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【芝大門 更科布屋】老舗だからこそ拘る、変えないものと変えるものの大切さ

2024年3月11日

港区を象徴する名刹『増上寺』。その総門である大門の正面に、寛政3(1791)年から続く老舗の蕎麦店『芝大門 更科布屋』があります。老舗蕎麦店となると高級で庶民とは縁がないというイメージもありますが、お手頃価格のメニューも充実し、近隣のサラリーマンや地元の方々に愛されているお店です。

このお店の7代目・金子栄一さんに『芝大門 更科布屋』の歴史についてお話を伺ってきました。

芝大門 更科布屋7代目店主の金子栄一さん

反物の商人から蕎麦店へ転身した初代

「更科“布屋”というだけあり、もともと初代は布の行商人だったそうです」

金子さんはまず、233年前の更科布屋開店のきっかけについて語ってくださいました。金子さんのご祖先である初代・布屋萬吉は、信州(現在の長野県一帯)の出身。半農半商として普段は農業をしつつ、農閑期には江戸へ布の行商へ出ていたそうです。

信州は、言わずと知れた蕎麦どころ。たまたま初代も蕎麦打ちができたため、江戸で蕎麦をふるまってみたところその味が評判を呼びました。領主である飯田藩主の保科家からの助言もあり、萬吉は江戸で蕎麦店を開業することにします。

「最初の店は当地ではなく、現在の中央区の薬研堀のあたりにあったそうです」

当時の江戸は蕎麦食が広まり、蕎麦ブームの真っ最中。江戸の町中だけでもおよそ3800軒もの常設店があったころなのだそうです。

北尾重政 画『絵本三家栄種 3巻』に描かれた蕎麦店 明和8 [1771]. 国立国会図書館デジタルコレクショhttps://dl.ndl.go.jp/pid/2533275 より

過当競争の中で、現代まで更科布屋が残った理由として金子さんは次のような話を語ってくれました。

「当時は冷蔵技術もなく蕎麦粉の品質ではそれほど店ごとの差は出せなかったと思われます。ですが、江戸では、近隣の野田や銚子から高品質の醬油が手に入りました。だから、おつゆ文化が発達したんです。”百店百味”なんて言ってね、今も残っているような江戸の名店は、個性的なおつゆが評価されていたんです」

この薬研堀のお店は、火事に見舞われ数寄屋橋へ移転。111年前の大正2(1913)年まで数寄屋橋で営業されていました。が、このお店も火事による区画整理に巻き込まれ、大門へ移転し現在に至るそうです。

明治17(1884)年に作られた『東京高名蕎麦店取組番付』には、東前頭筆頭として「布屋」の名が躍る

「移転の理由は、やはり立地のよさだと思われます。東海道に面しているうえ鉄道も走っていたため、当時の大門一帯は人が集まっていました。心機一転を計る地としてはよかったんでしょうね」

変化する大門を眺めながら過ごした少年時代

大門 (画像提供)浜松町・芝・大門マーチング委員会

金子さんは生まれも育ちも大門。町の変化をずっと見て育ってきました。

「今も増上寺の三解脱門の前に少し名残はありますが、かつて店の前の通りは柳並木が連なる通りでした。裏には花街が広がっていてねえ。地元の我々にとっては、すぐそばにある芝大神宮のだらだら祭り(例年、9月11日~21日の実に11日間もの長期間にわたって開催される芝大神宮のお祭り)の名物は、夜9時からだったんですよ。花街で働く芸者さんが担ぐ華やかな女神輿が出てねえ。今だから言えますが、小さい頃はそのお神輿に乗せてもらったりもしていました」

芝大神宮はお店から歩いて5分もかからない

金子さんの小さい頃の夢は、プロ野球選手。野球部にも所属し、スポーツに打ち込む日々だったそうです。ですが、長男ということもあり徐々に店を継ぐのだろうなという意識にはなっていきました。とはいえ、本人としても、ご家族としても「外を見てきた方がいい」という話になり、学校卒業後は4年間、食品メーカーにサラリーマンとして務めていらっしゃいます。

となると、修行はどこでされていたのでしょうか。

「実は、店に戻ってきた段階では修行らしい修業はしていなかったんです。ただ、幼い頃から祖父や父に、店のおつゆはいつも飲まされていた。あと、仕込みのやり方も見ていましたね。でもそれだけ。いざメーカーを辞めて店に帰ってきたら材料を渡されて、“小さい頃から教えているのだから見様見真似でおつゆを作ってみなさい”と言われたんです。するとね、不思議なものでできちゃったんです

金子さん曰く、老舗の蕎麦店は“つゆ”が命。いかにして“つゆ”を一子相伝で伝えていくかということに心血を注いでいるそうですが、その味は、レシピで伝えるというよりは、身体で覚える必要があるのだそう。

「例えば有名醬油メーカーの商品であっても、5年も経てば、時代に即した塩分や旨味の調整によって味が変わってしまうんです。メーカーとしては気づかれないだろうと思っているような0.01%程度の塩分濃度の差異だったりするのですが、この差がいつもの味を期待して訪れるお客様の意にそぐわない結果を生むこともある。だから、最後は職人が自分の舌で調整するしかないんです

蕎麦店はどれだけ地元に根付くかで決まる

 金子さんによると、都内の老舗蕎麦店が仲間内で集まると、店名ではなく、旧町名で呼ばれるのだそうです。それだけ、東京の老舗蕎麦店は地元に根付いているということです。「外ばかり見ていてもしょうがない」と金子さんは語ります。

