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安鎮(珍)大権現って何? 「安鎮坂」の由来に人の歴史あり

2024年10月7日

某歩道に、ひっそりと佇む碑文――そこに刻まれているのは「安鎮坂」の文字。港区元赤坂2丁目から 新宿区南元町の間まで伸びる坂が、知る人ぞ知る安鎮坂です。

「権田原坂」「権太原坂」「権田坂」「権太坂」「信濃坂」など、多くの別名を持っています。

安鎮坂の由来とは?

安鎮坂2

ゆるやかに傾斜する安鎮坂。並木道が続く

「安全」「鎮魂」といった字面から、誰かを祀ったり弔ったりした坂なのでは?と思いましたが、まったく違いました!

史料『府内備考』の中に、安鎮坂にまつわる、こんな記述があります。

安鎮坂にまつわる記述

出典:三島政行 ほか『府内備考』巻64-66,写. 国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/pid/2553681 (参照 2024-10-08)

赤枠で囲った箇所を簡単に意訳すると、以前この坂の付近に「安藤佐兵衛」という人物がいて、安鎮と名を付けた社があったから、「安鎮坂」と呼んだそうです。それは「安鎮(珍)大権現」という、たいそうな名前のお社だったとか。

また、権田原(地名)へ登る坂であることから、権田原坂とも呼ばれていたそうです。

歴史の彼方へ? 今はなき安鎮大権現

さて、この「安鎮(珍)大権現」ですが、現在では影も形もありません。どこかに移設された、という話も伝わっておらず、歴史のどこかのタイミングで、姿を消してしまったと考えられます。

栄枯盛衰はこの世の理とはいえ、かつてあったものが無くなるのはどこか寂しいもの。とはいえ、どんな外観をしていたのか、誰を祀っていたのか、興味は尽きません。

ようとしてわからない、この「安鎮(珍)大権現」の行方について、機会があれば追いかけてみたいものです。

安鎮坂
東京都港区元赤坂2-1、2-2の間

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