。でもやっぱり、23区の自然の中では一番標高の高い愛宕山、たくさんある大名屋敷跡など、港にフォーカスしなくてもたくさん特徴があるエリアなのでは?
……謎は深まるばかりです。

「芝区+麻布区+赤坂区」で新たな区を。東京都案に大反対!

「港区」が誕生したのは、1947(昭和22)年3月15日。
これは、終戦後の東京を再整備することを目的に、それまで35区に分かれていた東京を22区に再編したタイミングです(同年の8月に板橋区から練馬区が分離し、現在の23区になった)。

現在の港区のエリアは、35区に分かれていた当時だと「芝区」「赤坂区」「麻布区」の3区。東京都はこの3区を統合し新たな1区としようとしましたが、各3区は統合に反対しました。

反対するに際して、芝区は1区のみでも東京都が求める人口基準に達しているため統合する必要がないこと、麻布区は全面的に反対をするものではなく赤坂区との2区統合の可能性はありえるが、3区の民情の相違が著しく統合後の復興に支障をきたす可能性があること、赤坂区は実情を無視した統合は将来に禍根を残すことが明らかであり、都市計画の理想から遠ざかる、との理由が述べられたそうです。

確かに明治から昭和初期にかけての3区は、西洋の技術を取り入れた工場が集まり工業の近代化に貢献していた芝区、また、赤坂区・麻布区には「軍都」とも言われるほど軍事施設が集まっていました。それぞれ東京を支えてきた区である、という誇りもあったと思います。そう考えると、「なぜ我区が統合しなければならないのか」と反発したくなる心情も理解できるのではないでしょうか。再整備時に、世田谷や江戸川など、従来通り存続する区が11もあったのも、理由のひとつかもしれません。

それぞれの区から反対の意思と共に上記理由などを記載した意見書や代替案を提案しましたが、東京都は改めて3区の統合を指示。時間をかけて調整し、3区は最終的に統合を受け入れましたが、新区役所は3区の中心となる麻布区役所に置くことが条件だったよう。

統合当初、港区役所となった旧麻布区役所(昭和37年撮影) ※画像提供:港区

ちなみに、現中央区となっている旧日本橋区など、他にも1947(昭和22)年に出された東京都による区の統合案に反対を掲げたエリアがあります。
いつの時代も統合や再編って大変ですね。

港区の名称誕生は、言いづらさがきっかけ?

3区の統合を受け、次に話題になるのが新名称。
当時の新聞でも新名称がどうなるか取り上げられていたとのことなので、やはり東京の中心でもある3区の新名称について、都民の関心の高さも相当のものだったのでしょう。

また、新区名の方針として、下記5つのルールがありました。

1.新区名は当用漢字(現在の常用漢字)から選定する
2.新区名は耳ざわりの良い言葉を選ぶ
3.新区名は分かり易く、書き易く、書いた字が美しいこと
4.新区名は土地に縁を持った名称であること。なお、読み方の紛らわしいもの、既にある区名と似通ったものは避けること
5.新区名には新しい熟語は避けること

上記を踏まえそれぞれのエリアをもとにした候補、「青山区」「愛宕区」「三田区」などの案が出されていたようですが、どれも地域の偏りを感じ得ないということで、協議の末に最終候補として挙げられたのは、「城南区」と「東港区」。

はい、ここで初めて「港」の文字が登場しました。

そして最終的に選ばれたのは、「東港区」。現在の港区・中央区・品川区・大田区・江東区にまたがる東京港の発展と、新しく立ち上がる区の成長を願った名称だそうです。

しかしここで一つ問題が。

「とうきょうととうこうく」は読みづらい!

確かに「と」が3回、しかも2回続くこともあるとなると、口に出すとかなり読みづらい……。そこで「港」という文字を残し、3区間での議決を経て「港区」が誕生したというわけです。

「東京港」は、日本を代表する国際貿易港

あまり聞き馴染みが無いかもしれませんが、「東京港」は、現在の日本でも重要な国際物流拠点です。アジア各国や北米と定期コンテナ船の航路が結ばれており、食料品から建設資材まで幅広い物資の流通を担っている港。大井/青海/品川/中防外コンテナ埠頭に分かれ、1カ月あたり140を超える外貿コンテナ船が寄港します。
ちなみに東京港を利用している多くはコンテナ船ですが、「東京港フェリーターミナル」には、東京~徳島~新門司(北九州)を結ぶオーシャン東九フェリーも発着しています。

東京港が外国貿易港として開港したのは、1941(昭和16)年。港区が誕生する6年前です。
江戸時代も「江戸湊」として流通拠点になっていましたが、幕末に国際貿易港として開港した横浜港と違い、東京港は開港しませんでした。昭和に入ってようやく開港したものの、時代は太平洋戦争に突入します。そのため、本来の港としての機能を発揮することはできず、戦後、臨海地域の大部分は連合宮に接収されてしまいました。

昔の東京港の様子 ※港区オープンデータカタログサイトより

昭和22年という東京都22区(23区)の再整備時期を考えると、国内産業復興のため、東京港の発展も欠かせなかったのは想像に難くありません。「東京港の発展と、新しく立ち上がる区の成長を願った名称」として「港区」が誕生したのも、納得できるのではないでしょうか。

「なんで“港”区なの?」という気軽な疑問をきっかけに歴史を辿ってみると、「なるほど!」と納得の結果に辿り着きました。港区が誕生して70年超ですが、東京港も港区も日々発展し、成長し続けています。
名称に込められた願い、しっかり叶えられていますね。

※画像出典「港区オープンデータカタログサイト」
・2017年空撮写真:https://opendata.city.minato.tokyo.jp/dataset/shasin-kuusatu/resource/a32d8a35-f632-4e83-844e-142e263a55f5
・東京港:https://opendata.city.minato.tokyo.jp/dataset/shasin-mukasi-1955/resource/5e04e8d1-14ab-4299-b96f-3daf1168f8fd

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