いざまちローディング画面

いざまち

【八芳園】入園料無料!? 四季折々の美が楽しめる日本庭園が白金台にありました!

2023年11月7日

有名イベント会場の庭園にノーアポで突撃!

先日、取材が終わり白金台を歩いていた折のこと、ふと弊社代表がこのようなことを言っていたことを思い出しました。

「白金台にある八芳園の日本庭園は、無料で一般に公開しているぞ」

八芳園といえば、先日も総理大臣とアメリカ合衆国大統領の食事会が催されたり、豪華絢爛な結婚式が開かれたりする超有名イベント会場。

そんな会場が管理・整備している日本庭園に本当に入れるのか?社長の思い違いか、ものすごく昔の話なんじゃないのか?

せっかく外に出たのに真っすぐ帰社するのも癪なので、特にアポを入れたわけでもなかったのですが、ふらりと白金台の駅前に立つ八芳園へと足を運んでみたのでした。

白金台駅の正面にそびえる八芳園の看板

私が訪れたのは、平日のど真ん中である水曜日。観光客らしき人の姿はなく、庭園の入り口と思われる正門では結婚式を行うカップルが前撮りの真っ最中でした。

さすがに入りにくい……と、諦めて踵を返そうとしたところ、にこやかにスタッフの方が声をかけてくださいました。

「大変ご迷惑をおかけしています。何かご用でしょうか」

「ええと、八芳園さんの日本庭園に無料で入れるとうかがったので来てみたのですが」

「申し訳ございません。ただいま撮影をしておりまして。それでしたら、少し進んだ先の入り口を左にお進みください」

「ありがとうございます(え!本当に無料で入れるの!? 私、参列者でも何でもないのだけれど)」

ということで、幸せそうなカップルを横目に、案内された入り口へ向かいました。

目の前に現れた苔むした門

ここかな?と、門を潜ってみると……

す……すごい!!

起伏ある日本庭園が、私の想定をはるかに超えたスケールで目の前に広がっています!

日本庭園といえばお庭の外の風景を活かした借景という技法がありますが、こちらのお庭は、白金台の住宅街のど真ん中。お庭の外にはビルや建物が立ち並んでいるため、そのまま借景をしてもどこかちぐはぐな印象になってしまっているはずです。ですが、こちらでは白金台地の高低差を見事に活用。入ってすぐのところは高地ですので、庭を見ようとすると自然と窪地である下の池へと目線が誘導されていきますし、

庭園の高台から見下ろした風景

逆に池の縁から遠くを見ると、急な斜面が背景の役割を果たしてくれているため、周囲にビルがあると全く気が付きません!

池の端にある休憩所から斜面を見た景色

この日、庭園内では先ほどのカップル以外にも、2~3組結婚式の前撮りを行っていました。

ですが、その他は観光客と思わしき外国人の女性が一人と私のみ。広い庭園ですので、のんびり回っていてもお互いのパーソナルスペースを侵害することもなく、庭園を独占している気分が味わえます。

都内には日本庭園がいくつかありますが、基本的にはどこもそれなりの人数の見物客がいらっしゃるので、ちょっとこの静けさは驚きです!

帰り際、八芳園の広報ご担当・工藤さんともお話をさせていただく機会がございました。

実は、基本的に自由に散策していただいて構わないんです

そんなにサービスしてしまって本当に良いんですか!?

池には色鮮やかな鯉が悠々自適に暮らしている

庭園の原型が作られたのは今からおよそ400年前

帰社後、八芳園の庭園について調べてみました。

江戸時代初期、こちらの日本庭園には、旗本である大久保彦左衛門忠教(おおくぼひこざえもんただたか)の屋敷が建っていたそうです。

大久保彦左衛門忠教肖像 画像提供:Wikipediaよりパブリックドメイン

大久保彦左衛門は、歌舞伎や講談の題材に選ばれるほど江戸時代から人気のあった武士で、徳川将軍に、家康から秀忠、家光と三代に渡り仕えています。

彦左衛門没後は、残された屋敷を薩摩藩が購入し抱屋敷(※)となりました。お屋敷は、その後薩摩藩の下屋敷として200年近く使われ続けています。

明治時代に入り薩摩藩がなくなった後、主がいなくなった屋敷を購入したのは、渋沢栄一のいとこ、実業家の渋沢喜作(渋沢成一郎)でした。

渋沢喜作(成一郎) 画像提供:Wikipediaよりパブリックドメイン

明治初期の政財界に、渋沢栄一とともに大きく寄与した喜作は、明治36(1903)年に、全ての公職から引退。この地で伸び伸びと過ごしたそうです。喜作が大正元(1912)年に亡くなると、大正4(1915)年に売りに出された屋敷は、日立製作所などの企業の礎を築き、政治家でもあった久原房之助の手に渡ります。

久原房之助 画像提供:Wikipediaよりパブリックドメイン

久原房之助は、屋敷と庭園に大きく手を加え、現在の八芳園の建築と庭園の基礎を築きあげました。渋沢喜作邸に久原が増築を施した建物が、現存する八芳園・壺中庵なのだそうです。

壺中庵

白金台一帯は、第二次世界大戦で大きな空襲被害を受けませんでした。そのため、久原の改築した庭園や屋敷は形を保ちました。

戦後、久原は戦争を指導した立場にあったとして公職追放の憂き目にあいます。この期間中、彼は東京で飲食店などを複数経営する実業家・長谷敏司(はせとしつか)から「外国からの賓客向けに日本庭園を活かした本格料亭」の話を持ちかけられます。

ちょうど、広大な庭園を個人のためだけに置いておくのは時代にそぐわないと考えていた久原はこの申し出を快諾。昭和25(1950)年、料亭「日本館」がこの地で営業を開始しました。

この料亭が現在の八芳園の前身です。

将軍に極めて近い所にいた旗本の屋敷から始まり、大名屋敷、そして近代の礎となった有力者たちが整備を繰り返していったお庭。白金台で少し時間ができた方は、是非立ち寄ってみてください。

港区内とは思えない緑の美しさに感動すること請け合いです!

(※)抱屋敷……幕府から与えられたものではなく、独自で購入した藩邸のこと

八芳園
住所:東京都港区白金台1-1-1
時間:10:00-21:00
※季節・時期による変動あり
休園日:年末年始
入場料:無料
アクセス:東京メトロ南北線・都営三田線白金台駅「2番出口」より徒歩3分

前の記事

港区歴史探索・駅名のヒミツ 「溜池山王」……駅名の溜池は江戸最初期の上水施設

次の記事

港区の坂・「潮見坂」