
路地裏にひっそりと佇む、乃木坂の魅力発信地——「美食」と「音楽」の楽園にお邪魔しました
みなさん、沖縄料理を召し上がったことはありますか?
ソーキそばやジューシー、海ぶどう……。ひと口食べたらどっぷりとハマり、今では沖縄料理と合わせて泡盛をちびちび楽しむのが、私の休日の定番にもなっています。
実は弊社のある青山一丁目駅にほど近い乃木坂エリアにも、そんな沖縄の味、なかでも「石垣島」のソウルフードを味わえるお店があります。地元で愛され、メディア業界からも一目置かれる「島唄楽園 美海店(しまうたパラダイス みなみてん)」。料理の美味しさはもちろんのこと、子どもから大人、著名人まで、誰もがくつろげるその居心地のよさが人気の秘密です。
今回「いざまち」では青山の憩いの場「島唄楽園」の魅力を紐解くべく、店主の西石垣 文江(にしいしがき ふみえ)さんの生き様や、地元消防団とのつながりなどについてお話を伺いました。
月夜の唄と語らいから構想を得た「六本木の沖縄ライブハウス」
「島唄楽園」通称「しまパラ」は六本木の交差点に建つ「セイシドウビル」4階で営業を始めました。店主・西石垣 文江さんが生まれ育った六本木の実家がビルとなり、テナントが抜けた4階を活用してオープン。当時は珍しかった沖縄料理を振る舞うライブハウスとしてのスタートでした。
「家族が六本木の交差点付近で商売を営んでおり、祖母の代から写真屋や餅菓子屋、おもちゃ屋など時代に応じて商売を変えてきました。平成元年、親戚と一緒に『セイシドウビル』を建築し、両親が1階で日本初の万華鏡のお店を開店。当時、私はアメフト雑誌『TOUCH DOWN』を発行するタッチダウン社の記者として活動していましたが、就職して8年目にセイシドウビル4階のテナントさんが出て行ってしまって。そこで、スポーツジャーナリストとしての活動を引退し、1995年から4階で沖縄のライブハウスを始めました」
六本木という場所で、あえて「沖縄のライブハウス」を選んだのはなぜですか?
「学生時代、観光客として沖縄の魅力に引き込まれ、タッチダウン社に入社してからも度々沖縄に訪れていました。当時、椎名誠さんが監督した石垣島舞台の映画『うみ・そら・さんごのいいつたえ』のロケが現地で行われていて。映画関係者の打ち上げに参加した際に、監督や音楽家さんが島の人たちと肩を並べ、月明かりの下で唄い、酒を飲み交わしていたんです。その光景がずっと忘れられず、誰もが分け隔てなく語り合えるような飲食店を、自分の手で作りたいと思いました」
2000年に開催された「九州・沖縄サミット」や、2001年から放送されたNHK連続テレビ小説「ちゅらさん」などの影響で全国的な沖縄ブームが沸き起こったのも記憶に新しいですよね。「島唄楽園」の開店は、1995年と伺っていますが、当時、沖縄料理店はまだ少なかったのではないでしょうか?
「ライバルの店舗は六本木周辺にはまだ少ない時代でした。そんななかお店のプロデュースを、日本ソムリエ協会名誉会長を務める田崎真也さんのいとこ、田崎聡さんにお願いしました。彼が創刊編集長を務めた雑誌『島唄楽園』と沖縄ローカル局・QABのテレビ番組『島唄楽園』とのメディアミックスでのオープンとなり、沖縄でも大変話題となりました。その後もオープン時からの話題性や沖縄ブームも相まってメディアでも度々取り上げられています。おかげで一般のお客さんだけでなくメディア関係者にも愛されるお店に成長することができました」
西石垣さんは、お店の開店準備を始めてわずか1カ月で「島唄楽園」をオープンしたそう。店の清掃からスタッフの求人まで、西石垣さんがマネージャー兼カメラマンとして所属した日本大学のアメフト部での人脈を最大限に活かし、1カ月の準備期間を経て開店を成功させました。
東京の隠れ家で出会える石垣島伝統の味「牛そば」
お店の看板メニューは、石垣島名物の牛そば。現地ではお祭りや祝い事で親しまれる郷土料理を、東京で唯一味わえるお店として、一日10食限定で販売しています。沖縄八重山列島で食べられる沖縄そば「八重山そば」に、高級和牛をたっぷりとのせた一杯です。
沖縄そばと八重山そばの違いは、麺の形とスープの味わい。沖縄そばの麺は平たいちぢれ麺であるのに対し、八重山そばの麺は丸みのあるストレート麺です。
また、沖縄そばは鰹節と豚骨の出汁を使用したスープが一般的なのですが、石垣島など八重山地方では煮込んだ牛肉を入れることで味に深みが増します。
実は「石垣島グルメプロモーション協会」より、東京でも広めてほしいと依頼を受けて約3年かけて独自メニューを開発したのだとか。
「牛そばは具材やスープのアレンジによって、提供店舗ごとにフリースタイルの味わいが楽しめる料理。『しまパラ』の牛そばは、鰹だしをベースにした味噌仕立てのスープです」
六本木ヒルズにある食のセレクトショップ「グランドフードホール」から仕入れたこだわりの味噌を使用したスープや、知り合いから仕入れたA5ランクの和牛が自慢。
常連客でもある、バナナマン日村さんのお墨付きのメニューということで、今回「いざまち」編集部でもいただいてきました!
口の中でほろほろとほどける牛肉と、鰹の旨味がしみわたる味噌仕立てのスープは相性抜群。石垣島からとり寄せた八重山そばの丸麺はもちもちとしていてのどごしがよく、シンプルな素材の味を活かした中毒性のある味わいでした。

