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【縁結び・厄除】江戸時代の姿を残す赤坂氷川神社を徹底解説!

2024年5月2日

赤坂通りと六本木通りの間、港区のほぼ中央と言っても過言ではない場所に佇む、「赤坂氷川神社」。1730(享保15)年から300年近くこの場所にあり、日々変わりゆく港区の中でも、江戸時代の面影を目の当たりにできる貴重な場所です。
「東京三大縁結び神社」とも言われており、東京の鎮護と平安を祈願したお社「東京十社」のうちのひとつでもあります。

なかでも、毎年9月中旬に行われる「赤坂氷川祭」は、一度は見ておきたい港区のお祭りのひとつ。都内では貴重な、最大の高さが8メートルを超える山車と大きな宮神輿が赤坂通りを練り歩き、“江戸の祭の華”でもあった迫力ある山車を間近に見ることができます。

 

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六本木駅からも徒歩圏内ということで、遠方からも参拝に訪れる人が多い赤坂氷川神社ですが、実は江戸時代から現在まで、地元の方々と強固な結びつきがあり、地域に根を下ろしている一面も。

今回は、さまざまな魅力にあふれた赤坂氷川神社について、禰宜の惠川義孝さんに、神社の歴史やお祭りについて、そして何世紀も紡がれてきた地元の方とのつながりなどを教えていただきました!

赤坂氷川神社 禰宜・惠川義孝さん
早稲田大学卒業。大手総合小売店に就職後、40歳手前で兄の急逝に伴い退職。國學院大學に通い神職資格を取得後、奉職、神前結婚式や祭礼の拡大に力を注ぐ。地域の方々と一体となり、悲願であった宮神輿の復活や江戸型山車の修復に取り組み、文化財登録や地域各所に展示場が完成するほどまでに成長させた。赤坂のさらなる活性化を目指す「茜共創プロジェクト」、「赤坂地区活性化協議会」理事として、歴史・伝統の振興や、地域の各種行事にも参画。

“暴れん坊将軍”こと徳川吉宗により建立されたままの姿が残る御社殿

全体的に質素な印象でも、要所要所にさまざまな意匠が取り入れられた御社殿(画像提供:赤坂氷川神社)

「赤坂氷川神社は鎮座から1000年を超えていますが、この場所に引っ越してきたのが、1730(享保15)年です。もともとこの場所は、忠臣蔵で知られる赤穂藩主・浅野内匠頭長矩の正室、瑤泉院の邸宅があった場所。浅野長矩の切腹後、使われていなかったこの場所は赤坂全体を見渡せる高台でもあるため、吉宗公がお社の引っ越しを命じられたそうです」と、惠川さん。

江戸8代将軍吉宗といえば、時代劇「暴れん坊将軍」のモデル。最近では、冨永愛主演で制作された男女逆転のNHKドラマ「大奥」の主人公も吉宗でした。倹約家としても有名な吉宗が建立した御社殿は、必要以上の華美な装飾はなくとも、凛とした佇まいを感じられる造りです。

 

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「港区の地図を見ると、戦時中、赤坂のほとんどの場所が空襲により焼失してしまったのが分かります。でもここは幸運にも延焼せず、江戸時代に建立された姿のままで現存している、貴重な御社殿です」

当時は近隣に建物が少なかったこと、そして木々に囲まれていたのも、戦火を乗り越えた理由のひとつだそう。もちろん、今でも都心とは思えないほど、立派な木々に囲まれています。たくさんの木々の中でも、歴史を伝える見逃せない1本が、幹の周囲およそ7.5メートルの「大銀杏」。

境内でいちばん古い大銀杏。

「戦時中の痕跡がよくわかるのが、大銀杏です。樹齢450年と赤坂氷川神社で最も古く、浅野家があった頃からあると言われていますね。太い幹の真ん中、空洞になっている焦げ跡があるのですが、これは焼夷弾の跡です」

