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勝利、無病息災・長寿、さらに商売繁盛まで祈願できる!? 覚林寺「山手七福神巡り」と「清正公大祭」

2024年10月17日

室町時代にはじまり、開運招福を祈願して巡る「七福神巡り」。現在の信仰と散策を兼ねた七福神巡りは、江戸時代、庶民のレクリエーションのひとつとして定着したものが引き継がれた姿と言われています。

そんな七福神巡り、以前「港七福神巡り」をご紹介しましたが、港区には、もうひとつ、
江戸最初の七福神巡りと言われている「山手七福神巡り」があります。

今回は、寛永8(1631)年に港区白金台に開創された、覚林寺のご住職に、山手七福神巡りと覚林寺について教えていただきました。

▼覚林寺についてはこちらの記事で解説しています
知る人ぞ知る港区の歴史的見所も!「白金の清正公さま」覚林寺

江戸最初の七福神巡りは、お寺だけで構成された希少なコース

山手七福神巡りは、目黒通りを中心に、港区と目黒区にまたがるコース。それぞれのお寺は徒歩10分程度の距離で点在しています。

「山手七福神巡りは、神様がおふたりいらっしゃるお寺が1つあるので、巡るのは6カ寺。たまたまですが “全部お寺”という、珍しい七福神巡りです」

確かに、七福神巡りは神社やお寺が混在していることが一般的。全部お寺、というのはかなり珍しいかもしれません。

「山手七福神は“江戸で最初の七福神巡り”と言われていて、かなり古い歴史があります。弁財天様をお祀りしている、目黒区の蟠龍寺(ばんりゅうじ)さんに石碑があって、そこに刻まれた文字から“江戸最初”と言われています」

 

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覚林寺でお祀りしているのは毘沙門天様。境内を入って左手にいらっしゃいます。

商売繁盛? 無病息災・長寿祈願? 参拝順でご利益も変化!

山手七福神巡りは、「江戸最初」に加えて、もうひとつ面白い特徴があります。それは、巡る順番によってご利益が違うこと。

まずは、それぞれのお寺にお祀りされている神様をご紹介しましょう。

【港区】
・覚林寺 … 毘沙門天
・瑞聖寺 … 布袋尊
・妙円寺 … 福禄寿尊、寿老人尊
【目黒区】
・大円寺 … 大黒天
・蟠龍寺 … 弁財天
・瀧泉寺 … 恵比寿神

【無病息災・長寿祈願】
覚林寺・瑞聖寺・妙円寺 → 大円寺・蟠龍寺・瀧泉寺

【商売繁盛祈願】
大円寺・蟠龍寺・瀧泉寺 → 覚林寺・瑞聖寺・妙円寺

なんと、港区からスタートするか、目黒区からスタートするかでご利益が変わるという、面白い特徴があるのです。江戸時代は、お正月の松の内の期間で七福神を巡り、一年間の無病息災や商売繁盛を祈願したとのこと。

ほぼ一本道! シンプルな道順です

「もちろん今もお正月にいらっしゃる方は多いですが、お正月以外でも、参拝される方はいらっしゃいます。七福神巡りは、江戸時代から続くレクリエーションのひとつですしね。お正月以外でも御朱印を受け付けていますし、各お寺でおみくじが入った“七福神ダルマ”も授与しています」

ただし、手書きの御朱印でお正月の参拝者に対応するのは難しいので、お正月だけは書き置きの御朱印で対応しているそう。「書き手が少ないと大勢いらっしゃるからお待たせしてしまいますし、書いていただく方を増やすにしても、寺務所内が密になってしまいます。ですから、混雑が予想される時期は、大変申し訳ないですが書き置きのご朱印とさせていただいています」と、お話をうかがう端々に、手書きの御朱印を続ける難しさが垣間見えました。

武運長久、立身出世! 清正公にあやかった「清正公大祭」

こちらの記事でもご紹介したように、加藤清正公と所縁の深い覚林寺では、毎年5月4日・5日の端午の節句に合わせて、「清正公大祭」が開かれています。この日は、勝負の神様である清正公、そして菖蒲の節句にあやかり、葉菖蒲が入った「お勝守」や「開運出生祝鯉(紙製のこいのぼり)」の授与も。

毎年、境内を埋め尽くすほどの人が訪れる清正公大祭。やはり昔から人気のお祭りだったのでしょうか?

