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愛宕神社は「江戸と空が繋がる場所」虎ノ門の再開発で変わる街と、語り継がれる歴史

2026年3月19日

港区・虎ノ門の再開発エリアに鎮座する愛宕神社。創建以来、江戸の火伏せを担ってきた歴史ある神社です。さまざまな歴史の転換点にも関わってきており、江戸時代から現在に至るまで、愛宕山の山頂から虎ノ門エリアを見守ってきました。

そんな愛宕神社の歴史について教えてくれたのは、愛宕神社の権禰宜・松岡里枝さん。出世の石段や意外なご利益、語り継がれている歴史や変わりゆく街の風景について、笑顔を交えながら語ってくれました!

江戸を火難から守る「愛宕神社」の歴史とご神体

愛宕神社の創建は慶長8(1603)年。江戸の街を火災から守る「火伏せの神」として、徳川家康公の命により建立されました。
主祭神は火産霊命(ほむすびのみこと)。その名の通り火の神様であり、今日に至るまで、火災除けだけでなく、商売繁盛や恋愛・結婚・縁結びの神様としても厚く信仰されています。

出世の石段を上り切ったらお迎えしてくれるご本殿

永い歴史の中で、さまざまな困難に見舞われた愛宕神社。江戸の大火災、関東大震災や戦争の空襲により焼失してしまったご本殿ですが、昭和33(1958)年に再建され、現在の私たちを迎えてくれます。

「大震災や戦争で古いものはすべて焼けてしまった」と松岡さんはおっしゃいますが、それでもこの場所が持つ意味は、いつの時代も変わりません。

江戸を見下ろす「隠し砦」? 愛宕山が神社の境内地に選ばれた理由

愛宕神社が鎮座する愛宕山は、天然の山としては東京23区内で最高峰。なぜ徳川家康はこの場所に神社を創建しようと考えたのでしょうか?「あくまでも口伝になってしまうのですが」と前置きをしつつ、松岡さんが意外な謂れを教えてくれました。

昇亭北寿『東都芝愛宕山遠望品川海図』,山本. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1303352 (参照 2026-03-06)

「愛宕山は江戸でいちばん高い山なので、山頂から江戸の街全体を見下ろすことができます。主要街道も近く、一説によると『隠し砦』のような意図もあったのでは? と言われているんですね。
いきなり山の上に駐屯所を作ってしまうと物々しい。なので、まずは神社を建てたんじゃないか、ということです」

確かに、愛宕山の山頂に急に駐屯所が作られ始めたら、天下泰平の江戸の街で「何かはじまるのではないか?」と、人々も不安になり、警戒したはず。
ならば、人々の拠り所にもなる火の神様をお祀りするのが良いかもしれない、と信仰心の厚い徳川家康は考えたのかもしれません。

愛宕神社、火伏はもちろん、江戸の防衛も担っていたんですね。

「江戸城無血開城」「出世の石段」「桜田門外の変」歴史的な出来事と愛宕神社

愛宕神社は、さまざまな歴史的な場面と深く関りがあります。

たとえば、江戸城の無血開城。
新政府軍の西郷隆盛と徳川家家臣であった勝海舟が、この地から江戸の街を見渡し、江戸城の無血開城と江戸焦土作戦について語り合ったと言われています。

また、愛宕神社で忘れてならないのは、馬術の達人・曲垣平九郎(まがき・へいくろう)に由来する「出世の石段」。
三代将軍・徳川家光が愛宕山の頂上に美しく咲く梅の花を気に入り、40度とも言われる傾斜の階段を曲垣が馬で駆け上り、見事に梅を献上し、馬術の名人として名を馳せたことに由来しています。

かわいい顔はめパネルもありますよ!

さまざまな歴史の表舞台に登場する愛宕神社ですが、幕末の「桜田門外の変」もそのひとつ。

「桜田門外の変」とは、安政7年(1860年)3月3日、江戸城桜田門外で水戸藩の浪士らが大老・井伊直弼を襲撃した暗殺事件のこと。強権的な政治手法(安政の大獄)や開国政策への反発が背景にあり、この事件を境に江戸幕府の権威は大きく揺らぎ、激動の幕末へと突き進みます。

茨城県立図書館蔵(茨城県立歴史館保管)「桜田門外之変図」

「隠し砦の意図があったことはお話しましたが、桜田門外の変でも、三々五々、水戸藩の浪士たちがこの場所に集まったそうです。昔は絵馬堂があり、そこに集まってから桜田門に向かったと言われていますね」

実際に地図を確認してみると、愛宕神社から桜田門までは一直線で行くことができます。
決死の覚悟を固めた浪士たちが、この山の上から桜田門を見つめ、静かに愛宕山を後にしたのかもしれません。

ほおづき市の発祥は愛宕神社? 夢枕のお告げと江戸の歳時記

愛宕神社で毎年6月23・24日に開催される「ほおづき市」。
さまざまな歴史的な出来事の舞台となった愛宕神社ですが、実は夏の風物詩である「ほおづき市」も、江戸時代の愛宕神社が発祥なんです!