今でも焼夷弾の跡がはっきりとわかる。

太い幹の中心がごっそりえぐれてしまっていますが、現在でも青々とした葉が茂り力強さを感じます。が、実は、いつ倒れてもおかしくない状態とのこと。

「学者さんに調べてもらったところ、見えている部分だけでなく、樹木として必要な木の真ん中の部分が、全体で13%しか残っていないんです。要は、皮だけで残っているようなもの。残念ながら、再生させることは難しいと言われています」

生きるために必要な部分が13%だけしかなくても、戦後100年経っても青々とした葉を湛えているなんて、すごい生命力! 惠川さんも「もともと銀杏は火に強い木と言われていますが、すごいですよね」とおっしゃっており、ご参拝時には、忘れずにこの大銀杏からもエネルギーをいただきましょう。

「東京三大縁結び神社」の由来って、どこにある?

縁結び神社は数多くありますが、前述したように、赤坂氷川神社は、東京大神宮(千代田区富士見)、出雲大社 東京分祠(港区六本木)と合わせて「東京三大縁結び神社」として知られています。
加えて、赤坂氷川神社は縁結びだけでなく、厄除の信仰も厚い神社。御祭神(お祀りしている神様)は、三柱です。

●素盞嗚尊(スサノオノミコト)
…… 天照大神の弟神。ヤマタノオロチを退治したことでも知られる。
●奇稲田姫命(クシイナダヒメノミコト)
…… 豊穣を司る神様。ヤマタノオロチのいけにえになったところを、素盞嗚尊に助け出され、後に夫婦となる。
●大己貴命(オオナムヂノミコト)
…… 別名:大国主命。因幡の白兎を助けた神様。各地に恋愛伝説を残しており、良縁祈願の神様としても知られる。

大己貴命は良縁祈願の神様ではありますが、この三柱の神様をお祀りする神社は他にもたくさんあります。また、さまざまなご利益がある中でも、なぜ縁結びと厄除で有名になったのでしょうか。

「多くの方が、“願いが叶いました”と言って、広まったことが大きいと思います。神職として、縁結び・厄除以外のご利益がないのか、と言うともちろんそうではないでしょうし、神様にも失礼にあたってしまいますからね。氷川神社は全国に260社あり、港区にも、赤坂、白金、麻布と3社あります。主祭神は3社とも同じですよ。
“三大縁結び神社”と言われていますが、当社でお参りされてご縁が成就しなかった方もいるでしょうし、さまざまな情報が相乗りして今の流れになったんでしょうね」

冷静に分析されていらっしゃいましたが、赤坂氷川神社は昔から良縁を祈願して鎮座された神社なのかな? と聞いてみると、「口伝ですが、もともとは干ばつがひどくて、雨ごいが発端と伝わっています」とのお答え。

「ただ、縁結びだけではない、とは申しましたが、月に一度、“縁結び参り”というのを行っています。昼間働いている方は物理的にお参りに来るのが難しいので、夜にお参りの枠を設けたのがはじまりなのですが、それがとても好評で。はじめたのは20年くらい前なのですが、そこからさらに縁結びについても広まったのかな、という感じもしますね」

公式サイトから申し込める縁結び参りは、今ではなんと予約開始後、30名の定員が1~2秒で埋まってしまうとか! 確かに働いていると、昼間の参拝は難しいので、生活サイクルに寄り添った参拝時間を設けてくれるのはありがたいですよね。

お寺に多い“供養”があるのも、赤坂ならでは! 包丁塚

赤坂の美食を支えた包丁を祀る包丁塚(画像提供:赤坂氷川神社)

そして、大銀杏のすぐ近くにある「包丁塚」にも、港区ならではのエピソードが。

「赤坂には今でも料亭がありますが、昭和初期まで芸者さんも多く、料亭もたくさんありました。そこで、料理人の方が使わなくなった包丁を納めたい、ということで、当社には包丁塚があります。“供養”と言うとお寺さんの方が多いかもしれないですが、神社に、と言うのは珍しいと思いますよ。昔から神社への信仰が厚かったからでしょうね」

現在は受け付けていないそうですが、年に一度、料飲組合の方が集まってお祀りしているそう。ちなみに、納められた包丁の行方ってどうなるんだろう? と不思議に思い聞いてみると、「当時納められた包丁は、今も塚の下にあります」とのことでした!