ランチで味わえる「牛そば定食」。沖縄の炊き込みご飯「ジューシー」とサラダ、小鉢2品がつく大満足の定食メニュー。
「おもてなし」空間の進化を支える、絶え間ない努力と行動力
オープンして約3カ月目、お客さんとしてお店に来ていた元自衛隊員の光広(みつひろ)さんを料理人としてスカウトしてご結婚。石垣島出身のご主人が作る本場の家庭料理や奏でる三線(さんしん)の音色がお店の看板となりました。ほかにも沖縄出身のシンガーソングライターによる生ライブや、三線教室を定期的に開催。東京にいながら現地の音楽が楽しめ、島のようなゆったりとした時間が流れるお店として親しまれていきました。
「島唄楽園」の経営を続けながら、3人のお子さんを育てた西石垣さんご夫婦。オープンから今年で30年目。西石垣さんへの取材を通じて感じたのは、誰もがうらやむ行動力と、人気を裏付ける絶え間ない学びの姿勢です。
「子どもを保育園に迎えにいったある日、泣きながら保育園から出てくるお母さんがいてお話を伺うと、『ご主人が亡くなり営んでいたショップのお皿をもらってくれないか』というのです。いざ店に入ってみると、泡盛の瓶を並べられそうな棚やスペースが目に入りました。私はちょうど経営についてきちんと学んでみようと起業塾に通っていた時期でした。『あるものを活かしてビジネスにつなげる』という考えが頭に浮かび、22年前に乃木坂で2号店開店を決断しました。3人目が生まれて半年ぐらいだったこともあり、主人は1号店の料理長として、2号店は主人の叔父・叔母さんに手伝ってもらいました」
その後2015年に1号店を閉店し、乃木坂のお店一本に。加えて、青山一丁目・乃木坂周辺の商店街を盛り上げる取り組みにも力を入れるようになったそう。
「乃木坂店の1店舗になるまでの間に、飲食店としての『おもてなし』を学びたいと思い、ホテルレストランの職業訓練校に通いました。ちょうど2021年に開催された東京オリンピックで『おもてなし』という言葉が流行った時期でもあったので。半年間シニア向けのホテル学校に通い、職業訓練後にちょうど開業した高級旅館『星のや東京』に就職した経験もあります。裏方から始めて、調理や清掃もマルチタスクでスキルを磨きました。サービス業の真髄の部分を、2号店に絞るというタイミングできちんと学び直すことができたと思っています」
西石垣さんは「星のや東京」での勤務経験や、起業塾などリスキリングをしていた同時期に、中小企業振興公社が運営しているセミナーにも参加していました。
「飲食業やサービス業のコースなど公的サポートを受けながら勉強をして、経営者としての知識を学んでいきました。『商店街研究』をテーマにしたセミナーでは、都内の有名商店街の代表がそれぞれ商店街の課題を話し合っていました。イベントや地域通貨の話を聞いているなかで『私たちの、青山南一商振会でもやってみたい』と思い、まずは路地裏のお店などもまとめて商店会を大きくしていこうと思いました。『島唄楽園』にランチを食べに来てくれるお客さんで、『最近お店を出しました』という方たちと密かにグループを作り、イベント出店なども促しました」

石垣島出身の料理長・西石垣 光広(みっちゅう)さん(左)と店主の文江さん。(右)
地域防災活動が店の知名度UPに
商店会活性化につながった「消防団」への入団
今回のインタビュー前、「島唄楽園」さんのインスタグラムを拝見して気になっていた「消防団協力事業所」の称号についても伺いました。
飲食店を営みながら消防団に協力されている店舗は珍しいかと思います。消防団に入られたきっかけについて教えていただけますか。
「長女が小学生のころに3.11があって、学校の卒業遠足でディズニーランドに行っていたのですが、震災の影響で23時過ぎまでバスが動かなくて連絡も取れない状況でした。こういった災害時に対応できるような力をつけたいと思ったのが、消防団に興味を持ったきっかけです。私は幼少期には麻布消防少年団に入っていたこともあり、幼いころから『地元で何か役に立ちたい』という思いもありました。
2年前から娘、息子と一緒に『赤坂消防団』に入団しており、普段は防災訓練などで区民の皆さんに指導を行ったり、イベントに参加して防災意識を高めるための周知活動を行ったりしています。消防団は気心の知れた地元の人たちと活動でき、町の助けになるだけでなくお店の宣伝にもなる点などメリットばかりです。先日、赤坂氷川祭に参加したのですが、ほかの町会の方から声をかけられることが増え、店や商店会の知名度向上にもつながったと感じています」
お子さんの災害体験や幼少期から生まれた防災意識をきっかけに始めた消防団の活動が、思いもよらぬ形で「しまパラ」の認知度を高めていきました。

