港区歴史探索・地名のヒミツ 「麻布台」~レトロ郵便局がヒルズに~
高台ではありませんでしたが、由緒ある「飯倉」の地名を使わず、住居表示でこの名が選ばれました。
港区ホームページ「港区の地名の歴史」から麻布台の項目より
港区の解説のとおり、麻布台は住所表示以前「麻布飯倉町」・「麻布飯倉片町」という町名でした。
「飯倉」という地名は、史書において初めて登場したのが『吾妻鏡』で、穀倉という意味。
伊勢神宮へ寄進するコメを作る水田地帯であり、倉庫があったようです。鎌倉時代にはもうあった地名ということで、消滅を惜しむ声があったのも当然でしょう。
そんな麻布台には、2023年11月に麻布台ヒルズがオープン。一躍話題のスポットとなりました。飯倉と呼ばれた時代から、いったいどんな歴史を経てきたのでしょうか。
坂と狭い道だった飯倉の町
現在でも外苑東通りに「飯倉」、「飯倉片町」という交差点名が残っています。それら交差点の北側にある現在の麻布台ヒルズ周辺から、桜田通り沿いに赤羽橋駅周辺までが、「麻布飯倉町」のエリアでした。
現在の飯倉の交差点から桜田通りを一本入ると、アップダウンがあり入り組んだ狭い道が続いています。坂というより階段になっている雁木坂もその一部といえるでしょう。
麻布台ヒルズによる再開発が進むまでは、外苑東通りの北側はそういった地形を縫うように住宅が建っていましたが、防災等の観点から懸念も多く、再開発のタイミングで大半が整備されています。
流転のレトロ郵便局
麻布台ヒルズのタワー部分が建つ前には、麻布郵便局が建っていました。
アール・デコ様式に影響を受けたモダンな装飾を施された重厚な建物でしたが、取り壊されてしまいました。この郵便局は、1930年に「旧逓信省貯金局」として竣工した建物でした。逓信省とは、昭和24(1949)年まで存在していた、郵便や、電信電話から、鉄道や海運など交通まで一括で管掌していた官庁です。
この建物に、1945年に罹災した麻布郵便局が仮入居(翌年本入居)、戦後になって逓信省が郵政省と電気通信省に分離したあとしばらくは、郵政省本省として使われました。
そして旧日本郵政公社東京支店を経て、郵政民営化を迎えることになります。
耐震工事を施すなど大切に使われ続けていた建物ですが、再開発の開始に伴い、2019年に惜しまれながら解体されてしまいました。
消えた三年坂
「高台ではありませんでした」と前述の説明では述べられていましたが、麻布台が高台だと感じられる場所がありました。現在は消滅している三年坂(港区ホームページ「麻布未来写真館」より)です。
場所としては、外務省飯倉公館方向から現在の麻布台ヒルズの北側沿いに、霊友会の施設に至る道の途中にあったようです。
飯倉の北側は「我善坊谷」と呼ばれた谷になっており、三年坂の上からは六本木方向が見渡せたそうです。
現在、坂があった場所は麻布台ヒルズの敷地の一部となっています。