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【赤坂御用地】目に優しい緑を眺めながら!赤坂御用地をぐるりとさんぽしてみよう!

2024年2月28日

青山一丁目の駅を出ると北東に広大な森が広がっています。ここが赤坂御用地。東宮、すなわち次期天皇となる皇太子殿下が暮らすための赤坂御所が立つ皇室関連施設です。現在も上皇、上皇后ご夫妻などさまなど皇族の方が暮らしていらっしゃいます。

一週およそ3.3kmの広大な敷地は、もともと御三家のひとつ紀州徳川家の上屋敷があった土地です。明治維新後、皇室へ献上されました。第二次世界大戦の敗戦後、没収され国有財産となりましたが、現在も、国が皇室に供するという形で使用されています。そのため、園遊会などに招待されない限り一般市民は中に入ることができません。

ですが、御用地の周りを散策するのは自由!

今回は赤坂御用地を実際に散策してみたいと思います。

青山一丁目駅~明治記念館~神社庁

スタートは、青山一丁目駅から。青山一丁目の2番出口から地上に出たら、まずは赤坂御用地の塀が右手に見えるように北へ向かって歩きます。赤坂御用地の外周沿いには、手入れをされた様々な木々が植えられており、都心とは思えないほど緑を感じます。少し進むと左手側からも明治神宮外苑の木々がせり出してきますので、都会にいながら森の中を歩いているような気分にひたれます。

大体6分ほど歩くと権田原交差点にたどり着きますので右折です。この時、交差点の北東に見えるのが、明治記念館です。現在は結婚式や集宴会・レストランや記念日事業を行う総合結婚式場ですが、元をたどれば明治記念館本館は、明治14(1881)年に当時の赤坂仮皇居の御会食所として、今の迎賓館のある位置に建てられました。明治21(1888)年には、大日本帝国憲法を制定する草案審議の御前会議も行われたそうです。

明治記念館正門

 

美しい芝生の広がる明治記念館の庭園

明治記念館の本館は、令和2(2020) 年に歴史的・建築的価値が認められ、東京都指定有形文化財(建造物)に指定されています。平日は主にラウンジ「kinkei(キンケイ)」としてカフェ利用が可能となっており、明治記念館オリジナルのケーキや、サイフォン式で抽出するオリジナルコーヒーを楽しむことができます。明治の面影を残す格天井など歴史あるインテリアや、館内に広がる約1000坪の緑豊かな庭園など見どころもたっぷり。上質な時間を過ごすことができる穴場スポットです。
※「kinkei」が貸切されていた場合はラウンジロビー席の案内となります。

そういえば、明治記念館の隣には東京都神社庁という看板の建物もがありました。神社庁という存在はなんとなく知っていましたが、東京都神社庁って何でしょう?神奈川県神社庁とか、北海道神社庁とかがあるということでしょうか?

東京都神社庁_アドバンス撮影

明治記念館の横で発見した東京都神社庁は、東京都内の神社の多くを統括する組織

軽く調べてみたところ、神社庁は、神社本庁という全国8万社の神社を包括する組織の下にある各都道府県の神社本庁地方機関のことを指しているのだそうです。

私は、神社庁が官公庁ではなく宗教法人であることすら知りませんでした。こちらの東京都神社庁は、都内の神社本庁に所属する神社を包括されていらっしゃるとのこと。ということは、普段、宮司さんがいないような小さな神社について取材を申し込む際は、こちらに問い合わせればいいのかな?

迎賓館赤坂離宮

次に、そのまま赤坂御用地沿いに北東へ歩を進めていきます。赤坂御所の鮫が橋門を右手に安鎮坂を登っていくと、右手に巨大な宮殿が見えてきます。こちらは、迎賓館赤坂離宮。日本に海外からの国賓が訪れた際に、歓迎や宿泊場所として使用される施設です。

迎賓館赤坂離宮_アドバンス撮影

北正面から見た迎賓館赤坂離宮の全容

明治42(1909)年に、当時の皇太子殿下(後の大正天皇)が暮らす東宮御所として建築されたのですが、外観が余りにも豪華すぎたことと、住居としての使い勝手があまり良くなかったため、皇太子殿下がこの御所を使用することはほとんどなかったそうです。

第二次世界大戦後、日本が外国からの賓客を迎える際に、この建物を迎賓施設として再利用することになりました。大規模な改修が施され、現在に至っています。平成21(2009)年には日本を代表する建築作品のひとつとして国宝指定も受けました。

