港区歴史探索・駅名のヒミツ 「溜池山王」……駅名の溜池は江戸最初期の上水施設
弊社グループと同じ年に誕生した比較的新しい駅
港区赤坂二丁目から千代田区永田町二丁目にまたがる東京メトロ銀座線及び南北線の溜池山王駅。平成9(1997)年に開業した比較的新しい駅です。弊社の所属するアドバンスグループの設立が1997年なので、弊グループと同い年の駅ということになります。
代表曰く「この駅が出来上がるまで、溜池というのはすべての地下鉄駅から遠い都心の空白地帯だった」そうです。
新しい駅なのですが、駅名となった「溜池山王」はこの地の歴史を伝えてくれる素晴らしいネーミング。
「溜池」を辞書で引くと、
主に農業(灌漑) 用水を確保するために水を貯えた人工の池のこと。貯水池とも言う
と出てきます。その名の通り、溜池山王のそばには、かつて「溜池」と呼ばれる人工の池がありました。
一方の「山王」とは、赤坂の山王社。つまり、赤坂氷川神社のことです。溜池と山王社があったところに立つ駅だから、「溜池山王」となったわけです。
ちなみに、建設予定時の仮称駅名は「溜池駅」でした。ですが、駅の位置が港区と千代田区の境界になったことにより、港区側が希望した「溜池駅」と、千代田区側が希望した「山王下駅」で対立が生じました。どちらも、この地を象徴する名称であったため、両案をまとめることで現在の駅名に落ち着いたのだそうです。
飲用水をためこんでいた美しい池
現在の感覚で溜池というと、地方出身者の方々は、臭く汚く「危ないから近寄ってはいけない」と大人たちから言われてきた記憶があるでしょう。ですが、かつてこの地にあった溜池は、清く澄んだ水を湛えた大変美しい池でした。というのも、この溜池は、江戸の町に飲み水を供給するために作られたものだったからです。
溜池が作られた時期についてはよくわかっていません。ただ、戦国末期から江戸時代初期を生き、江戸初期の風俗を記録した三浦浄心の『見聞集(けんもんしゅう) 巻の六』には、
『(慶長)十二年以前まで、大海原なりしを、当君の御威勢にて、南海を埋め陸地と為し、町を建て給う。然るに、町豊かに栄ゆるといへども、井の水へ塩さし入り、萬民是を嘆く。君聞し召し、民を哀れひ給ひ、神田明神山岸の水を、北東の町へ流し、山王山本の流れを西南の町へ流し、此二水を、江戸町へ遍ねく興へ給ふ。』
とあります。
簡単に翻訳します。慶長12(1607)年より前までは江戸の町の多くは海だったものを当君(徳川家康)の権威で南側を埋め立て陸地とし、町を建て始めたそうです。ですが、町が栄えても元が海だったこともあり川に塩水が入ってくる有様。住民は嘆いていました。これを知った徳川家康は民を哀れんで、(もともとあった)神田明神山岸の湧き水を北東の町へ流し、山王山本の流れを西南の町へ流して、この二水を江戸の町へ遍ねく配給したということです。
つまり、1607年より以前の山王社(赤坂氷川神社)脇には、なんらか上水足りえる水があり、それを南西部へ分けていったと考えられます。
江戸の主要上水網がまだ整備中であった寛永9(1632)年発行の『武州豊嶋郡江戸庄図』には、この裏付けとして、はっきりと赤坂氷川神社の麓に「溜池」が描かれています。溜池は後に江戸城の堀の一部として機能させられますが、この図を見ると分かる通り、明らかにまだ堀として整備はされていません。
しかも、溜池の説明文には「江戸水道の水上」と書かれているのです。
つまり現在の溜池山王にあった溜池は、①幕府が本格的な上水工事を行うより以前から整備されていたか、②本格的な水道整備事業を行う前に小規模な上水道として作られていたと考えられます。
溜池の拡張と玉川上水
江戸の町の水道整備の歴史は、天正18(1590)年7月、まで遡ります。この年家康は、豊臣秀吉の命を受け江戸へやってきました。家康は、江戸を理想的な都市へ作り替えるべく様々な土木工事を命じていますが、その中のひとつが、湧水量の多い井之頭池(現在の井之頭公園)の水を江戸の町まで引くため行わせた、小石川上水の整備です。小石川上水の整備事業に関しては、実態がよくわかっていません。が、この上水工事を元として「慶長12年」という上水道の整備へと拡張発展していったと伝わっています。
神田上水は、江戸城や神田川流域、京橋あたりといった、現在の皇居の北東部の町々への給水を行いました。これらのエリアは、江戸時代初期に開発されたため武家屋敷も多く、水道需要がまず高まった地域です。
ところが、家康が江戸幕府を開いたことにより、江戸の町の拡張速度は加速度的に上昇しました。町の拡大と水道需要に神田上水からの水だけではとても追いつくことができなくなったのです。そこで、もともと整備されていた溜池からの上水を拡張して、新たに作られた町……すなわち四ツ谷、麹町、赤坂・青山方面にも水道網を広げようということになりました。これだけの範囲をカバーするとなると、溜池にながれこむ水だけでは足りません。溜池にさらに大量の水を引き込むべく、新たな上水工事が始まりました。承応3(1654)年に溜池に引き込まれたのが多摩川から水を運んできた玉川上水です。
川の水が引き込まれたことにより、溜池の水の量は激増しました。溜池から上水を供給される地域は当初の予定エリアをはるかに超えて広がっていき、芝や京橋方面も潤すこととなります。
以来、江戸という巨大都市に暮らす人々の命を繋いだ水源のひとつとして、玉川上水と溜池は大切にされたのです。
池がなくなった現在、駅名に溜池の名が残ったことで、溜池の記憶は未来永劫語り継がれていくのでしょう。
【溜池山王駅】
路線名:東京メトロ銀座線・南北線
住所:東京都千代田区永田町2-11-1