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祝・『暴れん坊将軍』復活!「薬園坂」の由来は、ドラマでもおなじみのあの施設!

2024年12月25日

時代劇好きにはうれしいニュースが、年末に飛び込んできました。

なんと松平健さんの主演の人気シリーズ『暴れん坊将軍』が、2025年1月新春、17年ぶりにSPドラマ『新・暴れん坊将軍』として復活するそうです。

復活を祝して(?)、今回はかの吉宗にもゆかりある坂を取り上げてみましょう。響きからして体によさそうな、その名も「薬園坂」。実はこの坂、あのNHKの大ヒット朝ドラとも、少しだけ関連があったのです。

それでは早速、歴史を紐解いてみましょう。

薬園坂の由来

生薬

御薬園には当時からさまざまな薬草があったそう

江戸時代前期、この坂の西部には、幕府の薬草栽培所・「麻布御薬園」がありました。これは実は、かの「東京大学大学院理学系研究科附属小石川植物園」の前身のそのまた前身的存在。名前がなまって、「役人坂」「役員坂」とも呼ばれていたそうです。

貞享元年(1684)、5代将軍・徳川綱吉の御成御殿である白金御殿(しろかねごてん)の拡張のため、麻布御薬園は廃止されることに。そこにあった植物たちは、当時の「白山御殿」(別名:小石川御殿。現在の東京都文京区白山)に移植されました。これがのちに小石川植物園の前身・「小石川御薬園」となります。

吉宗の治世下である8代将軍吉宗の享保6(1721)年には、この小石川御薬園は御殿地全体に拡張。面積は約4万5千坪とスケールも拡大し、ほぼ現在の植物園に近い形となります。

小石川養生所とは

出典:『小石川養生所之圖 全 』(東京都立中央図書館)(参照:2024/10/18)

ドラマ『暴れん坊将軍』などでも、何度か登場した「小石川養生所」。小石川養生所は、徳川吉宗将軍の時代に町医者であった小川笙船(しょうせん)が「目安箱」に投書したことで実現した、日本最古の病院です。

当時、吉宗は「享保の改革」を進めており、その一環として、庶民からも広く意見を募る「目安箱」を設置したのでした。

当時は、一握りの裕福な町人しか薬(漢方薬)を手に入れられなかった時代でした。病気になった庶民の様子を見かねた小川笙船は、幕府医師による診療を無料で受けられる施設(施薬院)の設立を提案したのです。施薬院は「薬を施し治療する」施設で、「貧しい庶民を救済する」目的を持った施設でもありました。

小川笙船の投書に目を通した吉宗は、幼馴染でもある町奉行・大岡忠相(彼もまたドラマ『大岡越前』で有名)に、施薬院の設立を検討するよう命令。こうして享保7(1722)年、小石川御薬園の一角に、小石川養生所が誕生しました。小川笙船自身が、医師としてそこで人々を救ってきたのです。

その後も、小石川養生所は江戸時代を通じて、江戸の町民に無償で内科・外科・眼科などの医療を提供していました。

現在はあの東大の管轄下に

小石川植物園

小石川植物園の草花

この小石川御薬園は、明治維新後、東京府、その後文部省の管轄になりました。そして、明治10年に東京大学の附属となり、現在の東京大学大学院理学系研究科附属小石川植物園(文京区白山3丁目)ができあがったのです。

2023年に放送されたNHK朝の連続ドラマ『らんまん』で、神木隆之介さんが演じた主人公・槙野万太郎のモデルになったのは、「日本の植物学の父」と言われる牧野富太郎さん。彼は日本中を飛び回り、各地に生息する植物の観察と採集などを行ってきましたが、22歳の頃から約30年間、小石川植物園を活動の拠点としていたそうです。

まとめ

植物

小石川植物園は鑑賞だけでなく研究用の草花も多い

病に苦しむ人々の助けとなった薬草たち。体にいいだけでなく、華やかな薬草や緑豊かな薬草も多数あります。

小石川植物園は文京区のイメージですが、この港区とも実は関わりがあったのですね。

機会があれば、ぜひ実際の植物園にも足を伸ばしてみてください。

【薬園坂】
〒106-0047 東京都港区南麻布3-10、3-13番の間

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