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【港区の商店会】新しい町とともに歩む商店会 〜若き白金プラザ会の挑戦〜

2025年3月20日

東京メトロ、都営地下鉄白金高輪駅に直結した複合施設『白金アエルシティ』。高層オフィスと高層マンション、それに工場棟を備えたエリアのランドマークとも呼べる建物で竣工は2005年です。このアエルシティを中心に、内外問わず近隣の商店が集まった商店会が『白金プラザ会』。商店会というと、古くから地元に根差しているお店が中心に運営されるイメージでしたが、できてから20年の建物にある商店会とはどういうことでしょうか?

ということで、アエルシティ一角でサンフローリストという生花店を営んでいる白金プラザ会理事の藤澤旭さんに、白金プラザ会の成り立ちについてお話を伺ってきました。

白金プラザ会理事を務める、株式会社サンフローリスト代表取締役の藤澤旭さん

かつて陸の孤島だった白金高輪の町

「サンフローリストが白金に北のは48年前のことです。そのころは、もちろんアエルシティなど存在せず、店があった場所は今道路になっています。当時は“魚らん商店会”の一員として営業をしていたのです」

と藤澤さんは早速切り出してくださいました。サンフローリストはもともと静岡から出てこられた藤澤さんのお父様が、渋谷区恵比寿で開業したお店だったそうです。ですが48年前、お父様はお店を白金の現在の場所より道路寄りに移転させました。

「移転当時はまだ地下鉄なんて通っておらず、白金へはバスに乗ってくるしかない、陸の孤島のような場所でした。私よりずっと年上の方たちに話を聞くと、かつて路面電車が走っており便利だったような話だったり、道路の拡幅工事で大きく町が様変わりしたときの記憶とかを話してくれますけれど、私はそのころを知らないんです。なぜこのような場所に移転しようと思ったのか父なりに何か勝算があったのかもしれません」

調べてみると、白金エリアを走っていた路面電車は1969年までにすべて廃止されていました。今から約56年前のことです。その後白金高輪エリアは、開発に取り残されるかのように町工場と住宅、商店が密集した町として残り続けました。都心部にありながら昭和の面影が残る街だったのです。

ですが、そのままでは町の利点を活かせませんし、何よりも古い町並みでしたので防災の観点からも問題がありました。

今でも白金高輪には昭和の面影を残す路地が残っている

「1988年だったか、バブルもあってこのあたりの再開発の話が持ち上がりました。その時、魚らん商店会に新しい商店会を作りたいと、再開発が行われるにあたり再開発エリアに入るお店でお願いに行ったんです。町が新しく生まれ変わるのなら、商店会も新しくしたいと意見を伝えました」

それは、一種の独立宣言じゃないですか?

「いえいえ、ちゃんと魚らん商店会の方にも納得していただいての円満解決ですよ。今も、魚らん商店会の方々と交流はありますしね」

白金高輪エリアの再開発を担当した長谷工 コーポレーションのサイトには、「白金一丁目東地区市街地再開発事業(白金アエルシティ)」についての記事が掲載されています。そこには、まさに1988年に「港区まちづくり推進地区予備調査」が行われたと記されています。藤澤さんによると、これは東京都でもかなり初期の再開発だったそうです。

「東京都も港区も、開発デベロッパーの長谷工 コーポレーションさんも、1991年時点で再開発のエリアマネジメントなんてやった経験はなかったと思われます。だから、都市再開発のモデルケースとして、かなり細かく関係各所が協力しながら事業は始まりました。このプロジェクトの肝は、工場で働く人、商店街で働く人、そして住民の三者全員が満足する町を作ることでした。父も町づくりのメンバーとして一緒になって準備をしていましたね」

“住みつづけられる街づくり”をキャッチコピーに始まった再開発。藤澤さんも、住み続けられる町という要素には思い入れがあったようです。

町の未来を作るのは常に子どもたちの笑顔

こうして2005年に完成したのが、白金アエルシティです。その最大の特徴は、南街区に設けられた南街区に設けられた『白金アエルシティ テクノスクエア』の存在でしょう。もともとあった町工場を移転させるのではなく、再開発事業の中に取り込みエリアとして一体化してしまっているのです。騒音を発する町工場は、住環境との相性が最悪にも思われますが、工場、商店、住民の三者が共に暮らす町を実現するために、道路を一つ隔て街区を分けることで、共存を実現しています。テクノスクエア内には、工場棟が立てられており地元にいた事業者がそれぞれに入居する形で現在も業務を営んでいます。

