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【行ってきました】第39回 四の橋夏祭りは人の温もりを感じられる古き良きお祭り

2025年8月22日

「猛暑」「酷暑」という言葉を超越し、「烈暑」「極暑」とでも呼ぶべき気温と湿度が連日続いております。ですが、暑さに負けることなく区内各地では夏祭りが開催されています。

今回は、2025年8月2日(土)~3日(日)に白金商店街で開催されていた四の橋夏まつりの現場レポートをお届けします。

白金氷川神社から四ノ橋へ 再開発前の面影残す商店街の夏

「四の橋夏まつり」は、白金商店街が中心となって毎年開催している夏祭りで、今年で39回目を迎えます。
「白金商店街ってどのあたり?」と思う方もいるかもしれません。最寄り駅は東京メトロ南北線・白金高輪駅。そこから西へ徒歩5分ほど歩くと、「白金氷川神社」が見えてきます。この神社から北に延びる道路沿いに広がっているのが白金商店街です。

レトロな看板が商店街入口の目印

商店街は北の古川にかかる四ノ橋まで連なっており、この通りがその名の由来にもなっています。

白金高輪駅には、直結する駅ビル内に「白金プラザ会」という商店会があるため、地元の人以外は足を運ぶ機会が少ないかもしれません。ですが、逆に言えばここは、再開発前の工場街だった白金の面影を残す、人情味あふれるエリアでもあります。

実際、いざまち編集部の中には、ご親戚が白金が高級住宅街へ変わる前から暮らしているというスタッフもいますが、その人物はこの商店街を「四の橋商店街」と呼んでいました。昔からこの町のことを知っている人は、むしろ白金商店街のほうになじみがないのだとか。

そのくらい、古くから人々に愛されている商店街ということです。

四の橋商店街の誕生は明治43年(1910)。まだ近隣には他に商店会と呼ばれるものはなかったと伝わっています。そういったわけで、地元にゆかりのある偉人である北里柴三郎も日々通ったという由緒正しい商店街です。

今回初めて商店街を歩いたのですが、昔ならではの町中華や飲食店が元気に営業しており、キラキラした白金とはまた違う懐かしい雰囲気を醸し出していました。

そんなに広くない道幅いっぱいに、多くの人が溢れていました

食べ物の種類が充実しているのは商店街主催ならでは

祭りの名前にもなっている「四ノ橋」は、商店街の北端にかかる橋梁。元々は土屋相模守下屋敷前にかかっていた橋だったそうで、「相模殿橋」とも呼ばれています。

現在の橋梁は昭和60年(1985)に架けられたもの

この日も暑い中、物凄い数の人が押しかけており、大変にぎわっていました。白金商店会の公式サイトによると、毎年2日間で50,000~60,000人が来場するとのこと。地方の中堅都市位の人口くらいの人数が集まるんですから、そりゃ、盛り上がるはずです。

子どもの姿も多く、子ども向けのくじ引きも盛況でした

再開発エリアの横に露店が並ぶのは、白金エリアならでは

町のシンボルである橋の上に手作り感あふれるステージ

驚いたのは、四ノ橋の上を通行止めにしてメインステージをつくってしまっていたということ。古川の上には首都高速道路が走っているため、テント替わりに日陰を作るには最適で見事なアイデアですが、生活の導線である道路を潰すという発想には、町の人々の祭りに賭ける並々ならぬ思いが伝わってきます。

首都高の下に人だかりができており何事かと思うと……

なんと舞台が作られており様々な出し物が!

パンフレットを見ていると、地元の方のカラオケ大会や、じゃんけん大会などに交じって、芸能プロダクション「ラナンシーミュージック」のタレントさんたちの出演が!こういうところは、東京のお祭りって感じですごいですね!ステージ前からは子どもたちの歓声が上がっていました。

白金商店街のある白金高輪駅北西部は、工場や、事務所など昔からの建物が混在し、密集したままのエリアです。昭和の雰囲気が残る趣深い地域なのですが、かねてから道路の横幅が狭く歩行者が危険、車両が入りにくい、老朽化した建物がおおいため、地震や火災時の安全基準が満たされていなかったりと、防災の課題を指摘されていたエリアでもあります。

そのため現在、大規模な開発が計画され工事が始まっています。以前行われた白金アエルシティの再開発の経験を踏まえ、白金商店街や地元住民の方々と話しあいながら、暮らしやすい町へ生まれ変わろうとしているそうです。

いざまちとしても、古くから暮らす方々の声を聞きながらこのエリアの再開発に注目したいと思います。

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