港区歴史探索・地名のヒミツ 「新橋」
SL広場がトレードマークの、「サラリーマンの聖地」と名高い新橋。駅付近には飲食店も多い街です。「新橋」と書くからには、新しい橋が何かあったのでしょうか?
ルーツを探ると、NHK大河ドラマで話題の、徳川家康の時代までさかのぼることが判明しました!
「新橋」の由来
新橋という名の由来は江戸時代、汐留川(新橋川)に架けられた橋が「新橋」だったことに由来しています。
1601年(慶長6年)、徳川家康は「宿駅伝馬制度」をしき、近世の東海道を確立しました。当初は今の港区芝一丁目あたりが起点でしたが、3年後、増上寺浜辺などを埋め立て、起点を日本橋まで延ばします。この時に、現在の港区の北東端に架けられた新しい橋こそ、「新橋」の起源と考えられています。
この橋が「新橋」と呼ばれるようになった理由は、下記の説があります。
・新しい幹線道路(東海道)の延長にふさわしく「新橋」の名をつけた
・汐留川に架かる橋の中で“より新しい橋”という意味で呼んだ
徳川家康によって開拓された江戸の街は、今なおその名残が残っているのですね。
もしかしたら「芝口」になっていたかも?
1710年(宝永7年)、「芝口御門」が新橋の北に造営され、辺りの町も「芝口」と名づけられました。橋の名前も「芝口橋」に変わりましたが、橋の北側には、「新橋」という名が残っていました。
明治時代に入ると、橋の名称も「新橋」に戻されました。1872年(明治5年)には日本の鉄道起点「新橋駅」ができたことから、新橋は港区側の地名になったのです。
1932年(昭和7年)、関東大震災後の復興のために大規模な町名整理が行われ、新橋ははじめて当時の芝区の町名となりました。
もし橋の名称がそのままだったら、「新橋駅」は「芝口駅」と呼ばれていたかもしれませんね。
なぜ新橋駅にSLがあるのか?
実は新橋駅こそ、日本における鉄道発祥の地でもあります。巨大ターミナルとして、現在の東京駅のような役割を果たしていました。
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SLのモニュメントは、1972年(昭和47年)10月、鉄道開業100周年を記念して新橋に設置されたのです。
ただでさえ存在感を放つ黒いモニュメントは、毎日12時・15時・18時の計3回、汽笛を鳴らしています。
タイミングが合えば、どこか郷愁を誘う、あの懐かしい汽笛の音ををぜひ聞いてみてください!
【新橋駅】
路線名:JR東海道線、山手線、京浜東北線
住所:東京都港区新橋2丁目17