外観は近代的なビルだが表札を見ると町工場と分かる名前が並ぶテクノスクエア

一方、駅直結の形で建てられたタワーマンションには、それまで白金高輪に縁もゆかりもない人たちがたくさん暮らし始めることになりました。一度に1,000人近く人口が増えるわけですから、買い物難民も多く発生してしまいそうです。白金プラザ会は、そうした新しく増える住民のために独立したという背景もあり、事前に準備はしていたそうです。ですが、どれだけお客様の需要に耐えられる商品やサービスを用意した所で、地元商店会にお客様が足を運んでくれなければ意味がありません。白金プラザ会は、アエルシティの商店会に愛着を持ってもらうための取り組みを始めました。

「やはり、活気のある町には子どもの存在が欠かせないと思っているんです。再開発事業が立ち上がったばかりのころは、子どもが裸足で走り回れる土のエリアを作りたいなんて意見も出していました。実際に町ができ上っていると、私たちが想定していたよりも子どもの数が多い。普段は静かな町ですけれど、イベントの時には近隣のマンションからお子様連れのお客様がたくさん押し寄せてきます。だからなおのこと、お子様をターゲットにしたイベントが重要になってくる」

この藤澤さんの想いは、アエルシティが誕生する前から変わっていないそうです。

「サンフローリストでは30年前から、子ども向けのワークショップである“こどもひろば”を行っています。子どものころからお花屋さんに親しみを持ってもらおうと始めました。簡単なフラワーアレンジメントのワークショップを年5回、バレンタイン、イースター、父の日、敬老の日、ハロウィンと行っています。当店には、アエルシティの本店の他あと2店舗あるのですが、麻生店で人気だったのがハロウィンに行っていた仮装イベントでした。当時の麻生店スタッフによると、ハロウィンが定着した現在と比較しても遜色がないくらい本気で仮装を楽しむ子どもさんが集まっていたそうです。白金本店の“こどもひろば”でも仮装してくる子どもも増えてきました。この頃からハロウィンの“こどもひろば”ではお菓子を配り始めました」

取材をさせていただいた日はバレンタインをテーマにしたアレンジメント教室の募集の佳境でした

白金プラザ会ができてから7年経った頃、会員のこどものはいしゃさんから一緒にチラシを作ってお菓子配りをしましょうと声をかけていただき、たくさんの子どもたちが来てくれました。子どもたちに集まってもらうことが町のためになるという思いもあり、白金プラザ会としてハロウィンイベントができないかと企画することになりました。規模が少し大きくなったハロウィンイベントは大成功。白金プラザ会が新しい取り組みをはじめ、盛り上がっているという話は近隣の商店会にも伝わります。2年もすると、このハロウィンイベントは白金・高輪エリアの8商店会を巻き込んだ地元の大きなお祭りとなりました。

「ちょっと最近は規模が大きくなりすぎちゃったかなという気もしていますけれどね。やはりイベントが定着して町がにぎわってくれることは嬉しいです。こういった商店会主体のお祭りというのは、町や商店街に愛着を持ってもらい固定客となってくれる未来のお客さんを育てるために行うものなので

白金プラザ会では、町を盛り上げるため、そして何より子どもたちに喜んでもらうために積極的に新しいイベントを企画し続けていたそうです。

「夏の七夕祭りをしようということになりました。地元の子どもたちに夏らしい体験させてあげられないかと企画するなかで出てきたのが、都会の子にホタルを見せてあげたいという話でした。色々探していたところ、山形県庄内町にホタルを育てて提供してくださっている方がいらっしゃることを知り、協力をしていただけることとなりました」

こうして始まったのが、白金プラザ会の『天の川蛍祭』です。縁日や、スタンプラリーも充実していますが、やはり目玉となるのは、白金の町中に放たれるホタルの光。毎年ホタルの鑑賞ケージに工夫を凝らし、進化を続けているそうです。2008年から始まった同イベントは、山形県庄内町とも提携を結びどんどん大きくなっています。