「江戸時代、ふもとの中間長屋に、女性の癪(しゃく)や疳の虫(かんのむし)に悩まされている方がいらしたんです。で、熱心にお参りしていたら、『境内に自生しているほおづきを煎じて飲むとよい』という夢枕のお告げがあったそう。当時は境内に千成(せんなり)ほおづきが生えていて、それが霊験あらたかだということで、ほおづき市がはじまったんですよね」

江戸の歳時記にも記されるほどの賑わいを見せたという、愛宕神社のほおづき市。時代の荒波の中で一度は姿を消してしまいましたが、松岡さんのお父さまが現代によみがえらせました。

ほおづき市が開かれるのは、毎年6月23・24日。この日の参拝は千日分のご利益があると言われる「千日詣」が行われていた日です。ぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか?

なぜ「印刷・コンピューターの神様」なのか? 現代に息づく火の神

さまざまなストーリーがある愛宕神社ですが、ご利益を拝見すると、そこには「印刷・コンピューター関係」という文字が。ご利益にカタカナが使われているのは、なかなか珍しい気がします。

「印刷機や大きなコンピューターなどの大きな機械を始動することを、日本語では『火を入れる』と言います。とても美しい表現ですよね。ご祭神の愛宕さまは防火の神様でもありますから、『火を入れる』=『火を司る』ということで、印刷やコンピューター関連のご利益もお伝えさせていただいているんです」

松岡さんは「こじつけと言われてしまったらそれまでなのですが(笑)」と笑いますが、参拝に来られた方に「なぜですか?」と聞かれたときに、こうした、昔ながらの言葉や文化を伝えていける大切なきっかけにもなるとのこと。

実際、現在でも大きなコンピューターを新しく稼働させる際など、お祓いの依頼を受けることがあるそうです。

ご参拝後は、忘れずに「福のおすそ分け」をいただいて!

出世の石段を上り切り、その正面にご本殿がありますが、実はご本殿のすぐ手前に、小さくて不思議な形の「招き石」がお祀りされています。

ご本殿の手前に鎮座する「招き石」

「『招き石』は、参拝者の方から奉納された縁起物なんです。もともとご自宅にあったそうなのですが、ずっと良いことが続いているので、『自分一人で独り占めせず、神社に寄付してみんなで福を分かち合いたい』ということで奉納いただいたんです」

内側に包み込むようなユニークな形を拝見して、すっかり愛宕山から出土したありがたい石なのかな? と思っていましたが、こんなバックグラウンドがあったとは!

現在も、福のおすそ分けしてもらおうと、優しく撫でられる参拝者の方も多いのだとか。
想像よりコンパクトな「招き石」、ご参拝した際は忘れずに撫でさせてもらいましょう。

都会のオアシス・愛宕神社を支えている、ブラック企業!?

「サクラの時期は山が白く見えるほど美しく咲き誇るし、夏の新緑も気持ちがいいですが、蝉の鳴き声で電話が聞こえないことも(笑)。紅葉も綺麗だけど、お掃除が大変。雪の日は、朝いちばんに写真を撮りに来られる方もいらっしゃいますよ」

「愛宕山は自然の山なので、守っていくのも大変なんだけど、今年はウメが良く咲いてくれてね」と、境内の木々を愛おしそうに眺めながら話してくれた松岡さん。

「愛宕神社は24時間365日お参りいただけるよう、常に開けています。なので、過去には、夜中にお賽銭泥棒が来て大捕り物を繰り広げたこともあったり。今はビジネスタイムの観点もありますが、昔は関係なかったですからね。『もう、ブラック企業よ』なんて笑い話にしていますけど(笑)」

冗談交じりに楽しく話してくれましたが、この献身を支えているのは、愛宕神社への深い愛情だということがひしひしと伝わってきます。

「神社仏閣の境内地は、戦後、公園として接収された歴史もあります。お隣のNHK放送博物館がある場所も、もとは愛宕神社の境内でしたし。
でも、こうした土地の記憶を守り、門戸を開き続けることも神社としての大切な役割だと思っています」

そして愛宕神社でさらに癒しをプラスしてくれるのが、柴犬の「虎太朗(こたろう)くん」です。

昼は窓越しに境内をチェックしている虎太朗くんですが、境内をお散歩しているタイミングもあるとのこと。会えたらラッキーですよ!

