港区歴史探索・駅名のヒミツ 「赤羽橋」
2023年8月23日
東京タワーのすぐ傍!かつて大事件が起きた現場
長らく東京のシンボルとして親しまれている、「東京タワー」から徒歩5分の距離にある地下鉄「赤羽橋駅」。
「赤羽橋口」を出ると、道路の奥にすぐ東京タワーが見えます。
複数の駅からアクセス可能な東京タワーですが、最も近いのは赤羽橋駅になります。
付近には芝公園もあり、緑豊かな平穏な都心の光景。
しかし、この土地はかつて、世を震撼させるある大事件が起こった現場だったのです……。
「赤羽」の由来は「赤埴(あかはに)」
「赤羽」の語源は、「赤埴(あかはに)」と言われます。「埴」の字は、粘土を意味。昔からこの周辺の土地は、赤土が多かったのです。
1675年、古川の拡幅工事に伴い「赤羽橋」が架けられました。現存する赤羽橋は、1974年(昭和49年)に架橋されたものです。
新撰組結成のきっかけをつくった尊皇攘夷志士が暗殺された場所
かの新撰組は、「浪士組」という組織が前身です。清河八郎という人物が建白書を提出し、将軍の護衛組織を立ち上げたのです。
しかし、清河八郎は、尊皇攘夷志士でした。京都に入った浪士組一行に、清河八郎は浪士組の目的が将軍護衛ではなく、尊王攘夷にあると説きます。従う浪士も多い中で、芹沢 鴨・近藤 勇・土方歳三らは清河八郎の方針に反対。浪士組を離れ、京に残った彼ら13名が、のちの「新撰組」となります。
その後、清河八郎は京都見廻組隊士・佐々木 只三郎の手にかかり、赤羽橋辺りで暗殺されました。
立ち上げ方は半ば騙し打ちのようでしたが、清河八郎がいなくては、「新撰組」はなかったかもしれません。将軍派と尊王攘夷派、立場は違えど、国を憂い思う気持ちはもしかしたら同じだったのかもしれませんね。
【赤羽橋駅】
路線名:都営地下鉄大江戸線
住所:東京都港区東麻布1-28-13
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