港区歴史探索・地名のヒミツ 「汐留」
「カレッタ汐留」、「浜離宮恩賜庭園」、「イタリア街」……洗練されたイメージの強い汐留エリアですが、この街の由来や変遷をご存じでしょうか?
そもそも、汐留って何?――知られざる汐留ヒストリーを、今解き明かしてみましょう。
「汐留」の由来とは?
「汐留」という地名ができたのは、近世江戸時代の頃だと言われます。寛永年間(1624年~ 1644年)以後、江戸城の外堀と海を仕切る堰が「土橋」に設けられました。
この堰のために川(海)の水が外堀に入り込めなくなり、汐の干潟が堀で止まる=「汐留」という地名が生まれたのです。
「汐留駅」の複雑な歴史
現在は「ゆりかもめ」線、都営大江戸線の駅名にもなっている汐留駅。しかし、過去には国鉄のターミナル駅として、重要な役割を果たしていた過去がありました。
1872年(明治5年)、鉄道開業時には「新橋駅」という名が付いていた東京のターミナル駅は、1914年(大正3年)の東京駅開業に伴い、旅客営業を廃止することになりました。この時に「新橋駅」は「汐留駅」と駅名を改称し、貨物専用駅として使用されることになったのです。
その後、東京の貨物ターミナル駅として重要な役割を果たしてきた汐留駅でしたが、時代が進むにつれ、トラックや航空機など、他の輸送手段が台頭してきます。しかも敷地が狭くコンテナ化に対応できない事情もあり、残念ながら「汐留駅」は1986年(昭和61年)、廃止されてしまいました。
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再び陽の目を見た「汐留駅」
しかし、汐留駅に復活の兆しが見えます。1995年(平成7年)から跡地の再開発工事が行われ、2002年(平成14年)に区画整理が終了。付近一帯はオフィスビルが並ぶ、「汐留シオサイト地区」へと生まれ変わりました。
同年の2002年(平成14年)、「ゆりかもめ」と「都営大江戸線」の駅名として、新たに汐留駅が開業。くしくも、汐留駅の廃止で一度は消滅した駅名が、再び陽の目を見たのです。
「ピンチはチャンス」とも言われます。たとえ一度憂き目を見ようと、それは再び立ち上がるチャンスかもしれません。汐留エリアの活況は、そんなメッセージを伝えてくれるようにも思えるのです。
【汐留駅】
路線名:都営大江戸線、ゆりかもめ
住所:東京都港区東新橋1-9-1
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