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江戸時代の水道技術に感動! 城郭の土塀から見える時代背景とは?【行ってきました!】練塀勉強会vol.7

2026年1月23日

「いざまち」でもたびたびお邪魔している、「練塀勉強会」。三縁山廣度院の国登録有形文化財である練塀の保存・活用活動を行う、練塀保存委員会によるセミナーです。毎回、練塀に関する紹介や、港区の歴史について興味深いお話を聞けるので、歴史好きにもおすすめ。

今回は、江戸時代の水道設備と、日本全国の城郭に残る練塀について紹介してくれました。

▼練塀勉強会vol.5では「練塀」と「忍者」の関係について紹介
【行ってきました!】忍者と土塀の意外な関係とは!? 練塀勉強会vol.5

江戸時代の上水(水道)とは? 玉川上水と神田上水が必要だった理由

江戸時代の上水に関しての解説をしてくれたのは、東京都水道歴史館 学芸員の金子智さんです。

徳川家康により江戸幕府が開かれましたが、当時の江戸は、井戸を掘っても出てくるのは塩水で、飲み水には不適切。そこで、人々の営みに不可欠な飲み水を給水していたのが「上水(水道)」です。

当時、今回の会場でもある増上寺に水を供給していたのは、承応3(1654)年に完成した、玉川上水。神田上水と共に「江戸の二大上水」と呼ばれており、玉川上水の一部区間は現在も水道施設として使用されています。

玉川上水開削の指揮をとった玉川兄弟の像。実は当時の史料には「兄弟」という記載はないそう。

江戸の上水は「天正18(1590)年に家康が江戸に入ったタイミングで上水をひいた」と言われることもありますが、金子さんによると「実は上水に関する公式の記録はほとんど残っていない」とのこと。
幕府がまとめた公式記録として残されている史料は、天明8(1788)~寛政3(1791)年に書かれた「上水記」くらいしか存在していないそうです。そのため、江戸初期の上水については史料ではなく、発掘調査で明らかになることが多いのだとか。

東京都立図書館 歌川広重「名所江戸百景」「玉川堤の花」

幕府が管理する上水が増上寺にひかれていた事実から分かること

増上寺に水を送っていたのは玉川上水ですが、玉川上水の最大の目的は江戸城への給水。幕府や大名の御用地への給水を行い、そのひとつに増上寺もありました。

東京都立図書館「玉川上水絵図」

「当時、上水を管理していたのは江戸幕府。江戸城や御用地に加え増上寺にも水を送るということは、増上寺が幕府にとってどれだけ大切な施設かが分かります」という金子さんの解説とともに、スライドで当時の水道管MAPを見せてくれました(見せていただいたのはもっと詳細な水道管MAPです!)。

ちなみに「上水記」などに残されている江戸の水道管MAPは、すべて南が上になっているそう。
その理由は、

・東京の西側の武蔵野台地から東側の江戸の街に向かって水を送っていた
・日本語は右から左に読むので、源流である西を右側に記載した

だからだそうですよ!

▼増上寺についてはこちらの記事でも紹介しています
増上寺が徳川家の菩提寺となった理由とは? 家康の信仰と大本山の役割を解説
増上寺・東京タワー・麻布台ヒルズが並ぶ! 増上寺が芝に来た理由とあの都市伝説の真相

【城郭と練塀】練塀が語る幕末の緊張感

日本中の土塀や練塀を研究されている京都美術工芸大学教授の井上年和先生が紹介してくれたのは、「城郭」をテーマにした練塀について。

水戸城 大手門

日本各地の城郭に残されている土塀や練塀は、構造をはじめ見せ方も多彩で、たとえば茨城県の水戸城大手門の瓦塀(練塀)は、一部がガラス張りになっていて中を見ることができるそう。

また、小田原城(神奈川県)では、埋め戻して保護したうえで検出時の姿をレプリカで再現していたり、府内城(大分県)の西側土塀は、時期によりさまざまな作り方を採用されていたことが分かっています。

日本全国の土塀(練塀)がまとめられた資料を見ていると、井上先生の知識量に驚くばかりですが、印象的だったのは、高知城(高知県)についてのお話。「高知城の追手門の土塀は、かなり頑丈。元治元(1864)年につくられているので、もしかしたら幕末の動乱を見越していた? とも考えられる」ということでした。

元治元(1864)年は1回目の長州征討が起きた年。のちに「薩長土肥」と呼ばれる諸藩であった土佐藩も、幕府の征伐に備えていたのかもしれないですよね。

廣度院の練塀の先には、増上寺の三解脱門が。

ちなみに、江戸城 西ノ丸吹上の練塀を建造した際の仕様を記録した「塗師方、壁方、瓦方 当時物并本途内訳」という書物(工事の仕様や費用を詳細に記した記録)が残されていますが、廣度院の練塀も同じ構造ということが分かっています。
現状、「当時物并本途内訳」と同じ構造の練塀は廣度院でしか見つかっていないそうですよ。

▼廣度院の歴史や練塀については、こちらの記事で紹介しています
増上寺のすぐ目の前! 増上寺と同時に開山した「廣度院」は情報密度の高いお寺

会場では「浜松町・芝・大門 百景」で廣度院を描いた絵ハガキなども展示

港区の歴史をさまざまな視点で深掘りして紹介してくれる、練塀勉強会は、「なるほど!」と膝を叩くような知識を吸収できる時間です。今回は、「江戸の水道管MAPは南上」という話がとても印象的でした。

次回の練塀勉強会は2026年3月開催予定。詳細や申込については廣度院の公式ホームページ(https://neribei.com)で確認できるので、港区の歴史に興味があるならぜひチェックしてみましょう。

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