【港区の港・水上交通編】伝統文化と都心の景色の融合――「屋形船なわ安」
温もりのある提灯の光がともる中、夕闇の湾に溶けていく屋形船。幻想的で情緒あふれる光景は、東京都心にありながら、どこか郷愁を誘います。
そこはいわば、海の上の特等席。屋形船から眺める春の桜や夏の花火は、いっそう格別で贅沢なひと時を提供します。
これまで「水上交通編」として、「ウォータータクシー」「クルーズ船」などをご紹介してきましたが、今回は屋形船をご紹介。浜松町にあり、多くの文化人やビジネスマンから愛される名店「屋形船なわ安」代表である高野康代さんのインタビューも交え、その魅力に迫ります。
そもそも屋形船とは……人々との歴史
まずは、屋形船が現代に継承されるまでの経緯を、簡単に振り返ります。「屋形船」とは、屋根と座敷を備えた船上の空間。その歴史は古く、さかのぼれば平安時代には、貴族が「舟遊び」として、楽器を演奏したり和歌を詠んだり、水辺で楽しむ文化が存在しました。ただし、舟の形状は、現在の屋形船とはまったく異なるものと考えられています。やがて、江戸時代になると、有力大名たちが豪華絢爛な船をしつらえ、水上を遊覧するように。しかし、浪費や贅沢を禁じる倹約令が、幕府から頻繁に発令されるようになります。船の装飾や大きさに制限がかかり、大名たちの船は小型化、質素化へと変化を遂げていきます。
一方で、武家の船に乗船できなかった当時の町人たちは、船宿や料理屋が所有する「屋根船」と呼ばれた小型の船を浮かべ、遊覧を楽しんでいました。身分を問わず、一般の人々も粋な遊びとして利用できる、現代の屋形船に通ずるスタイルが築かれたのです。
「両国の川開き」で行われる花火(現在の隅田川花火大会)には、こうした屋根舟を含め、多くの人々が集まった様子が史料に描き残されています。
その後、太平洋戦争という時世にあって、屋形船は一時衰退の憂き目に遭いますが、1980年代以降はバブル経済期の後押しもあり、観光や接待の場として注目を集めるようになりました。現在では、全国各地の川や海で、地域ごとの特色を生かした屋形船が発着しています。
料理自慢「屋形船なわ安」のルーツ
数ある屋形船の中でも、特に食材や料理にこだわり、国内外の利用客から愛されているのが東京都港区の店舗「屋形船なわ安」。同店の代表・高野康代さんに、お話を伺いました。
歴史ある同店のルーツは、江戸時代にまで遡ります。もともとは漁師だった先代が、船上で魚を提供していたことに端を発するそう。当時の東京湾では、天然ウナギやカニ、アサクサノリ、スズキなど、江戸前寿司のネタとなる魚類が豊富に獲れていました。
「店名は、漁法のひとつ『はえなわ漁』(延縄漁)と、祖父・やすたろうの名前に由来しているんです」と明かしてくれた高野さん。両者を合わせて、「なわ安」となったそうです。
漁師だった先代から、現在の屋形船に至るまで、業態の変遷にもう1つ過程がありました。
「実は屋形船の前に、釣り船屋をやっていた時期がありました。埋め立てなどの関係で、東京湾で漁をしても魚があまり獲れなくなってしまったんです。その後、釣り船屋と屋形船を兼業するようになり、今では屋形船一本になっています」
屋形船の事業を始めたのは、高野さんの父親でした。その父が他界し、高野さんは船の仕事を継がれたそうです。現在は、操縦士、船頭、料理人、女将を兼ねている高野さん。その活力と多才さに驚きです。
「たくさんの方に支えられ、ここまでやってこれました」――笑顔を浮かべながら、周囲のサポートに感謝の想いを語ってくれました。
異なる魅力の船体と快適運航のための設備
同店からは、「飛鳥」と「なわ安丸」という2種類の船体で、さまざまなプランやサービスを提供しています。ともにエアコン完備のため、真夏はもちろん、寒い冬でも快適に利用できます。
飛鳥
白い船体が優美な印象な「飛鳥」には、横揺れ防止装置「フィンスタビライザー」を搭載。船底から突き出た魚のひれのような板により、船の揺れを最小限に抑えます。
上部は360度見渡せる展望デッキになっており、船内は掘りごたつ式の座敷。大人数での宴会にも適しています。
なわ安丸
日本情緒あふれる「なわ安丸」は、特にヨーロッパからの利用客に人気の船体。椅子席のため、立ち上がりも楽で年配の方にも好評だそう。なわ安丸も同じく、屋上デッキから360度見渡す事ができます。
さらに、同店の特徴として、2種類の船体には「バラストタンク」を搭載しているそう。
