
港区唯一の騎馬像!「有栖川宮記念公園」に鎮座する有栖川宮熾仁親王の物語
港区麻布と渋谷区広尾の境目に位置する、「有栖川宮記念公園」。ドイツ連邦共和国大使館、港区麻布運動場、海外食品が充実したスーパーマーケットの「ナショナル麻布」などに囲まれ、園内には東京都立中央図書館も併設されている、まさに都会のオアシスです。
有栖川宮記念公園には、港区で唯一となる貴重な騎馬像、「有栖川宮熾仁(ありすがわのみや・たるひと)親王騎馬像」が静かにたたずんでいます。

有栖川宮熾仁親王騎馬像
今回は、この場所と所縁の深い熾仁親王や、騎馬像を手掛けた彫刻家のエピソードとともに、公園の魅力を紹介します。
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公園の名称からも分かるように、有栖川宮記念公園は、明治時代後期に有栖川宮家の邸宅があった場所。1934(昭和9)年に公園として開放され、1975(昭和50)年に東京都から港区に移管されました。
ちなみにこの場所、江戸時代は盛岡藩南部氏の下屋敷があったため、公園のすぐ脇の坂の名称は「南部坂」です。

有栖川宮家は大正時代に第10代当主・威仁(たけひと)親王の逝去により断絶してしまいましたが、陸軍軍人として明治天皇を支えた第9代当主・熾仁親王の騎馬像が今でも園内の広場に鎮座しています。
赤十字の創設認可と若き日の悲恋。有栖川宮熾仁親王の波乱の人生
天保6(1835)年に誕生した有栖川宮熾仁親王。慶応4(1868)年の戊辰戦争では自ら東征大総督となり、江戸城無血開城の一端を担います。親長州であった熾仁親王ですが、明治10(1877)年の西南戦争では鹿児島県逆徒征討総督に就任し、新政府軍を指揮した西郷隆盛の敵将という立場になりました。
その後、明治27(1894)年に勃発した日清戦争で参謀総長として広島大本営に下るも、この広島で腸チフスを発症したことが発端となり、61歳で逝去されました。
ちなみに西南戦争のさなか、熾仁親王は佐野常民らから「博愛社(現在の日本赤十字社)」の設立提案を受けます。博愛社設立は、はじめは政府に提案されましたが、「官軍・逆徒分け隔てなく救護する」という精神を受け入れてもらえず、征討総督の熾仁親王に願い出たのです。
熾仁親王は佐野らの博愛精神を称賛し、自身の判断で設立を認可しました。

有栖川宮熾仁親王から博愛社設立の許可を受ける佐野常民(寺崎武男『博愛社創設許可の図』)
そして熾仁親王のエピソードで忘れてはならないのが、若き日の悲恋。
17歳の当時、熾仁親王は孝明天皇の妹・和宮親子内親王と婚約します。しかしその後、和宮内親王は、徳川第14代将軍・徳川家茂と結婚することになるのです。
なぜなら、幕府と朝廷を結び付けて幕藩体制の再強化をはかるための政策(公武合体)の一環としての政略結婚を受け入れざるを得なかったから。
熾仁親王の父・幟仁親王が時の関白の直談判を受け、その後に提出した和宮内親王との結婚の延期願いが、事実上の婚約辞退として受理されてしまうのです(和宮内親王側も何度も内願を却下したり、大奥に入られてからも相当に大変な思いをされたそう。江戸時代に将軍よりも高い権威である内親王の地位でのお嫁入りなので、考えただけでも大変なことだったと推測できます)。
ちなみに熾仁親王は、明治の時代になって最初の妃として徳川慶喜の妹・徳川貞子と結婚しますが、2年後に貞子は病没。その後、越後国新発田藩11代藩主・溝口直溥の娘・董子と再婚します。董子は熾仁親王とともに、博愛社の立ち上げに尽力し、その後、現在の東京慈恵会医科大学附属病院の幹事長も務めました。
「靖国神社」と「上野公園」にある、有栖川宮熾仁騎馬像との共通点とは
有栖川宮記念公園の「有栖川宮熾仁騎馬像」の作者は、彫刻家の大熊氏廣(おおくま・うじひろ)。明治後期に作られた当初は旧参謀本部にありましたが、1962(昭和32)年にこの場所に移されました。

有栖川宮熾仁親王騎馬像
大熊氏廣は日本初の本格的な西洋式銅像でもある「大村益次郎像」の制作にも携わった人物。現在は、靖国神社・外苑で見ることができ、大熊の代表作のひとつとも言われます。

大村益次郎像
大村益次郎像が完成したのは明治26(1893)年。大熊は西洋彫刻の技術を修得したのち、欧州留学を経て大村益次郎像の制作に携わりました。10mを超える日本初の西洋式銅像の完成当時は、東京の観光名所のひとつとして話題を集めました。
そして、大熊氏廣が手掛けた騎馬像はもう一つあります。それは、上野恩賜公園のほぼ中央、上野動物園の正面口周辺にある「小松宮彰仁親王騎馬像」。

小松宮彰仁親王騎馬像
確かに堂々たる姿は、有栖川宮熾仁騎馬像と近しい印象です。
小松宮彰仁親王は、日清戦争で有栖川宮熾仁親王が病没した後、後任として参謀総長を務めたり、博愛社(日本赤十字社)の総裁を務めるなど、熾仁親王との所縁も深い方。
ちなみに、旧陸軍青森歩兵第5連隊が極寒の八甲田山で行った雪中行軍による遭難事故の慰霊碑「雪中行軍遭難記念像」や、東京国立博物館 表慶館の入口階段左右に鎮座しているライオン像も、大熊氏廣の代表作のひとつですよ。
騎馬像だけでなく、起伏に富んだ地形を生かした自然を楽しめる癒しの公園
公園のすぐ隣が坂、ということからも分かるように、有栖川宮記念公園は麻布台の地形を存分に生かした日本庭園。
起伏に富む公園内には、立派な御料池を有するだけでなく、自然の高低差を生かした滝や渓流もあり、鳥や昆虫、樹木や草木など、四季折々の自然を楽しめる貴重なスポットです。

東京ドーム1.4個分に相当する、約6.7万㎡を誇る園内には、ウメ、サクラ、アジサイ、イチョウなど季節を感じられる樹木も多く、バードウォッチングを楽しむことも可能。運が良ければ、カワセミを見ることもできるそうですよ!
自然だけでなく遊具も充実しており、中には木の温かみを感じられる木製遊具もあります。親子で体を動かして遊ぶ、園内をぐるりと1周して日頃の運動不足を解消する、仕事の合間のリフレッシュに訪れるなど、さまざまな楽しみ方ができる有栖川記念公園。
ぜひ一度、季節を体感しに訪れてみてはいかがでしょうか?
【有栖川宮記念公園】
住所:東京都港区南麻布5-7-29
アクセス:東京メトロ日比谷線「広尾駅」より徒歩3分、ちぃばす「有栖川宮記念公園」バス停より徒歩すぐ