まさに狛犬博物館! 都内の神社の中でいちばん古い狛犬も

赤坂氷川神社でいちばん古い、笑顔に見える「阿」の狛犬。

「なぜか当社は狛犬が多いんですよ」と惠川さんが言うように、赤坂氷川神社には、7対の狛犬があります(通常は1~2対だそう)。都内の神社でいちばん古い狛犬もあり、作られたのは、御社殿より前の1675(延宝3)年6月。350年前!

「浅野家のお屋敷があった時代からすでにあったのか、さもなければ、御社殿の建立を機に持ってきた可能性もありますね。現在、中門の両脇にあるのが、その狛犬です」

横から見ると、むっくりした体系。

狛犬は社殿とセット、というイメージですが、社殿よりも狛犬が多い赤坂氷川神社。狛犬だけが作られる、ということもあるのでしょうか?

「当社は赤坂全域を含む非常に広くの方に信仰されているので、狛犬を奉納される方も多いんです。面白いのが、狛犬の形って年代によって変わってくるんですよ。当時の流行だったり、新しい技法を取り入れていたり。古いタイプから凛々しいもの、獅子山に登っている狛犬など、狛犬で時代を追えるのも面白いですよ」

二の鳥居の狛犬は、獅子山に登る猛々しいお姿。

惠川さんが言うように、確かにさまざまなタイプの狛犬が鎮座しています。左右で阿吽の狛犬を正面から見るのもいいですが、いろんな角度から見てみると、新しい可愛さを発見できるかも。さまざまな角度から時代ごとの狛犬をじっくり見るの、おすすめです。

三の鳥居は親子の狛犬。足元の子狛ちゃんも見逃さずに!

四合稲荷は、“4つのお稲荷さんの合祀”“幸せ”“志をあわせる”の掛詞

実は勝海舟ともご縁が深い、赤坂氷川神社。晩年はこの近くに居を構えていたというのもあり、現在も海舟の玄孫さんと交流があるとのこと。そのため、勝海舟にまつわるエピソードもたくさんあり、そのひとつが境内にある「四合稲荷(しあわせいなり)」。

勝海舟が命名した四合稲荷(画像提供:赤坂氷川神社)

「御社殿へ向かう階段の下に、勝海舟が名付けた“四合稲荷”があります。当時の武家屋敷は、屋敷ごとにお稲荷さんをお祀りしていたのですが、住宅環境の変化に合わせ、お屋敷を取り壊す時に神社にお祀りしてもらえないか、と依頼があったそうです。
ただ、本殿には三柱の神様がいらっしゃいますし、個人でお祀りしていたお稲荷さんと本殿の御祭神を一緒にはできないので、境内に別の建物を建てたといういきさつです。単独でお稲荷さんをお祀りしている社殿もあるのですが、四合稲荷だけは、いわゆる集合住宅(笑)。現在は7社合祀していますが、当時は4つということで、“4つ”“幸せ”“志をあわせる”の3つの意味を掛けて、四合稲荷と名付けたそうです。海舟さんによる、四合稲荷の扁額(門や鳥居などに掲げる名称を記した額)も残っていますよ」

“お稲荷さんの集合住宅”という、とってもわかりやすい言葉で当時のエピソードを教えてくれました。ちなみに、ご参拝の順番があるのか聞いてみると「特にないです。まずは本殿に、というのはありますが、あとはみなさんご自由にどうぞ」とのこと。

ご参拝のあかつきに、神社や地域にちなんだ御朱印を

赤坂氷川神社といえば、季節ごとの御朱印のほか、月参り御朱印「かさね」と、デザイン性に富んだ御朱印も人気です。デザインもみなさんで考えられているのでしょうか?

