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【港区立伝統文化交流館】芝浦で暮らす人の文化を保存し未来へ継承する施設

2024年1月16日

港区立伝統文化交流館の館長・原 正子さんにお話を聞いてきました

前回、港区内に元見番だった貴重な建築物があることを知った私。

完全に、個人的な興味で、港区立伝統文化交流館さんに取材を申し込んでみたところご快諾いただき、

2023年10月16日、現地にてお話を伺うことができました。

お話を伺った港区立伝統文化交流館館長の原 正子さん

見番から簡易宿泊所へ!大胆な転身の理由は芝浦という立地だった

まず最初に、改めて港区立伝統文化交流館についておさらいとなります。ここは、様々な伝統文化や生活文化に関する事業を行うことにより、伝統文化の継承やコミュニティ活動拠点として利用しようという施設。同時に、港区指定有形文化財である“旧協働会館”という建物自体を保存・公開することを目的とした施設でもあります。

外観はもちろんですが中に入っても圧倒される細かな装飾や、年季の入った木材の美しさは、確かに文化財といったたたずまいです。ですが、ここでは貴重な木材に顔を使づけて、直に触れることも許されています。

原館長いわく、受付前で何気なく踏んでいるこのタイルも、昭和初期から使われている貴重な物だそう

原館長「この建物が建てられたのは、芝浦に花街ができてからしばらく経った昭和11(1936)年のことです。芝浦の花柳界に、見番がないのは不便だということになり建てられたというお話です。施行主はこの地で“芝浦雅叙園”という高級中華料亭を営んでいらっしゃった細川力蔵さんだそうです。いま目黒にある、“ホテル雅叙園東京”の原型も作られた方と聞いています」

ホテル雅叙園東京!

いきなりすごい名前が出てきました。関東以外に在住の方にはあまりなじみが無いかと思いますが、東京を代表する超高級ホテルであり結婚式場です。百段階段と呼ばれる有名な木造階段は、著名な画家たちの名画で彩られており、一度は見てみたいと願っているところです。後で調べたところによると、芝浦雅叙園はホテル雅叙園東京の前身である目黒雅叙園の姉妹店だったようです。さらに、原さんからお名前の挙がった細川力蔵氏は、芝浦の町会長や、花街の三業組合理事長も務められていたことが分かりました。

原館長「ですが、建物ができて間もなく戦争が始まっています。芸妓さんの多くも疎開してしまったと聞いています」

年表と照らし合わせると東京で本格的な空襲が始まったのは昭和19年からですので、この建物がきちんと見番として機能していたのは、約6年ということになります。芝浦花柳界の歴史は本来ならそのまま途絶えてしまうはずでした。ところが、芝浦という立地が幸いしたのです。

戦災の復興にあたり、東京は多くの物資を必要としました。そのため芝浦港が活用されたのです。港で貨物の積み込みや積み荷をされる荷役の方々が町にあふれ、港から各地へ資材を運ぶためのトラック用タイヤ工場も建設されました。

原館長「辺りは港湾労働者が集う街へと変わったそうです

たしかに、現在も芝浦ふ頭があるため芝浦には海というイメージはつきものです。ですが、港湾労働者が集まりごった返すような面影はすでになくなってしまっていますね。

現在の芝浦の街並み

戦後、集まっていたのは海の男たちですので、このエリアの飲食店の客層が変わってきました。ですが、そこはさすが江戸っ子です。人々はすぐに町の変化に対応し、さらに花街エリアは大きくなっていきました。

施設内には当時の花街の地図もありましたが、確かに現在タワーマンションが建っているあたりに小さな飲食店がたくさん集まっています。

原館長「芝浦には全国からあらゆる人と物が集まったのですが、地方から船でやってきた荷役さんたちの、宿泊する場所が不足したそうです。そこで、彼らのための宿泊所としてこの建物が利用されました」

