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港区唯一の「酉の市」も開催! 麻布七不思議の歴史を引き継ぐ十番稲荷神社

2024年6月13日

地下鉄・麻布十番駅の7番出口を出てすぐ右手、徒歩すぐの場所に佇む、十番稲荷神社。鳥居をくぐり、階段を上った先のコンパクトな境内ではありますが、道行く人々が鳥居の前で一礼をしたり、階段を上ってお参りをしたり、地元をはじめ、近隣で働く方から篤い信仰を受けている都会の神社です。

麻布十番商店街のすぐ近くにある十番稲荷神社は、港区で唯一、酉の市が開かれる神社でもあります。また、港七福神めぐりでは「宝船」を担当しており、鳥居に向かって左手にある、七福神を乗せた宝船の石像も必見。そして、鳥居の右手側には「かえる」の石像が。

宝船の石像については、「港七福神めぐり」で詳しくお話を伺ったので、ぜひご覧ください。

「かえるさん」の愛称でも親しまれている、かえるの石像

“宝船”と“かえる”、このふたつの石像と十番稲荷神社の関係とは? また、酉の市が開催されたきっかけなどなど、十番稲荷神社について、権禰宜の渡瀬恭孝さんに教えてもらいましょう。

十番稲荷神社 権禰宜・渡瀬恭孝さん
平成19年に十番稲荷神社に奉職。権禰宜として神事に携わる一方で、園芸係として桜やアジサイなどを育成している。

ふたつの神社が合併して誕生した、十番稲荷神社

十番稲荷神社は、戦時中に空襲で消失してしまった「末廣神社」「竹長稲荷神社」が前身です。戦後の復興土地区画整理により、現在の場所に遷座しました。そのため、御祭神は末廣神社、竹長稲荷神社でお祀りしていた5柱です。

●衣食住、商売繁盛の神(稲荷神)
…… 倉稲魂命(ウカノミタマノミコト)
●難局打開、武運長久の神(大鳥大神)
…… 日本武尊(ヤマトタケルノミコト)
●学芸芸能、美の神(弁才天、宗像三女神)
…… 市杵島姫命(イチキシマヒメノミコト)
…… 田心姫命(タギリヒメノミコト)
…… 湍津姫命(タギツヒメノミコト)

さまざまなご利益がある十番稲荷神社ですが、実は「火事除け/やけど除け」について江戸時代から篤い信仰を受けているお守りがあります。

それが、「上の字(じょうのじ)御守」です。

全国でもここでしか手に入らない! 上の字御守

「上の字御守」という、ちょっと聞き馴染みのないお守り。全国でも十番稲荷神社にのみ伝わる、特殊な御守について、早速、渡瀬さんに聞いてみました。

「上の字様(上の字御守)については、江戸時代から伝わる、麻布七不思議のひとつである“ガマ池伝説”というお話からはじまります。
江戸時代、この近辺に備中国成羽領主・山崎主税助(やまさき・ちからのすけ)の旗本屋敷がありました。その屋敷には、“ガマ池”と呼ばれる大きな池があったんです。文政4(1821)年の7月、麻布古川あたり(現在の南麻布近辺)で火事が起きてしまい、山崎さんのお屋敷にまで火の手が迫ってきた。しかし炎が屋敷に迫ってきた時、ガマ池から大きなガマが現れ、水を吹きかけたことで、屋敷は焼けることがなく、火事の難を逃れたんですね」

なるほどなるほど。
麻布七不思議も気になるところですが、ガマ池伝説から上の字御守にどうつながるのかも気になります。

「大火の後、町民たちが、なんであの火事で山崎さんのお屋敷は焼けなかったんだ? という話になり、ガマが水を吹きかけてくれたから火事を逃れることができた、と。じゃぁうちもひとつそれにあやかりたい。火事にならないような御札がほしい、という話になりましてね。
で、火事にはやけども付きものですから。やけどのおまじないはないんですか? と聞かれ、はいはいございますよ、と、火事とやけどのおまじないとして、山崎さんの方でみなさんに御札を授けていたようなのです。その御札に書かれていたのが“上”の文字。なので、“上の字御守(上の字様)”と呼ばれているんですね」

珍しい名前の御守だな、と感じていましたが(最初はどう読んだら良いのかも分かりませんでした……)、そんな経緯があったんですね!