神社も街も、「時代の変化」を受け入れることで存続する

虎ノ門エリアの再開発により、街の風景だけでなく、その街に暮らす人たちも変化していきます。松岡さんも、「どうしても、土地付きの人は少なくなってしまいますよね」と言いますが、時代に合わせてしなやかに変化を遂げているのも、愛宕神社です。

「安穏と昔を守っているだけではいけないと思うんです。それぞれの時代に合わせていかないと、守ること自体が難しくなる。
ホームページも早くから作りましたし、お賽銭に電子マネーを導入したり。当初はいろいろなご意見をいただきましたけど(笑)」

柔軟に変化を受け入れる姿勢は、愛宕神社が「土地の縁」が薄れゆく現代において、新たな役割を担おうとしている表れでもあります。

「結婚式を挙げてくださった方が、心の氏神さまじゃないけど、年に1回参拝に来てくださって、『七夕さまみたいですね』なんて笑いあったり、長いお付き合いができるのがありがたいですよね。生まれたお嬢さんと一緒にご参拝に来てくださって、お嬢さんも『巫女さんやりたい!』と言ってくれたりね」

「山の上の神社だけど、気質は下町」と笑う松岡さん。

『旅の家つと』第29 都の巻,光村写真部,明31-35. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/762246 (参照 2026-03-06)

「愛宕神社を仲介して、多くの方とつながりを持ってくださるとうれしい」という言葉に、「ベースキャンプみたいですね」と返すと、「神社って昔からそういう場所なんですよ」と教えてくれました。

かつて江戸の防衛拠点だった「隠し砦」は、令和の時代になって、都会のオアシスになり、多くの人たちをつなぐ拠点に姿を変えています。

「虎ノ門は大きなビルがたくさん建ちましたが、ここだけは今も変わらず空が抜けて見えます。ある参拝者の方が『ここの空間は江戸につながっているんだよ』とおっしゃったことがあって。この先も、ずっと守っていかないといけない風景だな、と改めて感じますね」

『最新東京名所写真帖』,小島又市,明42.3. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/763843 (参照 2026-03-06)

最後に、このエリアで育ったという松岡さんに「昔はどんな感じのエリアだったんですか?」と聞くと、「昔はこのあたりにも自動車整備場やガソリンスタンドがあったりしてね。本当に激変」と教えてくれました。

「今は山の中腹くらいで森ビルさん(愛宕グリーンヒルズ)と繋がったり、人の動力(エレベーター)をつかって行き来できるようになりましたけど、昔は買い物ひとつ行くのも大変でね。たくさんの荷物を持って山を上がるものだから、地元の方に『いつもヨタヨタ歩いてるね』なんて言われたりもしてね(笑)」

松岡さんが言うように、現在はエレベーターを利用したり、中腹までは商業ビルの中を通って訪れることができます。

でも、ぜひ一度は「出世の石段(男坂)」を上ってみることをおすすめします。江戸の人たちも上った同じ石段です。

「東京名所四十八景」「愛宕やま」

ちなみに下りは「女坂」を下るのが一般的。男坂を下ると、せっかくの出世のご利益を逃す、とも言われています。

取材に伺った日はあいにくの雨模様でしたが(松岡さんが「恵みの雨だね」と言ってくださいました!)、出世の石段を上られる参拝者の方が途絶えなかった愛宕神社。

朗らかな権禰宜・松岡さんが迎えてくれた都会のオアシスは、江戸時代とのつながりを感じられる、ロマンあふれる場所。徳川家康により創建された愛宕神社にご参拝するとともに、愛宕の山から当時に想いを馳せてみるのもおすすめですよ。

愛宕神社
住所:東京都港区愛宕1-5-3
社務所:9:00~16:00
アクセス:東京メトロ日比谷線「神谷町駅」「虎ノ門ヒルズ駅」よりそれぞれ徒歩5分、東洋メトロ銀座線「虎ノ門駅」より徒歩8分、都営地下鉄三田線「御成門駅」より徒歩8分

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