【旧乃木邸】年に数回、一般公開!乃木希典が自ら設計した簡素でモダンな邸宅
坂の街・赤坂の特性を活かした質素な邸宅
赤坂の乃木神社に隣接する「旧乃木邸」。通常は窓越しに邸宅内を垣間見ることができますが、実は年に数回、内部の一般公開が行われています。
日露戦争の英雄でもあり、明治の終わりと共に、自刃した乃木希典・静子夫婦が暮らした邸宅とは、どのような場所だったのでしょうか?
明治20年に建てられた旧乃木邸ですが、実は見る場所により、微妙な階数の違いを感じます。これは、坂の街・赤坂の地形を活かした作りだからこそ。入り口からは平屋のように見えますが、ぐるりと後ろに周ると、2階建てに見えます。実際の造りは、地下1階+2階建て。斜面を上手に捉えた造りなのです。乃木本人が設計にも関わったこの邸宅は、ドイツ留学中に目にした、フランス陸軍連帯本部を参考にして建てられました。
旧乃木邸の内部に潜入!
では、旧乃木邸の一般公開では、どのようなものを見ることができるのか、簡単にご紹介しましょう。一般公開時は、正面玄関ではなく、内玄関から入ります。
内玄関の正面には炊事場。かまどや水がめのほか、当時は珍しかった水道がひかれていることが分かります。
そのほか、奥には女中部屋も。当時、住み込みの女中さんは台所に面した3畳程度の部屋が一般的だったと言いますが、旧乃木邸の女中部屋は、廊下に面しており通常の部屋と変わらない位置にあります。6畳の広さがあり、プライバシーも保たれた、恵まれた環境であったことが分かります。
五右衛門風呂が残る浴室と隣り合うトイレの向かいに、階段が。実は内玄関から入る場所は地下。階段を上って1階は乃木大将や静子夫人の居室のほか、大応接室、書斎があります。正面玄関から入った場所が1階であり、玄関のすぐ隣にメインの応接室がある、という造りです。
ちなみに1階にある来客用のトイレは、海外の来賓も多かったということで、こちらは洋式。
一般公開日は貴重な品々も展示
「殉死の間」とも呼ばれる乃木大将の居室には、自刃した際に着用していた乃木大将の軍服、その正面にある静子夫人の居室にも、当時の刀傷が残る着物と袴が展示されます。
通常時も、屋外からであれば窓越しに殉死の間を見ることはできますが、通常時は乃木大将と静子夫人が倒れていた場所にそれぞれの木札があります。
また、日露戦争中に日本軍が野戦病院としてして使用していた、中国・水師営の民家で使用されていた手術台なども展示されています。実はこの手術台、旅順要塞陥落後に、乃木希典とロシアのステッセル中尉が会見を行った際のテーブル代わりにもなったという代物。
歴史的に貴重な品から、乃木大将直筆の掛け軸、実際に使用されていた日用品の数々まで、さまざまな角度から旧乃木邸を見学することができるのです。
日露戦争の英雄と謳われる乃木大将の自宅ですが、内部を見学すると明治とはいえあまりにも質素な造りに驚くことでしょう。機能的でシンプルな旧乃木邸は、多くの人に愛された乃木大将の誠実な人柄そのままの邸宅とも言えます。
旧乃木邸の一般公開開催については、港区赤坂地区公演情報サイト「AKASAKA PARKS」にて告知されます。保護の観点から、邸宅内に入れるのは一度に20名までとなっていますが、当時のモダンな邸宅内を間近に見学できるのは貴重な体験。
また、もし現地に足を運ぶのが難しい場合は、オンライン上でリアルな旧乃木邸を見ることができるサイトもあります。一般公開時も安全の観点から非公開になっている2階を見ることもできる、旧乃木邸のバーチャルツアーもおすすめ。
日本人だけでなく、外国人見学者も訪れる旧乃木邸一般公開。ぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか。
【旧乃木邸】
住所:東京都港区赤坂8-11-32
時間:9:00~16:00
休園日:年末年始
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