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【株式会社セントラルベース】一人になったからこそ見つけることのできた新しい自分【港区のベンチャー企業】

2024年7月10日

港区でスタートアップ事業の支援を行っている「港区立産業振興センター」に集う方々にお話を聞きながら、区内のベンチャー企業を紹介していく本企画。

今回お話を伺ったのは、株式会社CHANTの谷岡様より

「港区立産業振興センターのヌシのような方!」

と、ご紹介いただいた株式会社セントラルベースの代表取締役・正村 勲一さんです。

株式会社セントラルベースは、企業の広告制作や宣伝のコンサルティングを本業として登録をされていますが、それとは別に「CLIP TOKYO」というビジネス交流会を産業振興センターで定期的に開催されています。

「今は、ビジネス交流会の運営が、事業の9割を占めているんだけどね」

株式会社セントラルベースの代表取締役・正村勲一さん

と、正村さん。

広告制作とはまるで異なるビジネス交流会を、何故セントラルベース様が運営することになったのか。詳しくお話を伺ってきました。

エリート広告マンとしてキャリアを積むも独立を志す

改めて、株式会社セントラルベースと正村さんのご経歴について教えていただきました。

「弊社は今となると、ビジネス交流会の運営会社だと思われていますけれど、もともとは広告制作を行う会社です。私自身、大手広告制作会社勤務から経歴をスタートし、TVCMのプロデューサーとして、今までに500本近くのコマーシャルを制作してきました。その知見を見初められ、2008年には広告部をつくりたいと考えていらっしゃった大企業へ宣伝担当の統括責任者として招聘もされたのですよ。その企業では、さまざまな広告宣伝の仕掛けを行いかなり貢献したと自負しています」

広告プロデューサーとしてもサラリーマンとしても順調な経歴を送られていた正村さん。それが、どうして起業するということになったのでしょうか。

「実は、セントラルベースの前にもう一社、株式会社ランドマークスという会社を立ち上げているんです。ちょうど、大企業へ入社してから2年経つか経たないかの、2009年のことです。順調なサラリーマン生活を蹴って起業した理由は、仕事のリズムが合わなかったというのが大きいですね。あなたは、CMプロデューサーというと、どのような印象をお持ちになりますか? 私は、半年間寝る間も惜しんで働いて人の倍稼ぎ、残り半年は仕事をセーブして趣味で過ごすという働き方をしてきました。個人的には、オンとオフのはっきりしたメリハリのある生活だと思っていたのですが、大企業では、朝9時に背広を着て出社して定時には退勤するという働き方が求められました。どうしても慣れなかったのです。また、いくら過去の実績があるとはいえ、外部から来た人間がいきなり責任者というのは、組織の中ではやはり煙たがれました。私自身、どうせなら一国一城の主になってみたいという野心もありましたので、企業へ退職届を出し起業することにしたんです。その時つくった会社は、純粋な広告デザインやTVCM制作の会社でした」

会社を創業したのは、三田3丁目のマンションの一室。この会社は、順調に成長をしていき、創業から12期連続で黒字と言う右肩上がりの成長を遂げたのだそうです。

「ありがたかったのが、身勝手な理由で退職を申し出たのに、それでも前いた企業が、私を重用してくれたことです。当時の上司は、“会社を辞めて、起業するのは構わないが、アウトソーシングという形で、宣伝部の責任者として仕事を続けてほしい”と言ってくださいました。おかげでメンバー4人で会社を立ち上げた初年度から黒字で出発することができました」

業界裏話も交えながら、懐かしそうにサラリーマン時代の思い出を語る正村さん

株式会社ランドマークスは社員数も増大し、創業3年後には浜松町のオフィスビルの1フロアを貸切る規模にまでなったのだそうです。正村さんのキャリアには一点の曇りもないように思われました。

2020年の新型コロナウイルス流行で感じた社員への責任

そんな折、新型コロナウィルスの流行が発生しました。日本全体が自粛ムードに包まれたため、広告を出稿する企業が減少。広告費が削減されていきました。2020年、株式会社ランドマークスは、創業以来初の赤字決算となったのだそうです。

「もちろん、これまでの実績もありますし、会社としては一期ぐらい問題はなかったんですよ。ですが、長年、広告業界に身を置いていたからこそ、業界関係者の考えることや空気が伝わってきたんです。“一度、広告予算が落ちたら、元に戻るまでは相当な時間がかかるぞ”と。そんな時まず浮かんだのが、当時の社員たちの顔でした

