港区歴史探索・駅名のヒミツ 「泉岳寺」
かの赤穂浪士ゆかりのお寺
吉良邸への討ち入りで有名な赤穂浪士。彼らとその主君・浅野内匠頭の墓地が港区にあること、ご存じでしたか?
「忠臣蔵」ファンなら一度は訪れたい 聖地
曹洞宗の寺院・泉岳寺の最寄り駅は、京急本線、都営浅草線の2線が乗り入れている「泉岳寺駅」。その名の通り、「泉岳寺」からほど近い場所にあります。
泉岳寺は、慶長17年(1612年)、徳川家康が幼年、身を寄せた今川義元の菩提を弔うために創立した由緒ある名刹。創建当時は、江戸城の外桜田にありましたが、1641年(寛永18年)に起きた寛永の大火によって焼失。復興がなかなか進まないのを見かねた3代将軍家光の命により、現在の高輪の地に泉岳寺は移設されました。
いわゆる「赤穂事件」の関係者、赤穂浪士たちと浅野内匠頭が葬られていることでも有名で、境内には「赤穂義士記念館」もあります。
歴史上の史実であった「赤穂事件」が歌舞伎の演目「仮名手本忠臣蔵」として上演されると、大石内蔵助らの名は広く知れ渡るように。ファンにとっては聖地であり、現在でも多くの人々が参拝に訪れています。
赤穂事件とは?
そもそも、赤穂事件とは具体的にどんな内容だったのでしょうか。
1701年(元禄14年)、江戸城の松之廊下で、赤穂藩主・浅野内匠頭が吉良上野介に斬りつける刃傷事件が起きました。この事件により、浅野内匠頭は即日切腹を命じられ、赤穂藩は取り潰しとなりました。
浅野内匠頭が吉良上野介に斬りかかった理由は、実はいまだはっきりと明かされていません。ですが、吉良側には一切のお咎めなし。
翌年12月、大石内蔵助を中心とする赤穂浪士たちは、吉良邸に討ち入り、仇敵・吉良上野介の首をとったといわれます。その後、赤穂浪士たちは、吉良の首を泉岳寺前に供えたといわれます。
秘密の?抜け道も発見
実は泉岳寺に向かうには、知る人ぞ知る近道があります。付近にある高輪高校から伸びる謎の小径(?)が、その正体。地元の方はよく通られているそうです。
とはいえ、坂が多いこの付近。せっかくの近道ですが、坂道を行くことになります。急勾配が苦手な人は、泉岳寺駅から普通のルートで向かってもよいかもしれませんね。
【泉岳寺駅】
路線名:京急本線、都営地下鉄浅草線
住所:東京都港区高輪2-16-34
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