「江戸時代から続く御札ですが、明治期にはさらに有名になりまして、いろいろな新聞や雑誌にも名前が出るようになりました」

明治35年発行の書物を昭和40年代に再販した説明文に、上の字様の名前が(編集部私物)

上の字様のご利益、今で言う、口コミで広がっていった感じなのかも……?
でも、もともとは山崎さんがご厚意で配られていた御札。十番稲荷神社が受け継いだのは、どんな経緯からでしょうか?

「実は山崎さんは廃藩置県の後、何年かしてお国元に帰られるのですが、家来筋の方が麻布に残っていらっしゃった。その方が、江戸より続く火事よけ/やけどの御札であると、引き継がれていたようです。
ただ、その家来筋の方も、昭和の初め、郷里に帰られることになりました。そこで、“私は里に帰りますが、この御札は人助けになるのでぜひ引き継いでほしい”と、末廣神社が引き継ぐことになったんですね」

そして現在、末廣神社を前身とする十番稲荷神社が引き継いだ、ということなんですね。

「現在のガマ池は、池も含め四方を私有地で囲まれ、また防犯上の関係で入れないですが、昭和のある頃までは、近所の子どもたちが勝手に忍び込む遊び場になっていたそうですよ(笑)」と渡瀬さん。江戸より続く、麻布地域の一端を教えていただきました。

200年前とほぼ同じ“上の字様”御札も!

江戸時代から篤く信仰されている、上の字御守(画像提供:十番稲荷神社)

現在、十番稲荷神社に残された文献などをもとに、当時の姿を復元した上の字様の御札をいただくこともできます。ただ、ガマ池の水を使い一体ずつ手作りのため、数は限られてしまうとのこと。家の諸災難除として、山崎家からはじまったご利益にあやかるのはいかがでしょうか?

発端は地域の方のひと言だった? かえる御守り

お守り袋に入れても、お財布に入れてもOK!旅行安全・開運招福の「かえる御守」(画像提供:十番稲荷神社)

ところで、十番稲荷神社にはかえるの石像もあります。この石像もガマ池伝説と関係あるのでしょうか?

「これも少し経緯があるんですが……。
江戸時代から続いていた上の字様の御札ですが、戦後、しばらく途絶えてしまっていたようなのです。でも、地元のご年配の方をはじめ、上の字様の御札についてよくご存じの方がいらした。ある時、地域の歴史に詳しい方から、そういえば神社さん、以前は上の字様の御札を出していたじゃないか。せっかく伝説のある御札なんだから出さないともったいないよ、というお声をいただいたんです」

きっかけは地域の方のひと言だったんですね!

「昭和50年のことですね。そこでいろいろ検討している中で、上の字様は火事ややけどのご利益とされているが、ガマにちなんだ“かえる”なら、無事かえる、失くしものがかえる、若がえる、欲しかったものがかえるなど、さまざまなご利益を得られるのではないか、と。
そこで、上の字御守から、かえる御守に姿を変えて復活したんです」

ガマ池伝説からはじまった上の字御守、そして現在はかえる御守に。一見、関係なさそうに思えるこの3つをつなぐ、興味深いストーリーを教えてもらいました。

2024年で100周年! 港区唯一の酉の市も神社と地域からはじまった

「実は今年、十番稲荷神社で酉の市をはじめてから100周年なんですよ」と教えてくれた渡瀬さん。酉の市とは、毎年11月の酉の日に開催される、商売繁盛や開運招福の祭礼。「商売繁盛」の文字とおめでたいモチーフをふんだんにあしらった、縁起熊手を販売する屋台などが並ぶ祭礼です。

実は港区で酉の市が開かれるのは、十番稲荷神社だけ。なぜ、酉の市を開くことになったのでしょうか?

「初めて酉の市が開かれたのが、大正13(1924)年。前年の大正12(1923)年に、関東大震災がありました。麻布地区は他に比べて比較的軽微ではありましたが、それでも大変な被害を受けた。そこで、みなさんを元気づけることはできないか、と神社と地域で相談して、酉の市をはじめたようですね」

地域を勇気づけるための酉の市だったんですね。でも、納涼祭などではなく、酉の市になった理由って何なんでしょう?

「酉の市は、おそらく当時の末廣神社の宮司さんがずっと温められていたアイデアのひとつだったと思うんです。末廣神社の御祭神の一柱が、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)ですが、日本武尊に関するお祭りを行っていなかった。じゃぁちょうど良いのではないか、と、地域の方にお話ししたんじゃないかと思いますね」

酉の市と言えば、商売繁盛のイメージですが、日本武尊とどうつながるんでしょう?