「バラストタンク」とはもともと、船を安定させるために海水を重りの代わりにして積み込んだ専用のタンクのこと。運河の橋をくぐることもある屋形船では、くぐり抜けるために川の水をタンクに入れて船の重量を増し、くぐり抜けた後に入れた分のバラスト水を排水して調節しています。
年々温暖化が進み、潮位が上がっていく中で、安全に航行するためにはこうした設備の工夫もあったのです。
船頭の腕の見せどころ! ベストポジションで観覧する花火大会
「貸切屋形船プラン」「お花見屋形船プラン」などさまざまな人気プランがある中で、即時に予約が埋まってしまうのが「花火屋形船プラン」。特に隅田川花火大会を鑑賞するプランは、大会の開催日時も決まっていないうちから予約の問い合わせがあるほど、熱い注目を集めています。
「大会では複数の場所から花火が上がるため、お客さまはあちこちの方角を見ていると首が疲れてしまいます。お客さまを疲れさせないため、当店では複数の花火を同時に見れる、一番前の場所に屋形船を留めます。そこに留めるのも、船頭の腕次第なんです」
その船頭さんは、現役の東京の漁師。「屋形船なわ安」は、現在でも東京湾で漁を営んでおり、卓越した操船技術を持っています。
新鮮な魚介と食材にこだわりを……母の出身地である岩手も応援
同店の料理に出される食材は、毎朝豊洲市場に出向き、できるだけ東京湾で獲れた新鮮な食材を吟味して仕入れたもの。また、漁に出た日に東京湾で獲れた、イカ、キス、メゴチ、スズキなどのお魚も提供しています。
産地が東京以外であっても、国産の安全な食材を選ぶことにこだわり抜かれているそう。さらに、会席料理のお品書きの中には、たびたび岩手の名が登場します。
- 先付け…最上級の岩手産三陸わかめのバジル風味
(会席「萬寿」、会席「千寿」) - お食事…岩手県産「銀河のしずく」を使った季節のご飯
(会席「千寿」、会席「百寿」、昼会席「江戸前」)
さらに、旬物料理に使用される豚肉は、岩手で育ったこだわりのブランド豚「折爪三元豚 佐助」。何か岩手に思い入れがあるのか伺うと、理由を教えてくれました。
「母の出身地が岩手県の越前高田市なんです。東日本大震災以降に、東北を応援するため、岩手の食材を取り入れるようになりました。岩手で獲れる食材は、とても美味しいんです」
東京湾の食材と、岩手県の食材。ぜひ「お品書き」にもご注目の上、贅沢なコラボレーションに注目されてみてください。
全てはお客様に喜んでいただくために…女将自身が企画したオプション
「屋形船なわ安」では、利用客の希望に応じて、多彩なオプションや別注料理も用意してくれます。たとえば、寿司職人が目の前でお寿司を握る「高級江戸前寿司パフォーマンス」、立川流落語家・立川志の春さんの「英語落語」、江戸紙切りのはさみ家紙太郎さんによる「紙切り名人芸と漫談」など、バリエーションは実に豊富。
「ただ景色を見るだけではなくて、お客さまに日本の伝統文化を楽しんでいただけたらと思って始めました。オプションの内容は、屋形船の雰囲気に合っていて、かつ安全性を考慮して考えています。企画を考えるのも好きなんです」
一番初めに始めたオプションは、芸者衆のお座敷だったそうです。
「当店の屋形船は接待の場で使われることも多いのですが、芸者衆のお座敷は海外のお客さまに非常に好評です。もちろん、日本の方にも楽しんでいただけますね。もともと、(芸者衆の)置屋の女将さんと仲良くしていて、そんなご縁もあって始めました」
お笑い芸人の方にも、プロダクションを通して高野さんが直接依頼されているそうです。
「屋形船という限られた空間は、パフォーマンスを演じる方々にも好評なんです。距離が近い分、お客さまが喜ぶ反応が直に伝わり、やりがいを感じる、手応えがあると言ってくださいます。もちろんお客さまも、非常に近い距離で演目が見れるので好評です」
旧き伝統と現在の景観が共存する屋形船
子供の頃から父が運転する船に乗っていて、現在は自らも操縦する高野さん。東京都心部を航行する屋形船というサービスについて、こう語ってくれました。
「伝統文化と新しい都会のランドスケープ、両方を楽しんでいただけるのが魅力です」
波間に揺られながら、目の前に広がるのは移り変わる美しい東京湾や運河の景色。その船上で舌鼓を打つのは、新鮮で贅沢な高級会席料理。平安時代の貴族もかくやと思うばかりの、雅な空間です。
さながら、海に浮かぶ高級料亭のような「屋形船なわ安」。その裏にあったのは、おもてなしと安全性へのあくなき追及でした。ゆえに、「屋形船なわ安」のサービスは、国境を越えてどんな方の心にも響くのでしょう。
屋形船なわ安
住所: 東京都港区芝1-3-1
時間:10:00~22:00(不定休)