「江戸の四大料理は“蕎麦”と“うなぎ”と“鮨”と“天婦羅”です。この中で、蕎麦だけが江戸時代からそれほど値段を変えずに提供されています。そもそも、蕎麦という穀物は縄文時代から日本人が食べていた形跡がある。それほど日本人の食文化に染みついていて、身近なんでしょうね。つまりは、自分にとっての蕎麦の味は何かという答えを、一人一人がお持ちの食べ物なのです

だからこそ、うまいまずいではなく、変わらない味を提供し続けることが大事なのだと金子さんは続けます。

老舗とは、お客様からの信用がある店のことだと思います。ここに行けば間違いのない味があり、絶対にあの味が食べられるという安心感を得られるお店。だから、地元にどれだけ根付いているかが店を続けていくコツになる。かつてここには、昭和電工さんのオフィスがあってお昼時になると、足しげく通ってくださる常連さんが多くいらっしゃいました。オフィスが移転してから5年くらいして、その時の常連さんがふらりと訪れてくれた。その際に、昔の味と同じで良かったと言ってくださったんです。これが、本当に嬉しかった

常に変わらない味を提供し続けることが、信頼感や安心感につながるという考え方は、外食チェーン店に近い考え方だと感じました。金子さんに伝えたところ、

「変わらない味を金太郎飴のように、面展開で広げているのが外食チェーン店ですね。一方、我々老舗蕎麦店は、親から子、孫と、地元を軸に味を縦に深掘りして繋げているんです

と笑ってくださいました。

ちなみに、更科布屋の蕎麦は、単品なら1,000円未満で食べられるメニューも豊富でかなりリーズナブルです。

「毎日でも食べていただけるようでないと、お客様にとっての定番の味にならないですからね。目指すのはお客様にとって食べやすい蕎麦店であることですから。とにかく、お客様にたくさん来ていただいて、当店の味に親しみを持っていただきたいですね。もちろん、時々は季節ものの蕎麦を食べてもらえると嬉しいですけれどね」

老舗を継承するにあたって必要なものとは

 最後に金子さんは、老舗には社訓がある店が少ないという話をしてくださいました。社訓というのは、不特定多数が集まる比較的大きな店や新しめの企業が団結するために必要な物なので、父や祖父、曾祖父といった先代の背中から教えを学ぶ老舗には、必要ないのでは、と仰っていました。

そんな更科布屋さんの、将来の事業承継についても伺ってみました。

「現在、娘婿が店を継いでくれると言ってくれており、ほっとしております。老舗として変えちゃいけないことを伝えつつ、老朽化しないように、流行に沿った変化も取り入れていってほしいですね」

とのこと。更科布屋さんでは、四季折々の素材を練りこんで作る、色鮮やかな“変わり蕎麦”も名物です。現在は、桜や青ゆず、青のりなど食材の厳選も済んでいますが、この裏では数々の試作も行われていたそうです。

「若い職人と一緒になって、遊びの延長線上のような感じで、色々なものを蕎麦に練りこみましたよ。中には、とても食えたものじゃない失敗作もあります。でも、こうした挑戦する必要性も伝えていきたいです。伝統というのは、革新の連続でもありますから」

変えではいけないものと、変えなくてはいけないもののバランスは考えて欲しいと語る金子さんですが、話をされる雰囲気からは、それほど難しく感じていらっしゃらないようにみえました。

「理想と現実はかけ離れてはいけません。ですが、背伸びをせず、自分の身の丈にあった商売をしていけばきっと店は続いていくんだと思います。子どもたちには、お客様や、周りの方々への感謝を忘れずに、お米のように実れば実るほど首を垂れる人間になってもらえればと思います」

近年は、インバウンド需要もあり、増上寺を目当てに大門周辺にも外国人観光客が多くなったそうです。そのため、更科布屋さんでも客層に大きな変化があったとのこと。例えば、老舗蕎麦店といえば、年末の年越し蕎麦を求めてごった返す光景を思い浮かべます。更科布屋さんでも大晦日だけで平均1200人ほどのお客様が訪れ、12時間の営業で2000~2500食ほど出るのが常なのだそうです。この年越しそばを食べにくるお客様の中に、外国からの方も混ざってくるようになったのだそう。

「2階席が全部、外国の方で埋まったなんてこともあったんです」

開店前のお忙しい時間にも拘わらず取材のご対応をしていただいた金子さん

老舗の知名度を決して笠に着ることなく、200年以上も味を守り続けてきた名店。そこに伝わっていたのは、複雑なレシピや経営ノウハウではなく、お客を裏切らないために必要な、“感謝”という非常にシンプルな秘訣でした。このシンプルな秘訣を守り続けているからこそ、老舗は残り続け、文化や人種の壁を超えて人を感動させる蕎麦が提供できているのだなと納得できた取材でした。

【芝大門 更科布屋】
住所:東京都港区芝大門1-15-8
時間:平日11:00~21:00(L.O.20:40) 、土曜 11:00~20:00(L.O.19:40)、 日曜・祝日 11:00~19:00(L.O.18:40)
定休日:年中無休
アクセス:JR浜松町駅「北口」より徒歩3分、都営浅草線・都営大江戸線大門駅「A6出口」より徒歩3分

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