「日本武尊が東征の際、戦勝祈願や祝勝のお参りをしたのが11月の酉の日だったとか、日本武尊のご命日と言われることもあります。で、酉の日に市が立ち、その市が発展して、酉の市になったと言われているんです」

酉の市は商売繁盛のイメージだったので、そんな起源があったとは、ちょっとびっくりです!

三の酉がある年は火事が多い!? それって実は……

ちなみに、「三の酉がある年は火事が多い」とも言われています。

「基本的には俗信の一種ですよね(笑)。理由のひとつとして、旧暦の11月は、現在より1カ月程度遅いので、かなり寒い。1カ月それぞれの日に12支を当てはめて数えた時、3回目の酉の日は月末にあたります。寒いから火を使うし、空気も乾燥しているので、火に気を付けましょう、という戒めですよね。
あと、今でも酉の市で有名な浅草の“お酉様”がありますが、昔は浅草の隣に吉原遊郭がありました。なので、酉の市と合わせて遊びに行ってしまう(笑)。ですんで、三の酉がある年は火事が多くて大変なんだから遊郭で遊んでる場合じゃないぞ、という説もあると聞いたことがあります(笑)」

そんな戒めもあったなんて! おもしろい話を教えてもらえました。

「実際、東京で火事件数を数えられた方がいるようです。三の酉まである年が特別火事が多いわけではないみたいですが、火元に気を付けましょう、という戒めで伝えられているんでしょうね」と、渡瀬さん。

三の酉の市では、「火の用心」を掲げた熊手を販売していることもあるようです。十番稲荷さんでも三の酉では火の用心を加えたりするんですか? と聞いてみたところ、「特にはないですね。常に火事よけの御守り(上の字様)がありますから(笑)」とのこと。

おっしゃる通りです!

桜の時期は格別! 都会の神社を覆う桜は必見

思わず足を止めて見上げたくなる、桜の時期(画像提供:十番稲荷神社)

ちょうどお話を伺いに訪れた時期は「集財祭(あじさい祭)」を開催されていた十番稲荷神社さん。鳥居から御社殿に続く階段をはじめ、御社殿のすぐ脇にも、さまざまなあじさいが美しく咲き誇っていました。

「宮司から、季節の花があると良いね、という軽い話があってはじめたんです。最初はホームセンターで買って飾る程度だったんですが、年々増えていき、せっかくだからみなさんに見ていただこうと、令和元年から“集財祭”として、はじめたんです」

あじさい以外に、季節の花を飾ったりなどはされているんでしょうか?

「特に他の花で何かはしていませんが、やっぱり桜の時期はいいですよね。境内に続く階段を覆っているのはソメイヨシノなんですが、私も一番好きな時期です。
十番稲荷神社は都心の小さい神社ですが、桜が咲くと、鳥居の正面からや階段の上から見てもとてもきれいで、写真を撮ってくれる方も多いですね」

境内に続く階段の上からの眺め(画像提供:十番稲荷神社)

続けて、「桜の時期は育てている鉢植えを境内に出したりもしますよ」とひと言。渡瀬さんが桜を育てているのでしょうか?

「ソメイヨシノはクローンの桜だから種ができない、とおっしゃる方もいますが、正しくは、ソメイヨシノの種からは同じソメイヨシノの芽が出ない、なんです。なので、種はできるんです。
以前、境内で桜の種を拾ったので軽い気持ちで地面に埋めてみたら、芽が出まして。せっかくだから芽が出たものは育てよう、と。育てはじめて、5年目ではじめて花が咲きました」

種から育て、こんなに立派な苗木に!(画像提供:十番稲荷神社)

小さな桜の種を見つけられるのも、日々、境内を隅々まで丁寧に手入れされているからに違いありません。「ただね、2024年は昨年の夏がものすごい暑かったり、暖冬だったり、春先の寒暖差が激しくて、あまり芽が出なかったんですよね」と渡瀬さん。
桜に鉢植えのイメージはなかったのですが、「意外と鉢植えでもちゃんと花が咲くんですよ」と教えてくださいました。

苗木だからこそ、間近で楽しめる桜の花(画像提供:十番稲荷神社)

十番稲荷神社は、急ぎ足で歩いていると、つい通り過ぎてしまうような都心にあります。でも、そこには江戸時代から続くさまざまな足跡が受け継がれていました。

少し先にはなりますが、100周年を迎える11月の酉の市も楽しみです!

十番稲荷神社
住所:東京都港区麻布十番1-4-6
時間:開門/9:00 閉門/17:00
社務所受付/9:00~17:00
アクセス:都営大江戸線、東京メトロ南北線「麻布十番駅」より徒歩1分

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