セキュリティの関係で限られた人以外は中へ入ることができなかった建物ですが、実は、平成28(2016)年から一般公開が始まっており誰でも見学することができるようになりました。私も、公開直後の2016年に見学させてもらったことがあります。当時は事前予約必須だったと記憶していますが、今はふらりと訪れても中へ入れるそう。内部の写真撮影は禁止されているのですが、人生で見た景色の中でもっとも絢爛豪華な空間でした。

東京を訪れた人は、多少無理をしてでも訪れる価値がある建物だと思います。

ホテルニューオータニの日本庭園

迎賓館の正門位置が、赤坂御用地の北端にあたります。

なので今度はこの位置にある学習院初等科前交差点を右折し、南東へ進んでいきましょう。が、ここでちょっと脇道へそれて、左手に見えるホテルニューオータニへ立ち寄ってみることをおすすめします。

実は、ホテルニューオータニの中にある広大な日本庭園、無料で開放されているんです!約4万㎡、1万坪という広大な日本庭園のなかには、なんと滝まであります!

ホテルニューオータニ庭園_アドバンス撮影

丘陵地という地形の特徴を活用し水が流れる庭園を実現している

ホテルニューオータニの創業者・大谷米太郎が佐渡の金山から持ってきた「赤玉石」という希少な石や、化石化した切り株などが庭石として使用されているそうなので、それらがどこで用いられているのか探してみるのも面白いです。

赤玉石_アドバンス撮影

赤玉石

ちなみにホテルニューオータニがあった敷地は、江戸時代初期に虎退治で有名な大名・加藤清正の下屋敷が建てられていた場所です。

加藤清正_wiki_cc

月岡芳年作『加藤清正の虎退治』

加藤家が改易になった後は、徳川四天王の一人で彦根藩を治めた伊井家の中屋敷となり、ホテルニューオータニの創業者である大谷米太郎の自宅として買い上げられたのは戦後になってからだそう。

そういった名家の屋敷跡だったからこそ、実現できた広さなのです。

豊川稲荷東京別院

庭園を出て、再び赤坂御用地の外壁沿いに南へ向かいましょう。すると、ちょうど国道246号線と交わる角に見えてくるのが、豊川稲荷東京別院です。

toyokawainari1_アドバンス撮影

青山通りとの交差箇所に見える正面階段

toyokawainari2_アドバンス撮影

狛犬ならぬ狛狐がお出迎えしてくれる

稲荷というと、京都の伏見稲荷など、狐をお祀りした“神社”と認識している人が多いでしょうが、こちらは「院」とつくことから分かる通り実はお寺なんです。

元々は愛知県豊川市にある曹洞宗のお寺『円福山妙厳寺(豊川稲荷)』が本院。時代劇でおなじみの大岡越前守忠相がこのお寺を信仰されており、豊川の本院から分霊し祀りはじめたことが始まりです。

ちなみに、妙厳寺でお祀りされているのが、豊川ダ枳尼眞天(とよかわだきにしんてん)という、狐に乗った女性の天(神)だそう。そのため、いつしか神道の狐信仰と習合して、稲荷と呼ばれるようになったとか。

こちらのお寺は商売繁盛、家内安全、開運で知られています。

カナダ大使館~青山一丁目駅

さて、246号線沿いまで戻ってきたので豊川稲荷を右折します。

左手に見えるのは、羊羹などで有名な和菓子のとらやさんの虎屋ビル。

こちらは、室町時代から続いている老舗和菓子店です。京で創業し御所(天皇のお屋敷)御用の菓子舗として営業をされていましたが、東京遷都とともに天皇にお供して現地へ移ってきたという経緯があります。

その隣に見えるのは、港区役所赤坂地区総合支所などが入る赤坂コミュニティぷらざ。いざまちの活動を始めたことで今まで以上にお世話になっております。ちなみに、港区では区域を5つに分け、それぞれに支所を設けてより細やかな住民サービスを提供されていらっしゃいます。

さらにずんずん西へと進んでいくと、近代的なピラミッドのような三角の巨大な建物が見えてきます。

こちらは『カナダ大使館』。

canada_アドバンス撮影

傾斜のついた壁面でひときわ目立つ建物

実はカナダ大使館の中には身分証明書(パスポートや運転免許証など)があれば一般人も入ることができます。

中では、カナダと日本の風土を象徴したかのようなアーティスティックな庭園や、カナダに留学をされていた故・高円宮殿下の名前を冠したギャラリー、そして、カナダに関する資料が豊富にそろった図書館などが見学できます。

カナダ大使館を過ぎ、5分ほど歩くと青山一丁目駅が見えてきますのでゴール!

一周で、およそ30分の散策コースですが、途中途中で見学を混ぜると半日は楽しむことができます。都心の意外な見どころ、楽しんでみてはいかがでしょうか?

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