コロナによる赤字が出ていても、正村さんはランドマークスの社員たちの給料を減らすことは決してしませんでした。

「彼らには彼らの生活があります。社長の仕事というのは、社員の生活を守ることなんです。そう考えた時、ふと思ったのです。私自身は、このくらいの赤字ならすぐに黒字へ戻すだけの自信はありました。ですが、黒字へ戻すには社員たちに今の1.3~1.5倍は仕事をこなしてもらわなければなりません。果たして、それが社員のためなのだろうか、と

そこで、正村さんは、今後の社員たちの生活を保障してもらうことを条件に、株式会社ランドマークスごとM&Aで大きな企業の傘下に入ることを決意します。

M&Aで自身の持ち株をすべて売却後もしばらくは、売却先の会社が約束通り社員の面倒を見てくれるかを確認するため、取締役社長として会社には携わっていた正村さんでしたが、無事社員たちの生活が安定したのを見届けた2022年12月に、同社取締役社長を辞任。翌年の1月、新たに株式会社セントラルベースを設立しました。

今度の会社は、正村さん一人の、完全個人事業でした。

港区立産業振興センターとの出会いとビジネス交流会の立ち上げ

新しい会社であるセントラルベースでは、自分が広告を統括するプロデューサーとなり、外部スタッフと協業することで、昔のようにクオリティーが高い広告制作を行おうと、当初考えていたそうです。。

「ちょうどそのころ、東京都港区中小企業 経営支援協会(NPO みなと)様からお声がけを頂きました。港区立産業振興センターという施設が新しくできたこと、これから事業を始める若い方々のお手本になってくれということでした。おそらく、ランドマークスでの実績を知ってのお話だったのだろうと思います。一人で仕事をする予定でしたし、気軽な気持ちでお請けして、この施設でセントラルベースの登記を行いました」

実際に産業振興センターへ来てみると、自分が若い起業家の力になれることが思ったよりも多いことに気づいた、と、正村さんは仰います。

正村さんは産業振興センターのコワーキングスペースで自分のお仕事をこなす傍ら、若い起業家の方々の経営相談を受けるようになりました。起業家としてのノウハウだけでなく、学校では決して教えてくれない経営者として生の経営の仕方のアドバイスも行い始めます。気が付けば、区内の多くのベンチャー起業家から頼りにされる存在へとなっていたそうです。

ここまでお話を伺って、かなり面白いご経歴なのですが、どうしても現在取り組んでいらっしゃるビジネス交流会『CLIP TOKYO』の活動へ繋がっていきません。そうお伝えすると、正村さんは、

「最初は自分のために始めたことだったんですよ」

と、答えて下さいました。一新会社を起業して、あっちこっちに営業活動に行かなきゃならない。そんなの面倒くさいので、一層のこと人を集めて営業をしたらいいんだ!ビジネス交流会はこうして企画されたのだそうです。

「社長をしていた期間が長かったのでビジネス交流会や名刺交換会に参加した経験も多数あり、交流会自体のシステムや長所・短所はよくわかっていたつもりです。幸い、港区立産業振興センターには港区内の事業者には有利な条件で借りることができるホールや会議室が複数用意されていました。これを借りれば、ビジネス交流会の運営くらいは自分でできるだろうなと思ったのです」

世の中には色々な交流会があります。飲食を伴いながら友達を作る交流会や、男女のマッチングを主とした交流会など。せっかく港区の施設を使ってやるなら、とにかく真面目なビジネスに特化した交流会を主催しようと、正村さんは決意しました。

「私の考えた仕組みは、狙いどおりに機能してくれました。CLIP TOKYOはほぼ全員と話ができるし、実際に仕事にも結び付くと好評をいただいています。と、同時に、次はいつやるのか。また、やってくれ、という声も届くようになりました。気が付いたら私は、CLIP TOKYOを主催するおじさん、という風になっていましたね」

自重気味に語りつつ、卓上サイズのCLIP TOKYOののぼりまでご用意し現在の交流会事業に自信をのぞかせる

ただ、それでも構わないと正村さんは続けます。

「私は、昭和の時代から広告の制作をしていました。クライアントの事を思って精一杯作品を創ってきましたが、動く金額が大きい業界ですので、出来上がった作品に対して石を投げつけるようなひどいことを言う人も一定数いましたし、巨大な組織で動くので、制作をしていたら味方から背中を打たれるような経験もしました。確かに、交流会を開くだけでは、私の本業である広告制作の仕事は生まれないかもしれません。ですが、『CLIP TOKYOによって新しく仕事が生まれました。ありがとう』という、参加者から感謝の言葉を、頂くことができたんです。これが、本当に嬉しかった。私はこれからCLIP TOKYOを使って、みなさんに感謝していただける【究極のおせっかいやき】【令和のお見合いおばさん】になろうかなと、今はそう思っています」