従業員が消防団に2名以上所属する事業所に贈られる「消防団協力事業所」シルバーマーク。
地域の枠を飛び越え「区民祭り」出店へ
商店グランプリ受賞がもたらした新たなステージ
「しまパラ」さんが所属する青山南一商振会は10月11日、12日に開催される「第44回 みなと区民まつり」に出店します。会場となる港区芝公園には、花屋の「flo.dance(フラダンス)」さん、マッサージ屋「ザ・モスト・カイロプラクティック」さんも一緒にブースを構える予定です。こうした規模の大きなイベントにも参加するきっかけとなったのは、『いざまち』でも度々取材している、「港区商店グランプリ」での受賞経験でした。
【過去の記事】
・港区商店グランプリ優良賞受賞!お客様とスタッフがHappyになれる地域密着型ヘアサロン『Salon Hanano』
・『港区商店グランプリ』って知っていますか?
「港区商店グランプリ『優良賞』受賞により、港区のコロナ対策の助成金で店内のトイレを最新式に改装しました。この出来事をきっかけに区のイベント情報にアンテナを張るように。『小さな商店会でも、港区全体で開催されるイベントに出店できる』と知り、芝公園の『みなと区民祭り』や新橋SL広場の『全国交流物産展 in新橋』にも精力的に出店しています。
今年の区民祭りでは『石垣島の美味しい料理をより多くの方に届けられたら』と思い、八重山そばやジューシー、サーターアンダギーなどの軽食やオリオンビール、泡盛などのドリンクメニューも販売します。さらに、パレードやステージでは創作エイサー『天晴(あっぱれ)』も出演し、料理や出し物でお祭りを盛り上げていきます」
今回お話を伺い、「商店グランプリへのエントリーや区民祭り出店など、港区の商店には意外と知られていない活躍の場がある」と感じました。まだまだ魅力的な商店が発掘されていくのではないでしょうか。

店内トイレのドアには、店舗名の由来にもなっている娘さん・美海(みなみ)さんが描いたイラストが飾られています。
「しまパラ」店主が描く心躍る青山・乃木坂の未来地図
青山南一商振会は10月19日に開催される「青山南一FESTIVAL 2025」など「島唄楽園」さんが中心に盛り上げていかれるイベントなども主催されていますよね。ほかにも地域のために今後取り組まれたいことなどはありますか?
「港区でも芝側はイベントや伝統的な祭りなどがさかんに行われていますが、六本木・青山・赤坂あたりはイベントがこぢんまりとしている傾向。そういったなかで青山中心に盛り上げていき、最終的には港区全体でまちバル(商店街の活性化を目指し、飲食店を食べ歩き・飲み歩きするイベント)、まちゼミ(商店主が講師となって専門店ならではの知識を教える少人数制講座)なども開催していけたら。中小企業診断士(中小企業の経営課題に対応するための診断・助言を行う専門家)の先生たちの意見も入れて、商店街のしくみを整えていきたいです。
『まちバル』は5枚一組のチケットでいろいろなお店をホッピング(はしご)して、それぞれワンドリンク・ワンフードずつ楽しめるような、商店街を周遊しながら食べ飲み歩きができるイベント。裏道に一本入っているだけで分かりにくい店舗もあるため個性豊かな商店の魅力をもっと多くの人に知ってもらいたいです」
人脈や行動力を活かしながら青山の商店の魅力を引き出し、商店会の輪を広げていく姿が印象的でした。
沖縄出身の方の帰る場所・沖縄ファンの憩いの場として、商店会の広告塔として、さらには「いざという時」に頼れる地域の安全スポットとして。
誰もがほっと一息できて元気をもらえるパワースポットのようなお店「島唄楽園」。
都会の喧騒を忘れる、のんびりとしたひとときに。あなたも西石垣さん夫妻に会いに、足を運んでみてください。

あたたかい沖縄の家庭料理が気兼ねなく楽しめるお店。乃木坂/六本木/青山一丁目駅からもほど近く、ランチやお仕事終わりにもおすすめ。
【島唄楽園 美海店】
住所:東京都港区南青山1-15-18 リーラ乃木坂 1階
時間:ランチ平日11:00~14:30(L.O.14:00)、ディナー平日18:00~24:00(L.O.23:00)
定休日:日曜、祝日、年末年始
※土曜は不定休
アクセス:東京メトロ千代田線乃木坂駅より徒歩2分、都営地下鉄大江戸線六本木駅より徒歩8分、東京メトロ銀座線・半蔵門線青山一丁目駅より徒歩9分