建物は『協働会館』という名称の宿泊施設に変わりました。

原館長「ちなみに、宿泊所だったころは、今と全然造りが違っていたそうです。港で働いて、埃まみれのまま上がり込んでもよいように、一階のほとんどは土間だったようです

住民の想いが残した貴重な建物

しかしいまではモダンな港区内に、かつてそんな海の男たちの憩いのエリアがあったなんて信じられません。

原館長「芝浦で生まれ育った高齢者の方々とお話ををすると、昔は、銭湯に行けばガタイの大きいおじさんたちがたくさん居て“よお”と気さくに声をかけてきてくれたんだって、聞いたことがあります。そのときの街の気配が息づいているからなのか、今もこの近辺は町会活動がとても活発なんですよ。義理人情に篤いというか、下町っぽい雰囲気があります

港の荷下ろし機械化が進むと、荷役の方々も町から去っていきました。残された協働会館は、町の集会場として使われていたそうです。ですが建物は老朽化が進んでいました。平成12(2000)年、惜しまれつつも建物の閉鎖が決定しました。そこで地元の方々の下町気質が発揮されたそうです。

原館長「協働会館を残そうと、建築家集団や古建築保存運動の活動家、そして地域住民の方々が一体となった保存運動が始ったそうです

特別に見せていただいた2階楽屋へ繋がる階段。老朽化が進んでいるため現在は使用禁止中

原館長「港区はこうした地域住民からの現地保存と利活用を望む声を踏まえ、その保存と利活用について検討を始めました。結果、平成21年4月には旧協働会館の建物が東京都から港区へ譲渡されるとともに、平成21年7月に港区指定有形文化財に指定されています。
文化財に指定されたことで、莫大なリファイニングの資金は、文化庁、東京都、港区が分割して支出することになったと聞いています。こうして当館は、新型コロナの流行で開館が延期になるというアクシデントがありながらも2020年6月に、港区立伝統文化交流館として生まれ変わったのです」

3者管理だと、区の予算も想定より少なくできる素晴らしい落としどころです。

原館長「先日、この施設で講演を開いてくださった大学の先生のお話ですと、こうした住民の請願がきっかけとなって、建物を残すことに成功するケースは東京都内では非常に珍しいそうです。先日、熱海の方から昔この辺りに住んでいたご高齢の男性が来館されたのですが、“変わっている街並みの中に、旧協働会館を見つけた時は涙が出るほどうれしかった”とお喜びになってくれました。この建物を残すことができて、本当に良かったと思いましたね」

1F中央部の和室は、情報コーナー。港区や芝浦を紹介している

2階へ上がる階段の手すりには擬宝珠状の装飾が。建築当時のもので多くの人が触れたと思うと感慨深い

和風建築でよくみられる地窓。他の窓と高低差を作ることで、室内全体に風をいきわたらせ換気の効率化を図る知恵

窓枠の装飾に個性を持たせるのも古い建物ならではの特徴

懐かしのねじ式の窓鍵!冬の寒い夜など、これをくるくる回すのがめんどくさかった……

向かって左側が文化財指定されている古い窓。印象が変わらないよう、右側の新しい窓にも古い窓に合わせて装飾を新調した

建物のあちこちで見かける木枠で造られた格子。これもかつての雰囲気を損なわないよう工夫し、施された耐震補強

ただ保存するだけではない生きた建物の活用法

原館長「この施設に与えられたミッションは、“建物の保存”と、“建物の活用”の両輪だと考えています。この両輪をどうすれば上手に転がしていけるか、常に伝統文化交流館の在り方を模索しています」

原館長は、私の前に様々なイベントのパンフレットを広げて見せてくださいました。そこには、落語会開催のお知らせや、小学生も参加できる将棋教室ジャズのコンサートに、面白い所では義太夫節とDJイベントのコンピレーションまで!まさに、文化交流そのものです。

原館長「伝統文化交流館の2階には、見番時代に芸妓さんたちが踊りの練習をされていた“百畳敷”という巨大な舞台付きの大広間があります。この大広間は貸室としても利用できるようになっており、登録団体の方々が予約の上、日々、日舞や三味線、尺八や能楽などほんとうに様々なお稽古に励まれています」

百畳敷の大広間は三面採光となっておりとても明るい

舞台袖から見た景色

原館長「次に地域の交流拠点としてです。館独自の運営と並行して、可能な範囲で町会の活動にも参加させていただいています。都会の子どもたちがあまり経験できない季節の伝統行事体験を行ったり、緊急時の炊き出し訓練と称して町会の皆さんと一緒に手打ちうどんの作り方を学んだりしています。かなりの盛り上がりで、とても楽しいです」

ちょうどお月見の時期だったこともあり、この日は中秋の名月の飾りが展示されていた

なんとも、楽しそうなイベントです。かなり密な人づきあいができそうです!