実はこのインタビューの前日に、私自身もCLIP TOKYOへ参加させていただきました。その際、少しでも会話の輪からあぶれてしまった参加者を見つけたらすっと駆け寄り、にこやかにお話の輪に加わりながら交流の場へ誘導する正村さんの姿が印象に残りました。

「あんな風に自然と人と話すようになったのも、セントラルベースをつくって、CLIP TOKYOを始めてからですね。前の会社の社長時代は、やはり社員からは怖い存在と思われていましたし、社長というのは大なり小なりそういった面はあると思います。私自身、実は口下手なんです。だからなのか、かつての仲間に今の姿を見せると、変わったねと驚かれます

ここまで大きく自分を変えられたのは、一人社長だからだと正村さんは仰います。

「社員がいたら、やはり責任を感じてしまって、こんな冒険はできなかった。だから今、この歳になって自分が冒険をできていることがすごく楽しいです」

CLIP TOKYOのこれから

実際のところ、CLIP TOKYOが全てうまくいっているわけではないと正村さんは仰います。ビジネス交流会を運営する側に回ってはじめて、交流会用の会場で渡す紙資料を作る人間の苦労や、司会はプロのアナウンサーなどに任せる方が満足度が上がること、人を集めるには口コミが一番だがなかなか口コミを広げるのは難しいことなどを実感するようになったそうです。CLIP TOKYOの運営を安定させるのはまだまだ試行錯誤中だそうですが、地道な努力が功を奏したのか、毎回の参加者のうち7~8割は、新規の方が参加してくるようになったそうです。

セントラルベースの熱心な取り組みは、色々な方面から評価が始まっており、今度の7月22日には、港区産業振興センター主催のビジネス交流会である『【Minato Base 交流イベント】”みなと経営者ビジネス交流会”』の運営も、正村さんに任せていただけることになったのだとか!

そのほか、レンタルオフィス事業をされているSERVCORP様と協業し、ビジネス交流会の企画も実現。

他にも、公表はできないもののCLIP TOKYOの仕組みを利用したコラボビジネス交流会の企画は次々と立ち上がっているそうです。

港区立産業振興センターという場所で起業したからこそ始まったビジネス交流会という新事業は、正村さんの価値観すらも大きく変えることになりました。

そんな、ビジネスマンにとっては理想の環境である港区立産業振興センターだからこそ、もう少し改善して欲しい点もあると正村さんはベテラン実業家の視点で語ります。

「せっかく港区という日本有数のビジネス街なのですから、もっと大企業の方々とスタートアップ起業の方々との接点をつくる企画を区に用意して欲しいですね。起業したばかりの方は、目の前の仕事をこなすことに必死です。それ自体は素晴らしいことなのですが、やはり事業を安定させるうえでは、安定したクライアント様を得ることが何より大事となります。産業振興センターに集まっている若い方々は、発想も技術も、素晴らしいものをお持ちです。だから、こうした起業家の方々の夢が挫折しないよう、大企業と中小ベンチャー企業が一堂に会する場を作って欲しいですね。これは、日本有数の企業が集まる港区ならできるのではと考えております。ビジネス交流ですので、セントラルベースとしてもご協力できるところはご協力したいです」

なるほど。確かに私も、産業振興センターに顔を出すようになるまで、これほどまでに魅力的な事業を始めている企業があるということに気づきませんでした。区内の大企業の方々と若い企業の技術が出会えば、さらなるビジネスが生まれていくことになるかもしれませんし、それは、とてもわくわくすることだなと思います。

最後に、正村さんは印象深いことを語ってくださいました。

「私は、長い間広告を作ってきました。広告は、媒体に載せて人々に届けることで初めて価値が生まれますが、媒体料というのはそれなりに高いため利用できる人が限られます。だから私は、CLIP TOKYOを小さな媒体にしたいと思っているのです。CLIP TOKYOに参加してくださった各企業様が、一定時間確実に、出会った企業に対して自社のアピール行える場にしたい。セントラルベースを起業したことで、私は初めて媒体をつくる側にまわっているんです」

私も、社会人経験はそれなりになりますので、ビジネス交流会の場には何回か参加させていただいたことがあります。ですがその多くが、人を集めるだけでそこから先は参加者の裁量に任せてばかりでした。ところが、株式会社セントラルベース様は、参加者のメリットの事を常に考えた運営をされていらっしゃいます。

願わくば、正村さんの“おせっかい”が広がり、CLIP TOKYOの形式が、ビジネス交流会のフォーマットとして定着して欲しいと、そう願わずにはいられないインタビューとなりました。

 

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