さくらの時期は、季節の御朱印「さくら参り」を(画像提供:赤坂氷川神社)

「御朱印については、一部の神職と巫女で考えていますね。ただ、あくまで御朱印はお参りをされたあかつきのもの。スタンプラリーではありませんからね。そのため、梅、桜、藍など、当社や地域に関わりのあるものがベースです。境内の草花を使用して和紙を染めたりもしていますよ。
あと、いま、茜草という植物を育てています。赤坂の由来は、茜草が生えていたから、という説が有力なんです。ところが、今の赤坂に茜草は生えていない。それで、神社で茜草を育てはじめ、小学校などでも育ててもらっているんです」

茜草は、茜色の根が草木染の原料にもなる植物。すでに2023年からは、茜草を使用した御朱印も登場しているそうです。美しい御朱印にも、しっかり地域を感じられる手間がかけられているなんて、思いもよりませんでした。
そして、御朱印の話が出たところで、個人的に気になっていたことも聞いてみることに。それは、社務所でいただけるお札やお守りとあわせて置いてある「やかん鈴」について。なぜ神社でやかんの形の鈴? と、不思議だったのです。

縁起物のやかん鈴(画像提供:赤坂氷川神社)

「正直に言うと、神社とやかんに関係はないんです(笑)。“やかんの中に幸せという水を自分の努力で貯めなさい。貯まった水(幸せ)は他の人にも分け与えましょう”という教えを込めて作られたもの。
神社の関係者が、縁起物として神社に置くようになり、いまも引き継がれているんです」

地域とのつながりを感じさせるエピソードが満載の、赤坂氷川神社。
お話を伺うなかで、惠川さんも何度も「地域あっての神社」と口にされていたのが印象的です。地域の方との関係に加え、移りゆく時代にも絶妙なバランス感覚で調和してきたからこそ、現在も厚い信仰を集めているんだな、と感じました。

境内のお気に入りの場所は? 大好きな場所だけど……

最後に、赤坂氷川神社を良く知る惠川さんに、境内でいちばん好きな場所を聞いてみました。

「四季折々でいい時期がありますが、朝、正門前で空を見上げると、木漏れ日が本当にきれいに見えるんですよ。港区でこんなに木々が多い場所も少ないですからね。日によって光の射し方が違いますし、1年に3~4日、ため息が出るほど美しい日があります。
あとは、雪が降った夜。現在はそこまで雪も積もらなくなりましたが、本当にシーンとした境内で、時折バサッと雪が落ちるのも好きですね」

 

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「ちょっと風が吹くと葉っぱが舞ってしまうし、雪もね、掃除がね……大変なんですよ(笑)」と笑いながら教えてくれた惠川さん。
私たちが雪深い夜の境内に行くのは難しいですが、赤坂氷川神社の開門は6:00から。6:30から境内でラジオ体操をやっているので、朝活がてら、正門前の木漏れ日を見に行くのも良いかもしれません。

「あとは、やっぱり紅葉ですよね。ただねぇ……銀杏がね、これも掃除が大変なんですけどね。僕が子どもの頃は大きな銀杏で、近くの料亭の方がみなさん拾いに来ていたんですが、時代と共にだんだん小さくなってしまって、今はちょっと食べられる大きさじゃなくなっちゃいましたね」

 

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考えてみたら、都心で自然から四季を感じられるというのは、貴重な場所です。日々季節の移り変わりを実感できるのは神職さんの特権ですが、季節ごとに参拝してみたい、と思う瞬間でした!

今回は赤坂氷川神社についてご紹介しましたが、次回は、江戸時代の御祭りを復活させた「赤坂氷川祭」や地元の方々との関わりについてご紹介します。

<第2回>【赤坂氷川祭】江戸の祭を蘇らせる! 優美で壮麗な山車と豪壮な宮神輿の競演
<第3回>【赤坂氷川神社】氏神神社、氏子ってなに? 神社と地域の関係を教えてもらおう

赤坂氷川神社
住所:東京都港区赤坂6-10-12
時間:開門/6:00、閉門/17:30
社務所受付/9:00~17:00
定休日:なし
アクセス:東京メトロ千代田線「赤坂駅」、南北線「六本木一丁目駅」、日比谷線・大江戸線「六本木駅」、銀座線「溜池山王駅」よりそれぞれ徒歩8分

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