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源氏ゆかりの有名武将が関係? 職人たちの住処? 「土器坂」にまつわる逸話

2024年9月19日

東京都港区東麻布1丁目を通り抜ける、1本の坂があります。その名も「土器坂」(かわらけざか)。陶芸を連想させる名前ですが、なぜこの名が付いたのでしょう。

それには、大きく分けて2つの説がありました。

①付近に土器職人が住んでいた

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土器坂だけあって……理由はまんま土器!?

1つ目の説は、この土器坂付近に土器職人が住んでいたので、坂の名前になったというもの。思わず「まんまやんけ」とツッコミたくなりますが、実にシンプルでわかりやすいですね。

②平安時代の武将・渡辺綱がこの坂で買い求めた馬が、河原毛で名馬だったから

2つ目の説は、平安時代の武将である「渡辺綱」という人物が、ここで河原毛(黄褐色ないし亜麻色の毛色)の名馬を求めた逸話に由来していると言われます。

河原毛=かわらけ=土器、と変化したと考えられます。

そもそも渡辺綱って誰?

出典:国会図書館デジタルコレクション/長谷川常治郎『芳年錦絵』より「羅城門渡辺綱鬼腕斬之図」(2024年9月18日参照)

渡辺綱(わたなべの・つな)とは、平安時代中期の武将で、武将・源頼光に仕えた四天王の一人に数えられています。同じ四天王の中には、昔話『金太郎』のモデルになった坂田金時らがいました。

源頼光とは、酒呑童子や土蜘蛛(つちぐも)など、妖怪退治の伝説で知られる人物。頼光とその弟・頼信は、鎌倉幕府を開いた源頼朝ら「源氏」の始祖にあたる有名人です。

さて、渡辺綱の話に戻りますが、彼はもともと嵯峨源氏の源融の子孫で、正式な名は源綱(みなもとのつな)。武蔵国足立郡箕田郷(現在の埼玉県鴻巣市辺り)に生まれたそうです。

のちに摂津源氏の源満仲の娘婿・仁明源氏の源敦の養子となり、母方の里である摂津国西成郡渡辺(現在大阪府大阪市中央区)に居住。この際、渡辺綱(わたなべのつな)、あるいは渡辺源次綱(わたなべのげんじつな)と改称したとされています。

日本人の中でも、「渡辺(渡部)」姓は比較的多い苗字ですが、渡辺綱こそ、そのルーツであると考える説もあります(姓のルーツには諸説あります)。

渡辺綱が、もしかしたら土器坂付近を馬で走ったかも?

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死者が蘇る伝説もある京都の名所・一条戻り橋も、渡辺綱ゆかりの地

剛勇で知られる渡辺綱とその主・頼光は、何かとエピソードに事欠かない人物でした。京都の一条戻り橋付近に出没する鬼婆の腕を切り落とした逸話も有名で、能の演目にもなっています。

そんな渡辺綱が見込んだ馬は、毛並みのきれいな河原毛の見事な馬だったのかもしれません。

この時代に試乗(?)なるものがあったなら、土器坂付近を渡辺綱とその愛馬が駆け抜けていたかも。そんな妄想をしながら、ゆっくり坂巡りをするのも楽しいかもしれません。

土器坂
東京都港区東麻布1-3と1-4の間

 

 

 

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