「もちろん、失敗したイベントもありました。2011年ごろに、目の前の公開空地で野外コンサートを実施したんですが、オフィス棟の方から音が大きく響くと苦情が入ってしまい現在は中止しています。商工住一体で暮らしている町の難しいところですね。また、冬の間に新潟県の十日町市から雪を運んできて、子どもたちに雪遊びをしてもらおうというイベントも行っていました。こちらは、イベント後の雪の処理が大変だということが分かり、現在は中止しています。残雪ってガチガチに固まるでしょ。これを、きちんとした手順で処理をしろと行政から怒られてしまいました。川に捨てるわけにもいかず、結局持ってきてくださったトラックにもう一度積み直して十日町まで持って帰ってもらうしかなくなったんです。ちょっとコストがかかりすぎました。子どもたちには好評だったのですけれどね」

試行錯誤しながらも次々と新しい施策を打ち出し続けている白金プラザ会。その根本には子どもに楽しんでもらうことを一番に考えるという、一貫した姿勢があったのですね。

受け継がれる想い、つながる街の未来

ところで、アエルシティには、白高町会というタワーマンションの住民と古くからの住民が一体なって精力的に活動されている町会もあります。町会と、商店会の事業の住み分けはどうなっているのでしょう。

「町会が兄貴で商店会が弟みたいに思っています。町会は、この町に暮らす人たちが自分たちの町をよりよく暮らしやすくするにはどうすればいいのかをみんなで考えている組織ですが、商店会はあくまで商店が主体です。サンフローリストも白金で40年以上営業していますが、実際に私が住んでいるのは白金台の方ですからね。町会が暮らしやすくしてくださった町を、より盛り上げられるように商売をさせてもらっている人の集まり、と言ったところでしょうか」

当初10店舗で立ち上がった白金プラザ会ですが、現在加盟店は46店舗にまで増加しています。この拡大速度の速さも、アエルシティ近隣で商売をしている人ならだれでも入れるという商店会ならではでしょうか。

「町会も商店会も基本的には、住み続けられる町にしたい、よりよい町にしたいという思いから自発的に起こる活動です。それに、防災活動という側面もあります。確かに、毎月町会費という名目で100円ほど徴収されて、いったい何に使われるのかわかっていない人も多いと思います。あれらは、基本的に、地域で使う防災グッズの拡充や、町内の設備補修などに充てられているんです。そのなかから、余ったお金を還元するために、地元のお祭りやイベントが行われている。自治会のメインの活動は、イベントだって思われがちなんですけれどね」

町会費については、確かに何に使われているお金なのかのアナウンスが致命的に不足しているという課題はあるなと思います。そのせいで、近年は町会へ参加しないという選択をとる家庭も増えているようですし、ネットで検索をすると、町会に参加しないで済むためのHow toを教えあっているような空間もあります。古くから町に暮らす地元の方にとっては頭の痛い問題でしょう。

一方で、若者の目から見た時に、還元の形もそれでいいのかなと思うことも多々あります。例えば、地方の自治会がよくやっている地域の運動会。今現在、学校ですら運動会の是非について語り合っている時代に、毎年行うイベントとして適切なのでしょうか。

白金プラザ会は、商店会としてはまだまだ新米かもしれません。ですが、その若さを前面に押し出して、他の商店会ではなかなか実行できないようなイベントを積極的に仕掛けていらっしゃいます。アエルシティという新しい町にみんなが根付いてもらうために、商店会よりもさらに若い子どもに目線を合わせているからでしょう。

「老舗の定義って何だと思いますか?」

最後に、藤澤さんはそう我々に訪ねてきました。

「100年以上続いていること、伝統の定番商品があること。人によっていろいろあると思いますが、私は親子3代に渡ってお店を訪れてくれるお客様がいらっしゃることだと思っているんです。サンフローリストにもようやく3代に渡って利用してくださるお客様が生まれてきました」

お店作りも町づくりの一環です。白金プラザ会の各店が、3代に渡って愛される老舗となれるそんな未来を目指して。今日もアエルシティでは子どもたちに向けたイベントが企画されています。

【サンフローリスト】
住所:東京都港区白金1-17-2
時間:9:00~19:00、土・日曜日9:00~18:00
定休日無
定休日:無休
※1月1日~3日のみ年末年始休有り
アクセス:都営地下鉄三田線、東京メトロ南北線白金高輪駅「4番出口」からすぐ

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