「いつから始まったのかは、正確には分かっていません」と、ご住職。「でも推測するに……」と、続けてくれます。

「清正公さまが亡くなって250年目となる250遠忌が、江戸末期の1861年にありました。もうすぐ明治がくるぞ、という時です。そのタイミングで、全国的に清正公信仰が隆盛したことがあったそうです。もしかしたら200遠忌あたりから清正公信仰は高まっていた可能性もありますが、清正公をお祀りしている神社仏閣に詣でる人が多くなるタイミングだと思います。
5月といえば端午の節句、菖蒲の節句で、男の子のお祭り。あくまで私の想像ですが、武運長久といいますか、強い男の子に育ってほしい、立身出世してほしいと、勝負の神様として祀られている清正公さまにあやかりたいと参拝される方も増えたんだと思います」

1853年に黒船が来航し、明治元年は1868年。江戸をはじめ、日本が大きく変わりゆく時代に、強く立派に育ってほしいと願うのは、当然かもしれません。

「そして、端午の節句の時期にお参りに来る人が多くて、“人が来れば市が立つ”ということで始まったのかと思います。徐々に大きくなっていったんでしょうね。今年は1軒だったお店が翌年は5軒、その次は10軒になって……。もう少し前から賑わっていた可能性もありますが、それが現代まで続いている、ということだと思います」

江戸中期くらいから、お祭りのような雰囲気になっていたかもしれない?

「確か、江戸の歳時記を紹介する書物にも記載されていたはずです。清正公大祭ではなく、菖蒲のお祭り、あるいは幟市のような表現になっていたと思います」

姿が消えた時期もあった? 開運出世祝鯉

清正公大祭の由来に続いて、お祭りで授与している「お勝守」と「開運出世祝鯉」についても教えもらいましょう。

「“お勝守”は、清正公大祭の時期だけでなく、通年お求めになる方が多いです。5月のお祭りのときだけは、御守りに菖蒲の葉を入れてお渡ししています」

強運の神様としても信仰が篤い清正公。清正公大祭の時だけいただける特別なお勝守は、年齢性別関係なく、みなさん求められるそうです。

そして、もうひとつ、このお祭りのときだけ授与してもらえるのが、「開運出世祝鯉」。

「昭和30年代の頃は、立派なこいのぼり(飾り鯉)を売っている露店が出ていました。紙でできたこいのぼりですが、お寺にもありました。大きいものだと2メートルくらいの高さがあって、真鯉や緋鯉、子ども鯉だけでなく、吹き流しなど立派な飾りもついていて。でも、大きいと家には飾れないなどの理由もあるのでしょうね、時代の流れや作り手さんの問題もあると思いますが、露店がなくなってしまいました」

飛躍的に日本経済が成長した高度成長期を経て、生活環境も大きく変わり、立派な飾り鯉を置くのが物理的に難しくなってしまったのは少し残念ではありますが、仕方のないことかもしれません。

「10年近くこいのぼりの露店がない時期があったんですが、やっぱり問い合わせがあって。初孫が生まれたから買いたい、など。そこで、じゃぁお寺で作るようにしましょう、と昭和50年代くらいから復活させました」

ところで、ご住職が子どものころはこいのぼりの屋台が出ていた、ということは、生まれもこのあたりなのでしょうか?

「はい、そうです。この近辺も昔は電気屋さんとか焼鳥屋さんとかあってにぎやかでしたけど……。とらやさんという、モダンな建物の和菓子屋さんもすぐ近くにあったのですが、残念ながら今はなくなってしまいました」

お祭りの屋台や、近隣の風景が変わってしまっても、清正公大祭や山手七福神は、江戸時代から変わらず庶民から愛され、受け継がれています。形が残らずとも、しっかり受け継がれていくのは、拠り所となる信仰心があるからこそ、なのかもしれません。

加藤清正公にあやかり、人生の苦悩に打ち勝ち、幸運に恵まれるよう、すべての勝負に勝つ「お勝守」だけでなく、無病息災・長寿祈願、さらに商売繁盛祈願の「山手七福神巡り」の1カ寺でもある覚林寺。
何かひとつ、もしくは欲張ってぜんぶ祈願してみるのはいかがでしょうか。

山手七福神巡り
港区
●覚林寺(毘沙門天):東京都港区白金台1-1-47
●瑞聖寺(布袋尊):港区白金台3-2-19
●妙円寺(福禄寿尊、寿老人尊):港区白金台3-17-5
目黒区
●大円寺(大黒天):目黒区下目黒1-8-5
●蟠龍寺(弁財天):目黒区下目黒3-4-4
●瀧泉寺(恵比寿神):目黒区下目黒3-20-26

【最正山 清正公 覚林寺
住所:東京都港区白金台1-1-47
時間:9:00~17:00
アクセス:都営地下鉄三田線・東京メトロ南北線「白金高輪駅」より徒歩約10分、都営地下鉄三田線・東京メトロ南北線「白金台駅」より徒歩約10分

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