原館長「それと2階の『交流の間』は、12時から14時の間は、だれでも利用できるフリースペースとして開放しています。1Fに福祉カフェがあります。あそこでコーヒーを買って、近隣のサラリーマンの方々が休憩に来られたり、パソコンを持ちこんでテレワークをされたりしています。最近よく見かけるのは、ママ友さんのグループですね。下が畳なので小さなお子さんが転んでも安心でしょ。だから子お子さんを連れてお喋りしに来られるんです」

地域の障がいをもつ方々の働く場としての役割も持つ「福祉喫茶 紫陽花庵」(憩いの間)

確かにタワーマンション住みのお母さんたちからしてみたら、3歳4歳くらいの子どもたちを手の届く範囲で遊ばせるにはちょうどいい広さかもしれません。

原館長「それと好評なのが、産直野菜の直売会ですね。旬の食材の調理法も一緒に教えてもらったりして。直売会は毎月二回、建物の駐車場エリアでやっています」

2階から見下ろした中庭部分。向かいは新築された事務所棟で、車椅子の方が二階に来れるようエレベータも設置されている

取材を終えて

貴重なだけでなく、非常に面白くためになるお話をたくさん聞けて、気が付けば1時間の予定を30分もオーバーするという、編集者としてあるまじき失態を犯してしまった今回の取材。

ですが、本当に地元の方々に愛されていた建物であり、これからも愛され続けていく場なんだということを深く感じることができました。原館長、そして、港区立伝統文化交流館の職員の皆さま、今回は本当にありがとうございました。

今回の取材、現地に少し早くついたため、自動販売機で缶コーヒーを購入し建物の周辺をぶらぶらと散策していたんです。すると、目的もなく同じ道を歩いている僕を、心配してくださったのでしょうか。ご近所のおじさんが

「お兄ちゃん、道に迷ったの?どこに行きたい?」

と声をかけてきてくださいました。

大学進学で上京してから、もう20年になろうとしています。地元よりも関東での暮らしの方が長くなった私ですが、実はこのようなお声がけを東京都内で頂いたのは初めて。

改めて

「芝浦という町は義理人情が生きている」

という原館長のおっしゃっていたことに合点がいった次第です。

芝浦という町は、掘り下げてみるとものすごい面白いエリアになりそうです。

写真撮影は禁止となっているのですが、施設の中には、芝浦の歴史を貴重な資料や写真とともに展示している展示室・情報コーナーもあります。

原館長からは、色々と各種イベントの詳細もお伺いできたのですが、本当に数が多いためまずはこちらの施設のHP

港区立伝統文化交流館

をご確認ください。(私は、次は落語を聞きに行きたいと思っています!)

所用があって、田町、三田駅あたりで降りたものの時間が空いてしまったという方!

是非、港区立伝統文化交流館へ足を運んでみてください。おすすめです!

 

港区立伝統文化交流館

住所: 東京都港区芝浦1丁目11−15

時間:10:00~21:00
※貸室利用を除き入館は閉館30分前まで

定休日:年末年始(12月29日~1月3日・臨時休館日)
※開館時間や休館日は、天候等の影響により変更になる場合がございます。

入館料:無料

貸室利用料(2階「交流の間」)
※対象:区内在住・在勤・在学の団体又は個人
※事前登録が必要です。
10:00~12:00 5,700円
14:30~17:30 8,500円
18:00~21:00 8,500円

アクセス:JR田町駅「東口」より徒歩8分、都営浅草線三田駅「A7出口」より徒歩9分

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