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歴史ミステリー③新橋駅に実在!「幻のホーム」の謎と現在を探る

2023年11月22日

地下鉄新橋駅の中に、一般公開されていない秘められた空間、通称「幻のホーム」がある――。そんな話を耳にしたことはありませんか?

実は、私自身、通勤で毎日新橋駅を利用する身。木目調の壁に緑色のシート、当時の1000形を再現したレトロなデザインの“レア車両”にも、月に一度くらいの巡り合わせで乗車しています。

レアといえば、昨年には、猫用おやつ「ちゅ~る」発売10周年を記念し、車内外に猫たちの写真や商品が施された特別車両「ちゅ~るちゅ~るトレイン」にも運よく乗れました。猫好き人間のサガとして、周囲の方々の迷惑にならないよう思わず写メを撮ったのもいい想い出です……。

思わず脱線しましたが、そんな私でさえ、JRと銀座線を乗り換える道中、「幻のホーム」らしき存在を目に止めたことはなかったのです。

調べてみると、「幻のホーム」は東京メトロ銀座線内にあり、普段は非公開。2007年の「地下鉄開通80周年記念イベント」開催時に特別公開されましたが、それから10年以上の時が経った今、「幻のホーム」はどうなっているのでしょうか? 今回は特別に、東京メトロ様に現状を教えていただきました。

新橋駅に実在した!「幻のホーム」

ホームを仕切る白いアーチ状の柱が、シンプルモダンな空間を演出するようで印象的

「幻のホーム」とはどんな空間なのだろうか……。数々のメディアで情報を集めてみたものの、どこかイメージがわかなかった私。今回、格別のご配慮を頂き、東京メトロ様で管理されている「幻のホーム」の画像を頂くことができました!

拝見してみて、ひとしきり感動。普段利用している地下鉄の駅のホームとは、やはり趣がまったく異なります。後述する理由で比較的使用期間が短かったためか、多少の年月の経過は感じるものの、全体的にキレイな印象です。「『幻のホーム』は確かに実在していたんだ」と、感慨深い想いです。

アーチ形の白い柱は、華美な装飾はなくとも清潔感やスタイリッシュさを感じさせます。新橋駅の構内に、こんなスペースがあったとは……。まるで秘密基地を発見した時のように、驚きとワクワク感の混ざった感情が湧き上がりました。

 「幻のホーム」と呼ばれる理由と歴史

モザイクタイルで記された、東京高速鉄道新橋駅の駅名表示。右から左に読ませるのも、時代を感じさせます

そもそも、なぜこのスペースは「幻のホーム」と呼ばれているのでしょうか? その理由には、日本の鉄道開業史が関係していました。

日本初の地下鉄を開業するまでには、資金調達や工事の面で、関係者の多大な尽力がありました。特に大きく貢献したのは、後に「地下鉄の父」と呼ばれることになる早川徳次(はやかわ・のりつぐ)氏と、彼の設立した「東京地下鉄道株式会社」と言えるでしょう。

暗い地下を掘り進める工事自体も大変だった上に、不況や関東大震災のあおりも受けた当時。当初の計画からルート変更を余儀なくされながらも、1927年、「東京地下鉄道株式会社」により日本初となる上野~浅草間の地下鉄が開業。1934年には、当初の計画通り浅草~新橋間まで開通したのです。

やや遅れて、1939年1月には別会社の「東京高速鉄道株式会社」が渋谷~新橋間で地下鉄を開業。「東京地下鉄道株式会社」と「東京高速鉄道株式会社」、2社の「新橋駅」が存在することになり、地下鉄を利用する乗客たちは新橋駅で乗り換える必要がありました。

紆余曲折の末、1939年9月、2社は浅草―渋谷間で相互直通運転を開始。これが現在の銀座線の基盤となります。

相互直通運転をする上で、2つあった「新橋駅」のうち、使用されるのは「東京地下鉄道株式会社」のホームになりました。「東京高速鉄道株式会社」の新橋駅は閉鎖が決まり、わずか8カ月間使用しただけの「幻のホーム」となったのです。

その後、1941年、地下鉄は国のもとで一元管理されることになり、特殊法人「帝都高速度交通営団(営団地下鉄)」が誕生します。この営団地下鉄こそ、やがて「東京地下鉄株式会社(東京メトロ)」となるのです。

現在は主にバックヤードで活用されている

バックヤードや会議室、作業スペースとして実は現役でした

とはいえ、「幻のホーム」のスペースは、現在でもしかるべき方法で有効活用されているそうです。東京メトロ様に、現状を教えていただきました。

例の1つとして、工事が行われる際にはバックヤードとして活用されるそうです。さらに、車両を留置したり、東京メトロ社員の方々の会議室や、新橋駅構内で清掃に従事する方々の作業スペースとして使われることも。現在でも、まったく人が立ち入らないわけではないのです。

余談ですが、港区外にも、「幻のホーム」ならぬ「幻の駅」が存在します。たとえば、銀座線と地下鉄5号線(現在の東西線)の乗換駅として使われるはずだった「槇町駅」。槇町駅は東西線のルートが変更になったため、一度も使用されず陽の目を見ないままになってしまいました。

そうした事情を鑑みると、少しの間でも一般客に利用され、今でも銀座線や東京メトロ関係者に活用されている「東京高速鉄道株式会社」の旧ホームは幸せといえるのかもしれません。一般客からすると立ち入れない「幻のホーム」ではありますが、実は働く人々を陰で支えてきた“黒子のホーム”でもあったのです。

現時点では、「幻のホーム」の今後の展望などは未定ということでしたが、過去には同ホームを活用するアイデアのデザインコンペを開催したことも。いつかどこかでまた、世の中の人が広く「幻のホーム」に触れる機会が生まれるかもしれません。

普段何気なく乗る東京メトロの路線や列車ですが、定刻通りに動くことは、決して簡単でも当たり前でもありません。その背景には、関係者の方々のたゆまぬ努力や働きがあります。時には「幻のホーム」のような黒子の存在にも、知らず知らず助けられているのかも……。「いつか」の機会に巡り会うまで、列車に乗り込む際には、そのことを忘れずにいたいと思うのです。

(画像提供:東京メトロ)

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【新橋駅】
路線名:JR東海道線、横須賀線、山手線、京浜東北線、東京メトロ銀座線、都営浅草線、ゆりかもめ
住所:東京都港区新橋2丁目17

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